第18話 私のものなのよ

 アルバートの見舞いを終え、日もすっかり沈んだ後。

 行きつけの酒場に行くと珍しい姿があった。


 カウンター席にて、黒いドレス姿の美女が優雅に焼き鳥を食べ、発泡性の麦酒を飲んでいる。

 場の空気を一変させるほどの美貌を持つ女ではあるものの、今回ばかりは流石に店の雰囲気が勝っていた。

 端的に言うと、すげえ浮いてた。


「パトリシア、お前何してんの」

「あら」


 名を呼べば、パトリシアは薄く微笑んでこちらに振り向いた。

 今まで彼女をちらちら見ていたであろう酒場の男たちが、俺に向けて恨めしそうな顔を見せる。

 いや待ち合わせとか全然してないから。


「今日はお掃除をサボっていたみたいじゃない。挙句の果てには酒盛りなんて、とんだ不良清掃業者ね」

「うるせえよ、ちゃんと公休だから」


 そう言いつつ、なるべくこの女から離れた空席はないかと視線を走らせる。

 テーブル席は全部埋まっている。後はカウンター席だが……


「空いてるわよ」


 パトリシアが宙に指を走らせると、彼女の隣の椅子がひとりでに引かれた。

 どうやら逃げ場はないらしい。


「はいはい……」


 観念して、俺は彼女の隣に座った。

 面白そうにこちらを見てくる大将と顔を見合わせ、肩をすくめる。


「いつものセット」

「あいよ。珍しいな、女連れなんて。F級のたまり場みたいな店だがいいのかい?」


 俺はちらりとパトリシアを見た。

 彼女は麦酒をこくこくと飲んだ後、小さく頷く。


「こいつもF級だよ」

「うぇっ!? マジか、人は見た目に寄らないな……」

「いや、こいつが悪いと思う。こんな見た目のF級は俺も他に知らない」


 店内で騒いでいた他の男たちも、そのほとんどがF級だ。

 俺たちは端的に言えば鼻つまみものなので、行ける場所が限られる。

 こうして安い代金でたらふく酒を飲める場所なんかは、店サイドが許してくれるのなら格好のたまり場になるわけだ。


「んじゃ、せっかく美人を連れてきてくれたわけだしサービスしてやるよ」

「お、ありがと」


 つまみの小皿三つほどと一緒に、普段より大きなジョッキを手渡される。

 そこで俺は、隣の女からそわそわとした視線が向けられていることに気づいた。


「……どしたの?」

「いえ、飲む前にやることがあるでしょう?」

「…………か、かんぱーい」

「ええ、乾杯」


 互いのジョッキをこつんとぶつけあう。

 何が楽しいのか分からんが、彼女は満面の笑みで酒をまたこくこくと飲み始めた。

 ペース早っ。大丈夫かこいつ。


「おい、そんな飲み方してて大丈夫なのか」

「私は魔法使いとしても最強だし、お酒飲みとしても最強よ」


 パトリシアの言葉に、大将も頷いた。


「ああ、嬢ちゃんはこれで十杯目だ、半端ねえぞ」

「えぇ……」


 なんか思わぬ一面を知ってしまった。

 ていうか低賃金のはずなんだけど、やっぱこいつなんか金隠し持ってるよね。明らかに立ち振る舞いに金銭的な余裕があるよね。


「何? 私が隣にいると不服かしら」

「いや、そんなことはねえけど……あっ」


 俺はそこで不意に思い出した。


「どうかしたのかしら?」

「いや、お前にちょっと聞きたいことがあったんだ」

「……へえ?」


 ジョッキをテーブルに置いて、彼女は体ごとこちらに向き直る。


「ようやくこの私に興味を示したわねトール。どんな質問でも答えてあげるわ。好きな食べ物、趣味、休日の過ごし方、普通ならあなたから首を垂れて聞くべきことだったのに一向に聞かないのだから驚きよ。さあ、何でも聞いてみなさい」

「お前って背信者なの?」

「…………」


 俺の問いかけに、パトリシアは一瞬で鼻白んだ。

 きわめて不機嫌そうに唇を尖らせると、彼女は持っていたジョッキを口元へもっていき、ありえない急角度で一気に中身を飲み干す。


「ぷはあっ」

「……俺、なんか、まずいこと聞いた?」


 流石に他の人に聞こえないよう、声は落としたんだが。


「タイミングも無礼、内容も無礼、顔も無礼よ」

「顔ってなんだよ」

「目と鼻と口と耳と頬が無礼よ」

「詳細を話せって意味じゃねえよ」


 パトリシアは麦酒のお代わりを頼んだ後、首を横に振った。


「あんな野蛮な連中と一緒くたにされるのは極めて心外だわ……今までこの私の何を見てきたのかしら」

「気に入らない相手に容赦なく魔法ぶっ放すところとか」

「言い返せなくなるところを拾うのはやめなさい」


 パトリシアはお代わりのジョッキをもらうと、半分ほどをまた一口に飲み干した。

 惚れ惚れする飲みっぷりだ。


「ともかく、ああして群れることしかできない弱者と私の間には厳然たる存在の格差があるわ」


 じゃあ背信者とは関係ないということか。

 前にこの女、自分と組んでこの世界を支配しようという超危険な誘いをかけてきたからな。まさかと思っていたが、杞憂だったらしい。


 ……冷静に考えて、背信者たちより先にこの女を取り締まるべきじゃない?

