第42話 女神の審判

 静止した世界の中で、女神クライキラがこちらを睥睨している。

 その手に握られた小太刀は常に冷気を発し、大気を片っ端から凍らせていた。

 愉快な気分ではなさそうだ。一発当てた割にはダメージも通ってないし、単に機嫌を損ねただけらしい。


「敵意あって侵入した者を、見過ごすわけにはいかない」

「はいはい……まあ、そうだよな」


 あんたの暗殺の準備をしに来た男が相手なんだ、逃がす道理はないだろう。

 しかし冷静に考えれば、ここで一気に本丸を落とすチャンスでもある。

 町一帯を凍結させておきながら戦闘を続けているんだ、全力には程遠いだろう。


「審判を下す」


 クライキラの厳粛な声に、反射的に剣を構える。

 こいつは『法』を司る神だ、間違いなく罪を裁くための権能を保持している。

 恐らくその発動の予兆。発動させないのが一番だが、間合いや相手の実力を加味すると厳しい。ここは一度発動させて、その上で潰す!


「汝は神に対する殺害の計画をした罪に問われている――此方、証拠不十分にて裁きを取りやめる」

「え?」


 どんな権能だろうとかかってこいや、と身構えていたのだが。

 クライキラは先ほどまでと同じ冷たい声で、思いがけないことを告げた。


「何を驚いている。汝が否認したことだ」

「あ、うん。そうなんだけど……」

「例え我が精霊たちの噂、その身からにじみ出る滅びの炎、そして女神エルオーンの悪意を知っていたとしても……導き出される全容は、所詮憶測の域を出ない」


 言われてみれば、俺はまだ悪いことをしていない。

 クライキラの『法』は、まだやっていないことをバリバリ罰する感じではないらしい。


「汝が元いた世界に近しい世界では、予備罪と呼ばれる概念だ」

「ああ、うん。俺のいた世界にも、神様が降りてくる前はあったよその概念」

「ならば話は早い。現段階では、汝が否認しており物的証拠もない以上、この罪状での審判は下されない」


 な、なんだよなんだよ、メッチャ話分かる神様じゃん。

 ちょっと心が揺れ動き始めた。

 エルオーンなんてほっといてこっちにつこうかな。


 大体俺クラブミュージック苦手なんだよ、陰キャだから。

 あの調子で盛り上がるのが日常茶飯事なのだとしたら、あいつの神殿に拒絶されていると言っていい。じゃあ俺が悪魔とかなのかもしれん。元魔王だけど。


 とにかく、少しだけ希望が見えてきた。

 無傷で帰れる可能性あるぞこれ。

 ――と思っていた矢先。



「では次の審判に移る。汝は元いた世界で数百万の神々、並びに数十億の人々を殺害した罪に問われている」



 ――呼吸が、止まった。


「人的被害を除いても、都市の破壊行為……東京、ワシントン、ニューヨーク、デリー、モスクワ、イスタンブール、パリ、上海、以下約200の都市を不可逆的に破壊したため、汝は国際法による人道に対する罪を含む複数の重罪に問われている。申し開きはあるか」

「ない。すべて事実だ」


 答えはすぐに口からこぼれ出た。

 女神が微かに目を見開く。


 元いた世界の出来事を、クライキラは恐らく完璧には把握していない。

 さっきの予備罪の話でそれは察することができた。俺が元いた世界に類似した世界を参照したということは、俺の世界に詳しいってわけじゃない。

 都市の名前がスラスラ出てきたのは、俺がやったこととしての記録を、何らかの権限で見たんだろう。あるいはその辺を把握できる権能かだ。


 だから、その程度の理解レベルなら口先で反論できるかもしれないと、脳の冷たい部分は告げていた。

 だが――それはできない。


「すべて事実だ。それで?」


 罪を、俺がこの手で行った行為を、否定するわけにはいかない。

 すべて自分で計画し、自分で準備し、自分で実行した。

 正しいからじゃない、そうするしかなかったから。


 他の世界に対する侵略準備を、人道を踏みにじり、人々の尊厳の形を変えながら進めていた、神様を名乗る悪鬼羅刹共。

 止めるためには、全てを掃除するしかなかった。


 俺と女神クライキラの視線が重なる。

 彼女の青い瞳は揺れ動いていた。


「……適するのは死刑だ。しかし、本当に申し開きはないのか」

「したくないのかよ、死刑」

「当然だ。これは執行されないに越したことはない」


 ――『法』と『正義』と司っているにしては甘い神様だ。

 俺は首を横に振って、黒炎を手の中から消した。


「いつだって俺は死刑になっていい、というか死刑になるべきだと思っている」

「……そうか」

「じゃ、どうする? ギロチンにでもかけるのか?」


 クライキラは数秒黙った後に、俺に続いて、握っていた小太刀を霧散させた。


「死刑は執行されない。分かっていただろう」


 俺は苦笑しながら頷いた。

 元の世界のことを引っ張ってきた時点で、大体わかってたよ。


「お前は俺を罰するためではなく、俺の聴取をするために仕掛けてきたんだろうな……何せ死刑を執行しようとした場合は、重大な矛盾が発生する。俺はもう、罪を犯した後に死んでるんだから」


