第39話歴史の本道

「秀吉公は狂われたというより歴史の本道に戻られた、ということかもしれません」


 相も変わらず秀繁の知恵袋は、半右衛門である。


「以前に申したことがありますが、秀吉公は愛憎深きお方。そして人を愛する力が強い方ほど、人を憎む力も強いものです」


「そして私が、豊臣秀次の代わりになるかもしれぬ、ということか」


 その問いに半右衛門は深くうなずいた。

 考えていた中でも最悪のパターンだ。

 だが、『考えていた中』であるだけ、まだマシであるはずでもある。


「本道に戻られた秀吉公は、秀繁さまが元々いなかったことに勘づき始め、存在を否定し疎んじ始めているのでしょう」


 神妙な面持ちで、ふざけた様子はない。

 それはそうであろう。秀吉が本道に戻ったとするのであれば、神子田半右衛門という人物自体が存在を軽んじられ、疎んじ、否定されるべきものなのだ。その一族ごと消されるやもしれない。


「だが私は正妻である母・寧々から生まれたものであろう。そして母から生まれた私を、処刑しようとするものだろうか」


「お家騒動というものは、えてして年の離れた兄弟が一因になることが多いのです」


 そういうと半右衛門は、頭をポリポリと搔いた。

 秀繁もそれは聴いたことがある。だが、実際自分の身に降りかかってみないとわからないことがあるのも確かだ。

 正妻の腹から生まれた嫡男で、能力も申し分ないはずの自分が、ここで、ここまで来てリタイアすることなどあるのだろうか?


「あなたは荒木村重に囚われたことを始めとし、さまざまな事象を変えたり変えられたりとしてきた。ここで秀次公の代わりとなりうることも、頭の中に入れて置くべきでした」


「その言い方だと、ハナから諦めているようじゃないか」


「諦めているわけではありません。あなたが正妻・寧々さまの子供であるならば、味方であるものもその寧々さまとその周りに侍る者でありましょう」


「母を頼れ、と?」


「関ヶ原を思い出されよ。あれは徳川家康と石田三成の戦いではありましたが、寧々さまと茶々どのの豊臣家の奥の院の代理戦争でもありました」


 半右衛門はコホンとひとつ咳払いをして、


「今回も同様です。実際に戦はしませんが豊臣家内の宮廷闘争です。唐土もろこしでは親子間で戦うなど日常茶飯事です。それを全く知らぬ存ぜぬで押し通そうとしても無駄ですぞ」


 知識としては無論秀繁は知っているはずではあった。だが、嫡男であるはずの自分が事実として宮廷闘争に巻き込まれようとは考えが及ばなかった。

 それほど、拾の母である淀の方というのは魅惑的なのであろうか。

 自分の実母・・である寧々を差し置いてまで?

 あの人好きそうで、世話好きで、糟糠の妻の母。

 その嫡子である自分よりも、拾を優先するとは秀吉はやはり……


 困惑した表情を隠しながらも、秀繁は二の丸にいる実母を訪ねることとした。



「秀繁どの、殿下が倒れられ発狂したと聞き及んでおります。私も今殿下のもとに参ろうとしたところです。そなたは大丈夫でしたか」


「はっ、父上は少しだけ・・・・狂乱いたしましたが、私はいたって無事です」


 そして秀繁は自分が辿ってきた道が間違いであったのかと考えを反復しながらも、覚悟を決めた。


「母上、私は近いうちに父上と対立し、罪を着せられるかもしれません」


 えっ、と寧々は驚いた。

 それはそうであろう。実の子が、実父を仮想敵として認識し始めている。


「東北平定の前に母上はひとつだけ願い事を聴いてくれると申しました。私には今がそのときだと思います。私にお味方願えますでしょうか」


 寧々は無言である。


「父上が私に罪を着せたとき、母上が懇意にしている大名たちを私の味方に付くよう根回ししていただけませんか」


「そなたは父上に向かって謀反するのですか」


「そうではありません。私は無実の罪を、被るかもしれないのです。残念ながら、父上は往年の判断力を失っているように私には思えます。母上はどうお思いですか」


「それは……」


 寧々は絶句し、声を失った。

 どちらを応援するべきか。苦難をともに乗り越えてきた夫か、腹を痛めて産んだ実子か。

 そして喉から絞り出した。


「聴かなかったことにしましょう」


「母上!」


「そのときの理やら非によって、私は如何ようにもあなたの味方をします。ただ、今は聴かなかったことにいたしましょう。殿下は狂われてしまわれたかもしれない。だけれども、十が十あなたが正しいとも今の私には断言できません」


「母上……」


 結局、秀繁の内交・・は母に対しても確実とは言い難い成果であった。

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