第41話 VS『氷』と『法』と『正義』の女神

「名乗れ。我が名はクライキラ。悪滅凍獄を役割とする、『氷』を司る女神にして、同時にまた――『正義』と『法』を司る女神でもある」


 眼前の神様は、厳粛なる静止世界の中でそう告げた。

 フード付きの黒衣は人目につかないよう闇に潜むための服装か。

 しかし凍てつくように白く長い髪、蒼い光を宿す双眸、そして何よりもその美貌が、彼女を世界の中心に据えていた。


「……トール。クラーク領中心部から来た、トールだ」


 世界は未だ静止したままだ。

 つまりここ一帯が彼女の力、彼女の力の逃げるのは厳しいだろう。

 そう判断して大人しく名乗ると、俺の名前を聞いた彼女は微かに目を見開いた。


「神殺しの元『魔王』が、我が地を踏むとはな」


 どうやら彼女は、俺のことを知っているらしい。

 こちらを見る目に感情の色はないが、向こうの体の動きが臨戦態勢に入っていることを教えてくれた。


「待ってくれ女神クライキラ! こちらに敵意はない!」

「嘘だな。我が威光の前に虚偽は許されぬ」


 彼女が背負う蒼い後光が、こちらの嘘を暴くように輝きを放つ。

 あれは、氷によって形成された輪光か。何かしらの権能を宿しているのだろう。


 いや本当に敵意はないんだが――って、よく考えたら俺この神様を暗殺するために来てたわ。

 そりゃ何を言おうとも、害をもたらす存在って判定されてしかるべきである。


「その罪、本来ならば死すら生ぬるい……だがこの世界での生存を許されている。不可思議な採決だ」

「……俺が生きていることがご不満かな?」

「無論。本当に生存を認められるべきか、我に証明するがいい」


 そう言い切った直後だった。

 彼女の全身から荒れ狂う神威が放出され、それは氷となり、鋭くとがっていき、無数の槍となった。


「……ッ」


 すべての穂先がこちらに向けられる。

 矛先を直視しただけで明確に感じる、死の気配。

 冷や汗が一筋頬を伝うと同時、槍の嵐がこちらめがけて襲い掛かってきた。


「悪しきは凍てつき、二度と動かぬのが世の摂理。厳粛なる審判を静聴せよ」


 次々に射出される氷の矢を、その場から飛び退き、地面を叩いて跳ね、ひたすら場所を移し続けてなんとか避ける。

 静聴したら死ぬんだよ! 主文後回しみたいなことしやがって!


 話し合いの余地なく降り注ぐ攻撃。

 いいや、どちらかといえば、この攻撃こそが彼女からすれば話し合いなのだろう。

 先ほど感じた怖気と比べれば、あまりにも出力が低く思える。


「突き抜けろ、『狂影騎冠リベリオエッジ』!」


 だがやられっぱなしではいられない。

 こちらも剣に纏わせた黒炎を、斬撃に乗せてぶっ放す。


「それが噂の、世界を蝕む厄災の残り火……」


 氷の槍たちを瞬時に溶解させながら突き進んでいく炎を見て、それでもクライキラの表情に変化はない。


「だが、我が正義こそが世界の中心」

「……!?」

「汝が世界を滅ぼす存在なのは知っている。だが、我が世界をも滅ぼすことができるかどうか、試してみるといい」


 彼女が片手をかざすと同時、展開された氷の障壁に炎が直撃。

 本来ならたかが一枚の防御壁ごときすぐさま貫通していくはずのところ、手応えすらまったくないまま、俺の黒炎が一方的に凍結されていった。

 嘘だろ!? 出力に差がありすぎる……!


