第42話大坂の変
『豊臣秀繁、関白殿下に反す』の報は全国に飛び散った。
しかし一方で諸侯は在坂中であり、静観を決め込むものが多く、初期は国許から兵を出そうというものはいなかった。あくまで豊臣家のお家騒動だと思ったものが多かったのだ。
そして最初に優勢だったのは、秀吉の方であった。
秀吉は討伐隊を差し向け秀繁を討とうとする。しかし、秀繁の直属の配下である大吾郎率いる明智兵がそれを受け付けない。そして寧々が、子飼いの者を秀繁勢に組させたことから膠着状態に陥った。
その膠着状態に変化が訪れたのは駿府から秀繁の軍勢本体が、そして関東から北条軍が加勢にやって来たことであった。しかし秀繁の主だった武将は在坂であり、だれが率いてきたのかわからない。
率いてきたのは北条氏直と、側室であるがゆえに駿府に留まっていた琴であった。
「長年、兵書の研究をしてきた甲斐がありました……」
なるほど琴なら女の身である事を除けば駿府勢と北条勢両方率いるだけの血統と兵学の知識があるやもしれない。
「わが妹ながら、なんとお転婆でそれでいて凛々しい」
そう言ったのは援軍としてやってきた琴の兄、氏直である。
「秀繁さま、今回の豊臣家の内乱に置いて我が北条家は多大な貢献をしたことになりますな」
義兄である氏直は言った。
「そうですな」
「そこでひとつ所望したいものがござる」
「ほう何ですか」
「拙者は病弱で明日をも知れぬ身。子供も娘しか居りませぬ。できれば秀繁さまと琴の子、文叔丸を我が家の後嗣としたいのでござる」
大身北条家が意外な申し出をしてくるものだ。琴は北条家の皆は頭が固いと言っていたが当主である氏直はどうやら例外であるようだ。
「あの妹の子なら北条を継ぐのに不足はないでしょう」
氏直は微笑し、
「北条は大身で100年続いてあるがゆえに頭が固いものが多い。秀繁さまとあのお転婆の子ならそういったしがらみからも逃れられ、無縁で居られるのではないですか。たとえ北条が
と言った。
「私に残された時間は、少ないようです。しかしながら、死を間際にしたからこそ見えてくるものもある。実は、あなたの書いた本を入手し読みました。それはとても興味深かった。南蛮人が我が家にやってきましたが、南蛮の知識でもないらしい。そして、その本を書ける知識は、この世であなたしかもっていない」
私はこれでも、あなたが何者で何を考えているかを解っているつもりなのですよ、と氏直はこそっと呟く。
秀繁は明確な返答は今は避けた。
「とにかく、今は大坂城を攻略することから始めましょう」
大坂城を一番よく知るものは、実際に普請した者たちであるだろう。
次いで秀吉、そして3番目は秀繁である。
そして3番目に知っている秀繁が知っていることといえば、『大坂城に現段階で弱点はない』ということであった。大坂城は攻められることを想定した城である。徳川家康が使った講和からの堀埋めは使えそうにないし、
しかしながら、大坂城には10万を越す兵士に加えて、これまた10万人を越す使用人・召使いがいるのである。本来、徳川家康が秀頼を潰した時よりも、文字通り桁違いの人の多さである。
秀吉全盛期の大坂城の備蓄米の正確な数は定かではない。
だが、一日に費やす食糧は米だけで500石近く。これが仇となった。
そこで秀繁が取ったのは、徹底的な持久戦であった。
ことごとく大坂城に入る物資を止め、それでいて自軍には全国各地から兵糧を送らせる。水路を堰き止め、そして大坂城の食料貯蔵庫にはことごとく火矢を放った。秀吉が今までやってきた三木城の餓殺しを、規模を戦国最大に変えてやろうというのだ。
秀吉勢は討って出ようにも、武勇に長けた武将が不足している。
加藤清正を始め、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明などはすべて秀繁に付いているのだ。
それでも精気に満ち溢れた往年の秀吉であれば、手詰まりになる前にみずから積極策をとったであろう。しかし寄る年波がそうさせたのか、秀吉は日本各地からの援軍とともに内と外から秀繁を討つことにした。
ここで今上天皇として即位していた、秀繁のシンパ・智仁が彼に有利になるよう勅許を出した。賊軍こそあえて明記しなかったものの、官軍は秀繁である、と。
様子見を続けていた諸大名も、秀繁有利と見るや掌を返したかのように国許から軍勢を引き連れ秀繁方につく。それは秀吉に讒言や中傷を繰り返していたと思われる、秀繁が潜在的に敵であると思っていたものですら、秀繁についたのである。
刻が経てばたつほど秀繁が有利になる。
同時に秀繁は秀吉の命数も図っていたかもしれない。
――早く降伏してくれ
その想いに偽りはない。
もし秀吉が城内にいるものを人質として使えば、形成もいくらか逆転するやもしれない。
関ヶ原の石田三成とは違い、往年の秀吉であれば自害するものが出たとしても、実行し続けるのをためらうこともないであろう。
膠着状態が幾ら続いたか。
猫の子一匹入れない徹底した包囲でここまで来ると、大坂城は食料どころか情報すらも入ってこない状況となった。
そうしているうちに西の丸から出火した。事態の収拾をはかった寧々の手のものがわざと火をつけたのである。それを機に秀繁軍は飢え始めた秀吉軍を襲い、大坂城を侵略していった。
秀吉が隠れていたのは、後年秀頼がそうしたように厩であった。
秀繁は供を連れて、その厩へと足を向けた。
「父上、命まで頂こうと思っておるわけではありません。ただ、父上の重荷になっているその地位を、私に少しばかり預けて頂けたらと思っております」
「わしは、一代で天下を取った成り上がり者。せがれすらも信用せず、権力のために生きてきた。そなたはわしにとって、縁もゆかりもないものかもしれぬ。じゃが、そなたがいなければ定まる天下も定まらなかったと聴いた。わしのせがれを
「父上。父上がどう思おうと、私は父上をこの世で母の次に愛し、この世で一番敬い尊んできたものです。だからこそ私は何かであなたに勝ち、あなたの上を行き、そして越えなければならなかった」
秀繁は
天下人の威圧感と、その後継者の威圧感がぶつかり、父のそれが息子に吸収されていく。
『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス』
父は、もはや囀ることをしなくなった鳥を相手に手練手管を駆使し、試みようとしている節もある。
往年の威厳の片鱗が一時蘇った秀吉であったが、一瞬硬直したあと急速に弛緩し、がっくりと肩をうな垂れた。
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