第38話日ノ本を五つに

 秀吉は秀繁の説得に応じたためか、明そして朝鮮を攻めることを開始しなかった。

 そしてそのため秀繁の日常は変わらない。

 写本し、教育し、食って寝る。

 四国の教育総監に信親、九州に宗茂、あとは関東と東北にそれぞれ大吾郎と半兵衛を派遣し、自分は畿内を感化させていけばよい。そうすれば日本の教育水準は一気に高まるであろう。


 そんなことを考えているうちに小春との間におまけ姫が、琴との間に文叔丸ぶんしゅくまるが産まれ、秀吉と茶々との間には第三子が生まれた。ひろい、のちの秀頼である。


 秀吉57歳のときの子である。

 もし秀繁が転生する前にも豊臣家の血を引いていたとすれば、元をたどれば秀頼のであることは間違いない。自分の直接の先祖が生まれたときに立ち会い、そしてそれが立場が変わり弟として生まれてきたことに秀繁は奇妙な違和感と喜びを感じるのであった。


 諸大名は参賀に訪れ、豊臣家の柱石が増えることに内心はどうあれ、こぞって祝賀を述べた。もちろん秀繁も例外ではない。


「父上、拾の誕生まことにおめでとうござりまする」


「うむ秀繁、謝辞は素直に受け取っておくことにしよう」


 そういう秀吉は年齢とは比べ物にならないくらい衰えている。この状態で果たして父は本当に子供が作れたのか。拾は本当に父のでできたものなのか。


(長年の多淫が、衰え具合を甚だしくしているのだ)


 腎虚じんきょ

 そういう声は秀繁にも入ってきている。秀吉は夜に女を手放して寝ることは一度もなかった。戦場にも愛妾たちを連れていく始末であった。

 その割に子供は少ない。現代では男性不妊症と診断される身であろう。


「秀繁よ、子ができるのは嬉しいものだ。ましてや歳を重ねてからの子供は格別である」


「は、まことに」


「本当にわかっておるのか。そなたの年ではまだこの気持ちはわかるものではない。ましてや、わかってたまるものではない」


 秀吉はそう言って首をわずかに傾げ微笑を浮かべた。


「こうしようではないか。日ノ本を五つにわけ、そのうち四つをそなたにやろう。そして残った一つを拾にやってはくれまいか」


 それは日本史を少し学んでいた秀繁にとっては、どこかで聞いたことのあるフレーズだった。


「そなたにも娘が生まれたと聴く。拾とその娘を夫婦にしてやってはくれぬか」


 とある逸話が思い出された。

 元の歴史では処刑された豊臣秀次も、娘を秀頼に嫁がせるように言われたのだ。

 生母こそ違えど叔父と姪の関係であるはずだ。これは秀吉の何かが狂いだしている。


――自分も、秀次と同じ末路を辿る?


 かすかな不安が秀繁の脳裏を奔る。


「それと……」


 言葉を言い終えずに秀吉は痙攣けいれん眩暈めまいを起こし、その場に倒れこみかけた。秀繁は崩れ落ちる寸前の秀吉を受け止め、意識を確認するため何度も呼び掛ける。


「父上、父上。大丈夫でございますか」


 言うと同時に侍医を呼ぶ。

 糸脈などという胡散臭いものを使わない、秀繁が父のために選抜した実務経験豊かな医師であった。


「う、うむ」


 秀吉は目の焦点が合っていない。

 それでもぼんやりと自分を支えているものが見えて来る。

 見たことのない顔……


「お前はだれだ? わしを父と呼ぶか。わしの子は鶴松と拾しかおらん。わしを父と呼ぶおまえはだれだ!?」


 目の焦点が合った秀吉は、秀繁の顔が映るなりそう叫んだ。

 元々日本三大大音声と言われた男が叱りつけるように、それでいて恐怖を伴って大声を出すのだ。

 それは、大坂城中に鳴り響いた。


「曲者がおる! 出会え、出会え!」


 すぐさま秀吉の側近のものが幾人も出張ってきた。

 しかし辺りを見渡しても見えるのは、秀吉とその嫡男だけである。


「関白殿下、くせ者はどこでございますか」


「ほれ、ここにおる。不届きにもわしを父と呼んでおる」


 側近のものは皆互いに互いを見やっている。2拍ほど置いて一人のものが口を開いた。


「殿下、その御方は豊臣秀繁さまでございます。殿下の御嫡子でございます」


「わしにこのような歳の嫡子がおったか?」


「は、天下の庶民でも知り聞き及んでおります」


「そうか、わしには拾以外に子供がいたのか」


 秀吉はほうけた。彼は不可思議な夢を見た子供のような顔をしている。


 ポタポタと秀吉の袴から水が垂れている。

 

 失禁!


 老衰、そして未だ見ぬはずであった嫡男の成人した姿への畏怖と、もの恐ろしさ。

 天下人である男の悲しいまでの衰えがそこにはある。


 一方、彼の後継者は『来るべき時が来てしまったか』と少し覚悟を固めざるを得ない。

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