「どうやらその炎、我が世界を焼くほどではないらしい」

「……いやまだ本気出してないだけだし」

「できれば出さずに終わって欲しいものだな」


 破壊された氷の槍と、凍結された炎。

 互いの攻撃を封殺し合った後に、俺たちはじっとにらみ合った。


「さて、強さを制御できているのは分かった、安易に振るおうとするわけでもないと分かった。ならば聴取といこう――その忌々しい黒焔、汝は何のために振るう? その焔を以て何を燃やし尽くす?」


 どうやらここまでが小手調べ、向こうも向こうで、俺が話の通じる相手なのかを確かめていたらしい。

 どうして満を持して放たれた問いかけに、俺は答えを持ち合わせていない。


「我が眼には見えている。信念も大義も、貴様は既に失って久しい。最も大切なものですら喪い……否。自らその手で壊しているのか」

「……そうだな。だから悪いことしたいとか、いいことしたいとか、そういうのはもうない」

「そして今回は、音と安らぎをもたらすあの女神に唆されてきたというわけか」


 原因まで把握していると来た。

 彼女は氷の槍を顕現させて手に持つと、穂先をこちらへ突きつける。


「汝はエルオーンの傀儡として、我が正義の前に立ち塞がるつもりか」

「……何のことだ? 知らねえなあ」


 全部バレていようとも、流石に認めるわけにはいかん。

 こちらも油断なく剣を構えながら、彼女に向かって言い返す。


「でも、エルオーン様とはこの間会ったばっかりでね……お前が彼女の大切な存在を殺したって話だけは聞いたぜ」


 俺がエルオーンから聞いた暗殺の理由はそれだった。

 大切な相手を、二度とは返ってこない存在を、女神クライキラに奪われたと。


「問いかけを肯定する」


 認められちゃったよ。ダメじゃん。

 まずいな……正義と法に則って殺したんだとしたら本当にエルオーンが悪者過ぎるし、俺がしょうもない鉄砲玉過ぎる。

 流石にそれだったら降伏してヴィクトリアさんに泣きつこうかな。

 或いはもう、面倒だし、この女神様にサクっと死んでもらうか。


「彼女は……エルオーンは、私を恨む理由がある」


 バチン、と音を立てて、彼女の手の中で長槍が二振りの小太刀へと形を変えた。

 近接戦闘もできるのか、と若干驚愕した頃には、既に懐近くまで踏み込まれていた。


「……ッ!?」


 周辺の世界を大気ごと凍てつかせながら、クライキラの左右の太刀が振るわれる。

 とっさに『狂影騎冠リベリオエッジ』の炎を円盤状の盾として展開し、敵の攻撃を阻む。


「我が正義によって世界は形成される。だが我が正義は不動であるものの、我が正義が我を許さぬことはあるだろう」

「ちょっと話の内容が複雑すぎるんだよ! 結局どっちがいい神様でどっちが悪い神様なのか、さっさと教えてくれねえかなあ!」


 至近距離、クライキラの斬撃を受け流す。

 目にも留まらぬ連攻、日々の修練と豊富な実戦経験が見て取れる。


「笑止。それを自分で判断できなければ、この世界で生きていくのは難しいだろう」

「……! まあ、そうだよなあ!」


 実にごもっともだ。言い返す余地もない。

 俺は大きく踏み込んで、円盤状の盾を用いたシールドバッシュで思い切りクライキラの体を弾き飛ばす。


「でもさあ! 自分の基準だけだと皆殺ししかないから、人の意見を聞いていこうって試行錯誤してんだわ! そんな可愛い俺のことをダマしたりそそのかしたりしたりする側の方がおかしいよなあ!?」


 間合いが開いた刹那、手に持っていた盾を円盤投げの要領で思いきりぶん投げる。

 回転しながら飛翔していった炎の光輪は、狙い過たずクライキラの体に直撃。

 巨大な竜だろうと真っ二つにする威力を込めた、戦闘不能までは追い込める――はずだったのだが。


「チィッ……」


 数メートル吹き飛ばされた後、彼女は手で地面を跳ね上げて体勢を整え膝から着地する。


「今のを食らってまだ立ち上がれるのかよ……!」

「貴様が操る憎悪、想定以上の苛烈さだ――しかし所詮は借り物、戦闘に支障はない」


 そう告げるクライキラは、黒衣を脱ぎ捨て、氷で形成された鎧を身に纏っていた。

 先ほどまでとは、まるで格が違う。

 自らの権能を隠そうともせず、神威ごと振りまいて大気を軋ませている。


 事故みたいな遭遇をしただけなんだから、顔見せイベントで終わらせてくれない?

 なんで第二形態解禁してんの……?



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