第8話 F級の日常(後編)
俺たちが住むこの世界は、神様たちの中でも特別に偉い神様がそれぞれの領土を持って統治している。
俺やパトリシア、赤髪の勇者、そして聖騎士アルバートが暮らしているのは、クラーク領。これはそのまま、大戦神クラークが支配する地域を意味する。
正直、こっちの世界の神様たちのパワーバランスはよく分からない。
前世はなんかこう、『見つけたら殺す』みたいなテンションの神様ばっかりだったし。こっちに来てから、そういう連中ばっかりでもないんだなと知ってびっくりしたし。
そんなことを、俺は、パトリシアに稲妻のロープで空中に吊るされながら考えていた。
「オイ、この移動方法だけはないだろ」
「口答えする荷物なんて珍しいわね」
「やめろ揺らすな!」
パトリシア本人は空中を悠々と飛んでいた。
箒みたいな道具を使うこともせず、その体一つで自在に飛行している。
でもスカートの中は見えない。真っ黒になっている、恐らくそういう魔法だろう。
「ねえ本当に振り落とされたいの?」
「すみません!!」
視線を感じたらしく、パトリシアの声に棘が混じった。
もう誠心誠意謝ってなんとかするしかなくなった。悲しい。
そうこうしているうちに、パトリシアは街からずいぶんと離れた地点で高度を落とし、俺とともに着陸する。
「着いたわ。ここが大戦神クラークが自分のために造らせたと言われる練習場……私のために用意されたとしか思えないわね」
「オイ一行で矛盾してるって」
絶対にお前のためではねえよ。
確かにめちゃくちゃ広い空間だ。いくつかの山に囲まれているが、森林を切り拓いたのだろう。
「この縫合不全世界でも。こういう自然があるのね」
「縫合不全世界?」
「知らないの? ここは私たちのように、来世の選抜に漏れた人間の魂を勾留するための場所……だから出来損ないの世界だったり、寿命が僅かだったりする世界をつなぎ合わせて構築されているのよ」
へぇ〜そうなんだ。
ガチで知らなかった。
「それで縫合不全世界っていうんだな」
「ええ、私はそう呼んでいるわ」
「お前が勝手に呼んでるだけかよ!!」
大事そうなワードを捏造してこないでほしい。
カスの嘘をついてくるお姉さんじゃないんだからさ。
「でもつぎはぎとはいえ、いくつもの世界を組み合わせているだけあって広大さだけは素晴らしいわね。こんなに広い舞台を用意してくれるんだもの」
そう言って、彼女はふわりと笑った。
「じゃあ、準備なさい」
「えぇー……」
困惑している間にも、パトリシアから魔力の高まりを感じた。
こいつ制限下とはいえ、普通に戦闘用に練ってるな……俺をここで殺して埋めるつもりなのか?
「"爆ぜるはクロネの木"、"愚者への制裁に誇りはなく"、"私はテルーバの丘に立つ"」
三節の詠唱が紡がれる。
出身世界によって魔法の過程は様々だが、パトリシアは魔力の伝達工程や発生現象を見る分には詠唱破棄が可能なタイプだ。
ていうか今朝は破棄してたし。
つまり破棄していい詠唱をわざわざしたということは、その分の見返りがあるということだろう。
最たる例は威力の確保。だが相手はそもそも魔法の天才。
ならば、おのずと結論は絞られてくる。
「……お前、その詠唱ってかっこいいからやってる?」
「ええ、当然よ」
こいつ! 趣味で詠唱するタイプの魔法使いだ!
「お前みたいなやつが実力きちんと持ってるのか一番タチ悪ぃんだよ!」
「分かってるじゃない。そう、何を隠そう私はタチの悪い天才魔法使いよ」
「過剰に見える自信が実は当然なのもタチ悪ぃ!」
こういうやつ大体クソほど強かった、思い出したくもない。
俺が慌てて距離を取る間に、パトリシアは魔法陣をいくつも展開して魔法構築式の精度を高めていく。
「『オーバーレイ・ハウンドドッグ』……私が独自に構築した魔法よ、しっかり味わいなさい」
その言葉とともに放たれた、漆黒の稲妻。
空間を砕きながら疾走してきたそれらを、俺は近距離戦を行うボクサーのように上体を振り回して避ける。
「……ッ!」
だが、やはり回避行動は読まれていた。
こちらの動きを予想に組み込んだ射線で放たれていた雷撃。
俺はそれに対して、片腕を払って対応する。
バチバチッ! と激しい音を立てて、雷撃がかき消えた。
厳密に言えば、俺の腕と接触した瞬間に雷撃が出力を増したのだが。
「今のも対策か?」
「ええ、接触した瞬間に魔法が劣化していくのなら、接触の瞬間に出力を跳ね上げさせれば相殺できないかと思ったのだけれど」
「…………」
俺は内心で彼女の警戒度を二段階ほど引き上げた。
外から見れば、俺は相手の魔法や武器を腐敗、腐食させている。
だが彼女が何気なく使った言葉こそが正しい。
俺が普段使っているこの力は、対象を劣化させるものだ。
