第11話 元魔王だけど逃がさない(前編)

 この世界にだって治安維持組織はある。

 まんまに、警察だ。

 人類が作り出したシステムだが、神様たちもいたく気に入ったらしい。


「すみません、何かあったんですか」


 先ほどヴィクトリアさんたちが入っていったレストランの入口前、群衆をかき分けて進んだ先にはクラーク領の警官たちの姿があった。


「関係者ですか?」

「友人が先ほどこのレストランに食事に入っていって……アルバートという男なんですが」


 ヴィクトリアさんの名前を迂闊に出すと、場合によっては俺がF級であることが即バレする。そうなっては情報提供など到底望めない。

 すまんが名前を借りるぜ聖騎士様。まあ、今だけ友達ってことで頼む。


「特S級の聖騎士アルバート様のことですね! こちらでも確認しておりますが、所在が分からず……!」

「所在が、分からない?」


 思わず表情が歪む。

 警官はこちらにそっと顔を寄せて声を落とした。


「背信者たちの一味がここを襲撃した、というのはご存じですか」

「……それを聞いて来ました」

「どうもこのレストランにいらっしゃった神々を狙ったもので……その神々、お二方だったのですが、安否不明なのです」


 ……ヴィクトリアさんたちを狙ったというわけか。

 恐らく危機を察知していたのだろう。だからこそ、今日の話し合いの時は、俺とアルバートを部屋のすぐ外に置いていた。

 で、今これ。片手落ちにもほどがある。


「ありがとうございます」

「いえ、捜査の進展をお待ちいただければと」


 警官に軽く会釈をして、その場を去る。

 俺は通りの歩道で立ち止まると、周囲を見渡した後、感覚を鋭敏に張り、息を吸う。


 ……この地区内に絞れば、アルバートほどの実力者の気配を察知するのは容易だ。

 近くにいてくれよと念じながら、レストランを中心に置いて、意識を拡大させる。

 人々の喧騒や雑音の中に混じる、強者が持つ気配。

 それを見逃さぬよう慎重に探っていく。


 ……いた。

 少し離れている。戦闘中だ。


 俺は地面を軽く蹴って、すぐそばのビルの屋上まで跳び上がった。 

 近くにいた人々が何事かと俺を見上げて指さすが、今は構っている暇がない。

 最速で走り出し、アルバートのいる場所へと向かう。


 ぐっと引き寄せるようにして近づいてくるやつの姿は、路地裏で剣を片手に、顔を隠した男二人と戦っている最中だった。背信者だろう。

 聖騎士の鎧は血に濡れ、半壊している。


「貴様ら、何者だ……!」

「答える義理はないな、死ね」


 まさしくとどめが刺されようとするその刹那。


「でりゃああああああ――――――!!」


 とびきりの加速を加えて、俺はその男の片割れの顔面に靴底をお見舞いした。


「ぐばあっ!?」


 顔を陥没させ、鼻血をまき散らしながら男が転がっていく。

 俺はアルバートを庇う立ち位置に、地面を削り砕きながら着地した。


「新手か!?」

「アルバート、どうなってんだよこれ」


 もう一人の男がこちらへと剣を向ける中で、背後の聖騎士に問いかける。


「……ッ、僕の騎士としての力を阻害する、何かを撃ち込まれた……! 元々は、お二方を狙っていたんだが……!」

「ああ、なるほどOK。それを庇ったってことね」


 神様を庇うって馬鹿じゃねえのこいつ。

 そりゃ権能を阻害する何かはあっても不思議じゃないけど。俺が元いた世界でだって、善の神と悪の神の力は互いを食らい合う関係にあったし。


「それでそのザマかよ。神様たちなんて、本当は俺たちを守る立場だっていうのに、よく庇うぜ」

「……うる、さい」

「で、ヴィクトリアさんたちは?」

「つれ、さられた……! 追ってきたが、迎え撃たれて、このザマだ……! 頼む、トール……! お二方を……!」


 俺はそこで、顔だけ振り向いて、頬を血に染めて呻く聖騎士を見た。


「……バ~~ッカじゃねえの」

「は?」

「俺は護衛でも何でもないんだよ。力を振るう義理なんてない。何が起きたのかを把握するためにお前を助けに来ただけだ」

「…………っ!!」


 瞬間、騎士の顔が憤怒の赤に染まる。


「ああ、そうか。そうだよな、君に期待なんてした僕が馬鹿だった! いいやつだと、思ってたのに……!」


 そう言って、アルバートは剣を支えにして立ち上がろうとする。


「無理すんなって」


 彼を制止しながら、背信者の男へと顔を戻した。

 いつ来られてもいいように警戒はしていたが、読まれていたのか向こうは微動だにしなかった。

 あるいは、俺とアルバートの会話から情報を拾おうとしていたのかもしれない。


