第39話 ワン!

 三日後。

 俺は仕事が始まるより前に、エルオーンの聖堂ハウスを訪れていた。


 門番すらあくびをしている時間帯だったが、中に入ることは出来た。

 お爺ちゃんやお婆ちゃんが早朝の礼拝に来ている。いい光景だな。


 その中に混じって聖堂の中に入る。

 早朝特有の冷たい空気と、こういう場所の神秘的な雰囲気が相まって、大変に体がシャキっとする。こういう経験をすると朝活ってめちゃ強いなと思うんだよな。継続してできたことはねえけど。


 そんなことを考えながら、聖堂に並ぶ長椅子の一つに腰掛ける。

 直後、隣でふわっとピンク色の髪が翻った。


「やっ」


 向こうに何か言われる前に、俺は片手を挙げて彼女へ挨拶した。

 長椅子の隣に座ってきた女神エルオーンは、意表を突かれた表情で数秒固まった。


 あれから数日かけて考えたのだが、恐らくこの女神は物事を自分でコントロールしたがるタイプだ。

 俺への情報の出し方だったり、日数制限の間隔だったりでなんとなく予想できる。


 だからこうして先手を打てば――ちょっと慌てふためいてくれねえかなと思ったんだが、予想よりも威力があったらしい。

 彼女はぽかんと固まった後に、ゆっくりと唇をつり上げて笑顔になっていった。


「やあ! やあやあ、トールくん! 朝早くから来てくれるなんて感激で泣いちまいそうだよう!」


 エルオーンはぐわっと距離を詰めてきて、こちらの肩をバシバシ叩き始めた。

 あっちょっ近ッ! 近い近い近い! なんかやーらかいのが半身に全体的に当たってる! 女神様の玉体にぶつかって左が全身やられちまってる!


「ちょ、そんな勢いよく近づくなよ。俺たちは今こう、ごく自然な一般礼拝者として来てて、こそっと話してるわけだろ?」

「だったら逆じゃねーのかい? 恋人っぽく密着した方がいいって思っちまうんだけど~?」

「全然思わねーよ! 俺はもっと静かにこう、殺し屋同士の情報交換みたいなやつがしたいんだよ」


 前の世界でよく見ていた映画では、イケてる男たちが視線を交わすことすらなく、互いに違う方向を見たまま封筒を渡し合うみたいな光景がよくあった。

 あれがやりたい。


「アハハッ、それ面白れーじゃんか。でも殺し屋ってことにしちまうと、結論が出ちゃいますけどねい?」


 ひっついてくるエルオーンの吐息が俺の耳をくすぐる。

 本当に免疫がないからやめてほしい。


「だから離れろってッ。ああそうだよッ、その結論で合ってるよッ」


 彼女の体を引き剥がしながら、半ばヤケになって叫ぶ。


「……へぇ? でも流石に、何かの条件はあってこそじゃねーんですの?」

「ああ、当然だろ。あんたの依頼を受けるけど、下手人が俺だとバレないようにしてほしい」


 変わらず近い距離でこちらをのぞき込んでくるエルオーンだが、その目には思案の光が宿り始めていた。

 こちらが示す条件を聞いた上で、任せるに値するかどうかの判断が始まったのだろう。


「加えて、俺はその神を殺さない。あんたが確実に殺せる状態を作り上げる」

「……それは確実ですかい?」

「漠然としか俺の力を把握していないのか? そういう敵を弱らせるのにはもってこいなんだよ」

「ああ、そうか。そうだっけね」


 俺の肩にほとんど頭を乗せる形でエルオーンがうんうんうなり始める。


「近い近い、だから近いって……つーかそもそも、聖堂ってカップルが来ていちゃつく場所じゃねーだろ。絶対に悪目立ちしてるって」

「そこはだいじょーぶい、ここにわざわざ来る礼拝者たちは心に十分な余裕があるが故に、他人を気にしねーんで」


 本当かよ、と周囲を見渡すが、確かに誰もが目を閉じ、静かに祈りを捧げている。

 先日EDMで踊り狂うクラブと化していたとは思えない光景だ。


「ん~……まあギリいけそうな気はする、か」


 しばらく考え込んでいたエルオーンが、目を開けてきっぱりと言い放つ。


「いいのか? トドメを委ねるっていうのは、自分で言い出しておいてなんだが結構厳しいと思ってたが……」

「別にいいんじゃねーかい? 誰がどうやって殺そうと、別にこだわるポイントじゃないんでねえ」


 そこで言葉を切って、彼女はあらためてこちらを見た。

 女神の瞳に俺の顔が映り込んでいた。けれど自分の顔がうまく見えないぐらいに、女神の瞳には歪み、ひずんだ光が渦巻いていた。


「こだわりてーのは間違いなく、相手がちゃあんと死んでくれるかどうかっしょ」

「……まあ、そうかもな」

「そっちにだって、存在していることを認められない、生きていることすら許したくないようなやつ、いるんじゃねーですかい?」

「ああ、いるよ」


 即答した。

 エルオーンはかすかに沈黙を挟んだ後、優しく微笑んだ。


「じゃあ……私とトールくんはお仲間ってことですかねい。へへへっ、共通項があるなんて照れちまいますねえ」

「違うな。俺は殺し屋を雇ったりしない」

「それは雇う金がねーからでしょ」

「お前急に正論ぶっ放してくんなよ腹立つな」

「まあいいお付き合いをしましょうや、お金ならたんまりと貸してあげられるんで」

「…………」

「おっ! ここで黙るのいいなあ、チョロそ~!」

「うるっせえんだよバカ女神が!」


 にひひと笑い、エルオーンはどこからともなく取り出した商品券でこちらの頬をぺちぺちと叩き出す。


「ほら、ワンって言ってみたらどーです」

「こういうのって現金でやるんじゃないの!? ワン!」

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