 そう、ここはあくまで死後の魂が集まる世界。

 この世界に来てから犯した罪なら問題なく裁けるのだろうが、前の世界で犯した罪は適応されないはずだ。


「なんかバグっぽいよなこの抜け道。めちゃくちゃでかい借金をしまくったせいで死なせてもらえない人っぽいわ」

「肯定も否定もしない。だが、確かに汝はそれを強弁すればよかったはず。何故罪を認めた――汝の行動は、罪人の心理に反している」

「罪人がみんな生き汚いわけじゃない。むしろ、死んだ方が楽だって考えてるやつもいるよ」

「なるほど。それは考慮に含めておこう」


 クライキラはどこからともなく黒衣を纏い、周囲を一瞥した。

 今まで凍結されていた世界が色を取り戻した。人々がハッと動き出す。

 彼らを脅かしていた氷の怪人はもう跡形もない。


 そして俺とクライキラもまた、人々に見つかる前に、別の建物の屋上へと場所を移していた。

 注目されるのは、お互いによろしくないからな。


「……神殺しの『魔王』。我が正義のためにも、見定めなければならないと思っていたが。ますます不可思議になった」

「俺の話はどうでもいいだろ。エルオーンはお前のことを死ぬほど恨んでるっぽいけど、気にしてないのかよ」


 なんだか、暗殺しに来たというよりは、双方を取り持つために来たみたいになっちゃったな。

 自称俺のファンの神様と、俺の罪を裁こうとしてきた神様。

 味方するなら前者一択のはずなんだけど、やり取りのせいでクライキラ側につきたくなってくる。これが人望ってやつなんだぜエルオーンちゃん。


「気には……している」

「正直だな」

「我が正義は虚偽を許さない。それは加護であり縛りでもある、当然この身にも降り注ぐ」

「難儀な体質だな」

「これを体質の一言で済ませるとは、魔王の器は大きいらしい」


 ……段々彼女の権能の全貌が見えてきたな。

 審判を下すと言っていた以上、恐らく罪人を裁くために罪状に合わせたバフやらデバフやらが飛んでくるのは予想できる。

 それに加えて、自分自身の在り方をガチガチに縛ることで自分を強化しているのだろう。


「エルオーンに、伝言とかあれば伝えておくけど」

「――我が正義は基本的に同害報復を認めていない」


 目には目を、歯には歯をってやつか。

 確かに、法律で世界をよりよくしていこうとするのなら、それを認めてしまうと随分と治安が悪くなりそうだ。


「……我は確かに彼女の大切なものに対して、審判を下した。しかしそれもまた正義であり、我が謝罪する、贖罪するなどの行為はあってはならない」


 そう言い切って、彼女は立ち去ろうとする。


「次に会う時は、なるべく平和にお茶でもしたいところだな。愛情たっぷりのクッキーでも持ってきておくよ」


 言葉をかけると、彼女は足を止めて、静かに振り向く。

 流石にまだ、冗談を言っていいような関係性じゃなかったかな。

 これ以上機嫌を損ねるのは勘弁だと思っていると、彼女が唇を動かす。


「その程度、容易い――汝の話には興味がある。しかし我が領地の特産品である茶葉は、味に癖がある。汝の舌に合えばいいのだが、断定できぬ。次までに、別の銘柄もそろえておこう」

「…………」

「愛情たっぷりのクッキーも楽しみにしておこう。だが、我は柑橘類が得意ではない。ジャムを用いる場合は、そこだけ留意してもらえると助かる」

「あ、いや、今のはものの例えだったんだけど……」

「………………」


 クライキラはしばらく黙った後、何も言わずに姿を消した。

 あいつ逃げやがった! 俺クッキー作らないとだめになったじゃん。


 萌え萌えキュンとか言って作ればいいのか? 寮のキッチンを借りて?

 見つかったら病院に連れて行かれそうだな……



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