「ガキみたいな方は別にいいんだけどさ、金髪の綺麗で巨乳な姉ちゃんの方は返してくんない? あれ俺の上司だからさあ」

「……貴様も、神々如きに膝を屈した者か」

「神は嫌いだけど、ヴィクトリアさんはそうでもないんだわ」


 一歩前に進み出た。

 男が首を横に振った。


「ならぬ。あの二柱は、神を殺す方法を探るために必要な研究材料となる」

「……あっそ」


 目的を聞いて、一気に自分の頭の中の温度が下がるのが分かった。

 知ったところでロクでもない、そんなの聞いたってどうしようもねえよ、となるようなやり方なら教えてやれるんだけどな。


「時間切れだ。口封じにここで死んでもらう」


 俺が蹴り飛ばした男もゆっくりと立ち上がった。

 それだけではない、同じように顔を隠した男や女が十人以上、いつの間にか姿を現している。


 追っ手をここで殲滅して、ゆっくりと撤退するつもりなんだろう。

 ……こいつらが本当に神様相手に何か出来るとは思わない。

 だから俺は別に、単なるF級の労働者として、泣きながら逃げ出したっていい。逃げ切るのなんて目をつむってもできる。


 それでいい。それでいいはずだ。

 だけど。

 ヴィクトリアさんの顔が脳裏から離れない。


「チッ……」


 背後にアルバート。こいつを抱えて逃げるぐらいなら、まあ余裕か。

 この葛藤は、俺の足を縫い止めるものは、罪悪感なのだろうか。

 だとしたら今更過ぎる。

 アルバートだけでも助けてやれば、解消されるのか。気は晴れるのか。


 敵に囲まれつつあるというのに、思考がぐるぐると回っている。

 結論を出したくないと、自分の中のどこかが思っている。

 出てくる結論は自分にとってひどく不都合だと予感している。


「……君は!!」


 大声で怒鳴られ、ビクっと肩が跳ねた。

 いつまで経っても動かない俺の背中に向かって、聖騎士が、血を吐くような声色で叫んでいた。


「君の力は何かを壊すためのものかもしれないけど! 君という人間は、誰かを守ろうとしていたんじゃないのか!?」


 何を。

 出会って数日で、どこまでも傲慢なやつだ。

 俺の何を見透かした気分になってやがる。


「いつまでもしゃべくりやがって――もう死ね!」


 瞬間、顔を隠した男たちのうち一人が飛びかかってきた。

 視界の片隅にその姿を捉えながら、アルバートの言葉に反論しようとして、でも、できない。


 多分あの聖騎士様は、事情を分かってるわけじゃない。

 人間であるのなら、少しの時間でも仲良く出来た相手なら、きっとそうに違いないと思って叫んでいやがる。

 性善説にまるごと寄りかかった、甘ちゃんの戯れ言だ。


 最低だ。

 何が最低かっていえば、そりゃ、その指摘に反論できない自分が最低だ。


 スローモーションの世界の中で、背信者の男がゆっくり迫ってくる。

 このまま両断されるのも悪くない、はずだった。

 でも、違うと体が叫んでいる。


 こんな俺の管理官をしてくれて、

 こんな俺の面倒をよく見てくれて、

 こんな俺によく笑いかけてくれて、

 こんな俺と一緒に過ごす時間を作ってくれて、



 ヴィクトリアさんの顔が、かつての、遠い過去の、もう赤く染まった顔と重なった。



「──『狂影騎冠リベリオエッジ』ッ!!」



 権能の解放を、その名を叫ぶことで命じる。

 瞬時に俺の手の中に剣が現れ、揺らぎながら歪む黒い焔を纏う。


 調子の確認がてらに、ブン、と雑に剣を振った。

 飛び掛かってきた背信者の体が、空中で溶断された。


「……え……?」


 背信者たちがざわめき、警戒度を引き上げるのが分かった。

 そんなもの関係ない。

 呆然とこちらを見つめているアルバートに向かって、俺は背中越しに口を開く。


「おい、アルバート。いいか、一回しか言わねえぞ。今回だけお前の口車に乗ってやる」

「……何、の、話だ?」


 いい人が悪い人に踏みにじられるのが嫌なだけだ、と言ったな。

 そうだな。俺もそう思う。

 人じゃなくたってそうだ……いい神様が悪い人に踏みにじられるのは嫌だ。


「貴様……何だ!? あの女神共の犬ではないのか!?」


 戸惑いの声を上げる男たち。

 やつらの総数をざっと把握しながら、俺は剣を強く握る。


「その通り、女神ヴィクトリア様の犬っころだ。ただお前らの予想とは違って、ちゃんと予防接種受けてんだよ」


 解き放たれた悪意と怨嗟が、世界そのものを蝕みながら疾走を開始した。


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