第48話夢のまた夢

 その日、秀繁は小春とともに将棋を打っていた。

 老後の楽しみとして遊戯をしようにもそれぞれにまだ忙しく、もっぱら秀繁のお遊びのお相手は小春である。

 最初に小春に将棋を教えたのは秀繁であったが、立場が逆転するのにそう時間はかからなかった。今では秀繁に対し小春が指導棋士をするような形であり、負けるたびに秀繁は再戦を申し込むため、小春はほどほどにやって手を抜いてたまには秀繁に花をもたせてやるのであった。


「これで何敗目だ?」


「もう数えてないですわ」


「そうか……」


 我ながら秀繁は可笑おかしい。

 秀繁は実際の戦場では、云わば『連戦連勝の常勝将軍』であった。それが遊戯の戦争となると連敗将軍である。秀繁の駒は何回も捕虜となることを強いられ、秀繁を裏切り、そして敵として向かってくるのであった。


「これが実際の戦場なら、私はただの一戦でとりこだな」


 そして、本当にただの一戦で虜となったことを思い出す。


「歩を守るために王将が虜となる、か」


 それがいかに戦乱の世で滑稽であるか、秀繁は自分の行った行為を懐かしむ。


「なにひとり、ぶつぶつ言うて笑うてるんですか。ニヤニヤして気持ち悪いですよ」


 小春が言う。


「なに、少し昔を思い出して笑っただけだ」


 すべてが懐かしい。

 この時代に転生してきてもう半世紀が過ぎようとしている。

 ヒョロガリだった自分が、戦国武将となり、その生をまっとうしている。

 それだけで可笑おかしいではないか。

 

「いややわ、いまさら昔を思い出して笑うなんて。前だけ向いて歩いていったほうがええんとちゃいます?」


「たまには昔話でもしよう。たとえばそなたと初めて会ったときなど」


「えー、今更婚礼のときの話なんてします?」


「まあいいではないか」


「婚礼のときは不満しかなかったですけど、グチグチ今更聞かされたいですか? 気分悪くなってもしりませんよ」


「う、む」


 秀繁は考え込んだ。寝た子を起こすような真似をあんまりしない方が良いだろう。


「では、やめてもう一勝負としゃれこもう」


「記録が伸びるだけですよ」


 秀繁が駒を取ろうとしたとき目の前が真っ暗になった。

 今まで襲ってきたことのない違和感。

 その違和感さえ感じなくなり、そして意識もなくなる。


「お、おまえさま!?」




※※※※※




「長い夢を見ていたようだ」


 意識を取り戻した秀繁の表情は、これから死を迎えることを容易に受け入れているかのようであった。


「ウチはまだ、おまえさまと夢を見ていたいです」


 小春は夫が死を迎えることを受け入れられない。


「そなたの夢ももうすぐ終わる。先に私が見果てるだけだ」


 そう言って秀繁は妻の涙を手で拭う。


「小春よ、よくぞ私と添い遂げてくれた。いろいろ思うところもあるだろうが、私はそなたと夫婦になれて良かったと思っておる。初陣で虜となり、そなたを娶り、義父を斬り、謹慎し、天下統一のための駒となり、子をもうけ、親に背き、そして今、死のうとしている」


 死という言葉に小春を創り上げるものすべてが凍り付く。

 その言葉・・・・はあえて使わずにおいた禁句であるからだ。


「どうだ、今一度大宴会でもして騒いでくれぬか。そなたはその羽柴家・・・の家風が好きであったろう」


「なにを馬鹿げたことを!」


「なに、最期くらい感情を爆発してやらないとそなたが私の死後までもグチグチいうであろう」


(そうか、主は逝くのか。主は最期に自分へ思いを込めてくれているのだ)





「では、これから皆を呼んで宴を開きますか!」


 そういうと小春は酒宴の用意をさせた。追っ付け琴や駒、子供たちや重臣たちも駆けつけて来るであろう。


「生まれた時は自分が泣き周りが笑い、死ぬときは周りが泣き自分が笑うものだとはよくいう。しかし私は死ぬときも周りに笑っていて欲しい」


「言われずともわかってます! もう何年、何十年の付き合いだと思っとるんですか!」


 小春は涙をポロポロと流しながら言った。




「おまえさま、覚えておいでですか。ウチの父をおまえさまが討ったとき、最期までついて来てくれるかと尋ねられたことを」


「うむ」


「小春は最期まで……おまえさまにしっかりとついて来ましたよ」


「ふふ、まるで昨日のことのようだ」


 そうだ、小春を娶り、義父を討ったのは天正十年……そして今は……


 そう考えている間に秀繁の意識は再び混濁してきた。

「おまえさま、聞こえていますか?おまえさま……ぉ……」


「小春、ありがとう。来世があったら……」


 秀繁はそう言ったが、言ったつもりだったのかもしれない。その言葉は、小春の耳に届くには小さすぎた。


 小春はひとりで看取り終わり、縁側へと出る。

 小雨がぱらつき、やがて本格的な雨となって来た。


「政所さま、お風邪を召しますよ!」


 秀繁の死を知らない侍女が慌ててやって来た。


「おまえさまの嘘つき。ウチをひとりにしないと約束したのに……」


 上空に、小春は両手を掲げた。

 雨は、日ノ本を統一し、安寧をもたらした大英雄の死に、涙しているようでもある。


「ほら、天の神さまも泣いてはるんやわ……」


 ずぶ濡れのまま、彼女は夫の元に戻った。


 そして、その唇に自分のそれを重ねた。


 それから、愛おしげに頬を撫でながら言う。


「ありがとう、秀繁さま・・・・。ウチに夢のような時間を与えてくださって」




 数奇な運命を強いられることとなった若者は青年となり、戦国武将となり、そして天下人となり、人臣位を極め、自分の改革の成果のすべてを見ることはなく、最期の眠りにつき、今彼の時計は時を刻むのをやめた。

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