 どう考えても集団でやってるか単独でやってるかの違いしかない。


「急にそれを聞いてきて、一体どうしたのかしら。というかあなた、背信者なんて知ってたのね」

「やむにやまれぬ事情で知っちまったんだよ。で、今度戦うっぽいから、こう……お前が敵だったら嫌だなあって」


 そうぼやくと、彼女は組んだ手に顎を乗せてこちらを覗き込んできた。


「私という最強の魔法使いを相手取ることに、恐れをなしたのかしら?」

「ちげえよ。仲良くしてくれてるやつと戦うの気まずいだろ」

「あら、仲良くした覚えなんてないのだけど」

「お前やっぱ今から背信者にならない? ぶっ飛ばしたくなってきた」


 急激に耳が熱くなった。

 え? 俺もしかして、一方的に仲良くしてると思ってた?

 いや仲良くしたことがあるというわけではないが、絡んでくるからそれなりにこう、仲間意識とか、そういうのがあるのかなあって……


「それにしても面白いわね。F級のあなたを戦力として使うなんて」

「ん……まあ、そうだな。別に立候補したわけじゃねーけどさ」

「それって、私が知っていい情報だったのかしら」

「あっ」


 やっべこれ情報漏洩したかもしれん。

 酒を飲んでいるのにもかかわらず、さっと血の気が引いていく。


「ふふ、口止め料をいただかないとダメかもしれないわね」

「……何をしたら、いいでしょうか」

「あのボトルが欲しいわ」


 パトリシアが指さした先を見て目ん玉が飛び出るかと思った。

 前に興味半分で値段を聞いたことがあるが、俺のお小遣いの半分以上が吹っ飛んでいく代物だ。

 大将、そんなもん置くなよ……ッ! あるだろ、身の丈が……ッ! 客層との不一致になんで気づかない……ッ!


「では大将、彼の支払いであのボトルを。グラスは2つちょうだい」

「あいよ……トール、お前さ、多分だけど一生この子に勝てないぞ」

「うるっせんだよッ!」


 そんなことは重々承知しているのだ。

 俺は半ギレでグラスに高級酒をなみなみと注ぐと、パトリシアと乾杯をして一気に胃へ流し込むのだった。


 ◇


「スヤァ」


 そうして元魔王トールは酔いつぶれ、カウンターに頬をべったりと付けて寝ていた。


「初めて見たぜ、ここまで潰れてるトールは」


 大将はグースカ寝ている彼の姿に呆れている。

 ただそれよりも、爆睡する青年の隣で未だに悠々とお代わりを飲んでいる女の姿の方が目を引いた。


「嬢ちゃん、最初っからトールのことを潰すつもりだったのか?」

「どれくらいお酒に強いのかを知りたかったのよ」


 途中まではトールのことを恨めしそうに見ていた他の男たちも、今となっては気の毒そうな目を向けている。


「それに、私のことを敵に回したくないって、強さ以外の理由で言ってくれた人なんて、初めてで……」

「うん?」

「……なんでもないわ。お勘定を」


 パトリシアはさっと支払いを済ませてから、トールを魔法で浮かせて店から出ようとする。


「あ、おい。別に朝までここで寝かせたっていいんだが」

「それには及ばないわ」


 ドアを開ければ、夜風が吹いて彼女の髪をなびかせた。

 降り注ぐ月光を一身に浴びながら、彼女はふわふわと浮かばされているトールへ手を伸ばす。

 彼の頬を白い指で撫でながら、パトリシア・フロントラインは目を妖艶に細めた。


「これは私のものなのよ」


 誰にも渡さない私のものだ。

 誰にも譲らない私の光だ。


 パトリシアの両眼に宿った光が、そう雄弁に告げている。


「……そうかい」


 大将は笑みを浮かべた。笑みを浮かべようと努力した。

 それでも何かに引っかかったかのように、口角は奇妙な引きつり方をした。


(この美人さん、怖ぇぇ……)


 それを口に出さないだけの処世術を、大将は長い人生の中できちんと培っていたのだった。

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