ゲームっぽく言えば、存在そのものに際限なくデバフをかけていく……といったところか。フル出力で使うと、俺がいるだけで周辺の草木が枯れ果てていき、生物は細胞単位で壊死していくことになる。
「こういうのはどうかしら」
パトリシアは、指揮者のような優美な動きで宙に指を走らせた。
展開された魔法陣が構築式に従って魔力を練り上げ、稲妻を形成して解き放つ。
それらすべてを、回避し、ねじ切り、叩き落とす。
「硬度を上げても速度を上げてもダメ……厄介な力ね」
「超便利だけどな。死体を残さず殺したい相手とかいたら相談してくれよ」
「それぐらい自分でできるわよ」
同時、彼女が右腕を振るった。
形成された雷撃が一度天空へと上り、それからまさしく無数の落雷となって俺へと降り注いだ。
足元の地面が爆発し、砂煙が視界を覆う。
「……物理的威力なら貫通して直接ダメージを与えられるんじゃないか、と思ったのだけれど」
砂煙が晴れた先では、腕を組み悩ましげな表情を浮かべるパトリシアの姿があった。
俺の体は、落雷の衝撃で地面から飛び散った砂まみれになっていた。だが服には焦げた跡一つすらない。
「物理的な衝撃波も劣化させることができるのね。そして泥がついているということは、ある程度対象を自動で判別することも可能……」
「なあこの服どうしてくれるの? 弁償しろよお前」
「であるならば、あなたの力が劣化させない対象に偽装すれば、攻撃を通せる……?」
「話聞けよ」
ただでさえ数が少ない普段着なのに、もうぐちゃぐちゃなんだけど。
つーかこれで帰ったら、俺寮母さんに殺されると思う。
「うるさい男ね、一張羅なわけでもないでしょうに。むしろ砂まみれの方が男前よ」
「そうか? 意外と働く男が好きなんだな」
「あなたの顔の表面積が減っていれば、魅力的になるのは当然でしょう?」
「悪口じゃん」
泣きそうになった。
なんでそこまで言われなきゃいけないんだ。
「……仕方ないわね。"せせらぎの音は妖精の羽音"」
パトリシアが左腕を振るうと、たちどころに出現した水が俺の服から砂を拭い去っていく。
水分を精確に操っているのだろう、汚れは取れたのに服には濡れたシミ一つない。
「おお、ありがとな。本当に便利だな魔法……」
「今の水は劣化しないのね。もしかして自動判別ではなく、瞬間的に自分で判断している……だとしたら意識外からの攻撃なら……」
日常のさりげない動作から弱点を見抜こうとするのやめろ。
普通に怖いんだよ。
考察に没頭し始めたパトリシアを放置して、俺はその場に座り込み、空を見上げた。
神様によって造られた箱庭の空は、どこまでいっても偽物である。
正直、これならパトリシアの髪の方がずっと綺麗だ。
「まあ、対策練るのは自由だけど。制限を外したお前と俺が戦うのなら、根本的な出力勝負になるんじゃない?」
「……私相手にそれを言える存在がどれだけいるのか、全然分かっていなさそうね」
肩をすくめた後に、彼女はこっちへと近づいてくると、俺の隣にしゃがみこんだ。
「ねえ、トール」
「うん?」
「その力、あなたは何のために持っているの?」
「……理由なんてないよ」
本当に、理由なんてない。
今はもう不要な力だ。
「誰かを救うために、とカッコつけることもできないなんて。つまらない男ね」
「何を言いやがる、俺ほど面白い男もいないぞ。昔、姉さんに彼氏できるのが嫌すぎて、一周半ぐらい回って俺が彼氏になろうとしてたぐらいだからな」
「それは面白い男ではなくおかしい男よ」
パトリシアの顔はドン引きしていた。
「まあ、誰かのために使うことなんてないだろうし……そもそも、この力を使わなきゃいけない場面もそんなにないだろうからな」
パトリシアの魔法だったりひったくりのナイフだったり、力を使わずとも対応はできたと思ってる。
単純に楽なので、出力をセーブしている状態なら多用しているだけだ。
これがもっとガチの戦闘だった場合、使う理由は特にない。
「それを使わなければ倒せない相手がいない、ということかしら。随分と余裕ね」
「いや戦う立場にいないからね俺が」
「でも例えば、半年前の大災害……あの『泥の巨神』相手ならどうかしら」
「…………!」
俺は思わず硬直して、パトリシアを見た。
バカな……誰も知らないはずだ。
「いやまあ……そうだな」
半年前に、クラーク領に顕現し壊滅的な被害をもたらす寸前までいった巨神。
ついにはクラーク勢力に属する、戦いを得意とする神々が直接出張るところまでいきかけた。
だが、結局は何者かによって討ち果たされた。
それを成し遂げたのが誰なのかは、パトリシアは当然、ヴィクトリアさんだって知らないはずだ。
俺も、知らない。
制限がかかる前に能力全ブッパしてたのがバレるとめちゃくちゃ怒られるから。
だから、知らないったら知らないのである。
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