第7話 F級の日常(前編)

 アルバートと知り合って数日後。

 俺はいつも通り、狭苦しいアパートの一室で目を覚ましていた。

 厳密にいえば、カンカンカン!! とけたたましく鳴り響く金属音によって無理矢理覚醒させられていた。


「起きなゴミクズ! 朝起きれねえなら死にな!」

「うっせえんだよクソが……!」


 ドア越しに聞こえる怒鳴り声に顔をしかめながら、俺はベッドから起き上がる。

 騒音とか言ってる場合じゃない。騒がしい音の領域は遥かに超えている。


 俺が住んでいるのは、F級の人間用に割り当てられているボロアパートだ。

 清掃業者の社員寮として扱われているものの、実態は俺のように人権をほとんど奪われた存在が押し込まれるタコ部屋である。


 そしてここに住む人間は、平日だろうと休日だろうと毎朝決まった時間に叩き起こされる。

 寮母さんがフライパンをガンガン鳴らして、素敵なモーニングコールをしてくれるからだ。死なねえかな。


「出てきなトール! 休日だからって怠惰なことしてたら許さないからね!」

「はいはい、今出るって……」


 寝間着姿のままドアを開けると、狭い廊下の中央で仁王立ちする、フリフリのエプロンを着た幼女の姿が目に入る。

 こちらの方こそ、我らが寮母さんだ。長命種なので、実年齢は200歳ぐらいらしい。


「よーし、今日は早く出てきたじゃないか。アンタの目玉焼きは半熟にしてやるよ!」

「お、そりゃ嬉しいな……そうだ寮母さん、俺ご飯食べたら出かけてくるけど、なんか買ってきてほしいものとかある?」

「おつかいがしたいのかい? アンタにゃまだ早いよ! さっさとよちよち歩きを卒業しな!」


 ひでえ言われようだ。

 まあ、寮母さんがこういう性格なおかげで、他のF級の住民たちも食事だけはできているわけだが。


 ……俺のように、社会奉仕活動などを通して来世を補填しようとするやつは、実のところ少数派だ。

 前世で悪行に手を染めた連中なだけあって、そこにはどうしようもない性格のねじれや、怠惰や、諦めが染みついている。

 いまさら何をしたって、とただ来世が決まる日々を待つだけで、部屋から出てこようとしないやつだっている。


「寮母さんはさ……俺がゴミ拾いしてても笑わないよね」


 ついこぼれた言葉に、彼女は首を傾げた。


「当たり前でしょうが。アンタなんて、あたしからすりゃ精通も迎えてないガキなんだから。ガキの間は失敗してもいいから、なんでも挑みな!」


 ガハハ! と笑い、背伸びして俺の腰あたりをバシバシと叩く寮母さん。

 俺はふっと笑った。


 もうちょい別の言い方でガキを例えてほしかったわ。


 ◇


 他のF級連中とぽつぽつ話しながら朝食を終えた後。

 俺は自分で使った食器を洗い、部屋に戻って着替えてからアパートを出た。

 外から見れば、木造二階建てのこの寮のボロさがよく分かる。


 周辺も一応は住宅街であるものの、位階の低い連中が住んでいる区域だから正直活気がない。つーか空が広い。高い建物が建っていないからだ。

 都市部へと近づけば、やはり高いビルが目立つようになる。

 とはいえ、そのうちいくつかは半ばでへし折られて修復中だ。


 半年前に大きな災害があった。

 死後の魂が招かれるこの世界には、当然ながら、生きているだけで害を撒き散らす災害みたいなやつも紛れ込むことがある。


 その中でも、ここ数千年で最悪規模のやつが半年前に来たのだ。

 都市のいくつかを壊滅寸前に追い詰めたらしいそいつとの戦いは――


「あら、珍しい顔ね」


 声をかけられて、思考が途切れた。

 顔を向けると、澄み渡った空のように青い髪が優美に翻った。

 どうやってこの低賃金環境でこれだけ綺麗なロングヘアを維持しているのか分からない、同じF級の女。

 いつも通りの黒いドレス姿で、彼女は俺を待っていたかのように佇んでいる。


「『雷鎖らいさ厄災姫ヴァルキュリア』じゃん(笑)」


 俺が半笑いで告げると同時に、無詠唱でぶっぱなされた雷撃魔法が頬を掠めた。


「もう一回言ってごらんなさい」

「悪かった。今のは、完全に俺が馬鹿だった」


 俺は両手を上げて降参した。

 パトリシア――パトリシア・フロントラインというのがフルネームだったか。

 それすら、この間アルバートに聞いて初めて知った。


「お前何してんの?」

「あなたが住んでいるボロ小屋を見に来たのよ。ギリギリ建物ではあるのね」

「想定のラインどんだけ低かったんだよ」


 家なき子で清掃活動やってたら、もう無理だよ。色々と。


「今日は少し付き合ってくれるかしら」

「ハハッ、そっちこそ珍しいな。じゃあ俺帰るから」

「せめて言い訳をして立ち去りなさい」


 踵を返してその場から離れようとした俺の体を、稲妻の鎖が瞬時に拘束した。

 俺に触れる端から溶け落ちていく雷撃だが、その瞬間に復元されていく。


「……ッ!? お前なんか、対策してない!?」

「当然でしょう。あなたが力を行使するのを見たからには、対策するのは当然よ」


 こいつ本当に魔法使いとしては天才だな……その才能を他のことに生かしてほしかったが……


「大体あなた、たった今家を出たばかりでしょう。すぐに戻ったら、寮母さんに怒られるわよ」

「なんでウチの寮母さんのことまで知ってるんだよ」


 パトリシアは黙って俺の家を指さした。


『いつまでチンタラしてるんだい! さっさと出た出た! 共用スペースでグダグダしたいなら、地中に埋めてやるから名乗り上げな! アンタらの上に大輪の花を育て上げてやるよ!』


 ああ……全部外まで響いてるんだこれ……

 この区域に人があんまり住まない最大の原因、これな気がしてきたな。


「じゃあ行きましょうか」

「分かった、逃げないからもう拘束解いてくれ」

「私、前世で犬を飼っていたのよね」

「懐かしむのは勝手だけどさあ!」


 俺を犬代わりにするのは色々と問題があるだろ。

 まず俺、芸ができねえよ。


「はいはい。じゃあ、行くわよ」


 無事に魔法が解除され、俺は自由の身となった。

 とはいえ逃げ出そうものなら、次こそ攻撃魔法が飛んでくるだろう。


「ったく……人の休日を何だと思ってんだか」

「大した用事なんてないでしょう?」


 まあ、ない。

 適当にウィンドウショッピングでもしようと思ってたし。


「そういうお前は、俺をどこに連れて行こうとしてるんだよ」

「ちょっと遠くまで行くわ。誰にも迷惑をかけない場所で、魔法の試し撃ちよ」

「ほーん」


 勤勉なこった。

 どうせ生まれ変わったら引き継がれない能力だってのに。


 …………ん?


「あっちょっと待ってお前試し撃ちの的に俺を使おうとしてるだろ! ふざっ……ぎゃああああもう拘束されてる!」

「速くて強いけど当てても壊れない的なんて、逃すはずがないでしょう?」


 そう言って微笑むパトリシアの顔は、アルバートの言葉なんて全部嘘っぱちなんじゃないかと思えるほどに楽しそうだった。

 本当に……都市を焼く天使ってこんな顔だったんだろうなあ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る