第37話第二の秀吉

「おお、来たか秀繁……」


 秀吉は憔悴しきって、頬はこけている。


「聞いたか、今度大明国を征伐するのじゃ」


「は、父上の使者から聞き及んでおりまする」


「使者、使者か……そうじゃわしが使者を出したのじゃ」


 これが英気に満ち溢れた天下統一を成し遂げた者と同一人物であるかと疑うほどに秀吉は人変わりしていた。なるほど秀吉の晩年の人変わりの凄まじさを話には聞いていたが、これは人変わりというより別人という方が合点がいくような気がする。


「秀繁よ。そなたの蒸気船を今回は目一杯活用させてもらうぞ。人員、食料の運搬から兵器としてまでその能力を枯渇するまで使わせてもらう」


「恐れながら父上。今回のことに関してこの秀繁、申し上げたい儀がございます」


 なんじゃ、と秀吉は顎をしゃくる。

 言いたいことを言ってみろという動作であった。


「父上は鎌倉の世の元寇のことを知っておりましょう」


「むろん知っておる」


「元寇の『元』はモンゴルの英雄、成吉思汗チンギス・ハンが立てたモンゴル帝国がもとにございます。モンゴル帝国は金を従え宋を討ち、西へ西へとエウロッパヨーロッパまで侵略したのでございます。そして成吉思汗が亡くなるとモンゴル帝国は内紛が起こり分裂してしまうのです」


「わしが死んだ後に豊臣家が分裂すると言いたいのか」


「父上は日ノ本を統一された英雄として後世語られるでありましょう。しかしそれ以上のことを望めばしっぺ返しがいつか必ず来ます」


「見てきたかのように話すものじゃな」


 見てきたのではない、言い伝えられてきたのだ。しかも代々と。

 この唐入りさえ無ければ、豊臣家の天下は揺るがないものであったかもしれないということをから延々と聞かされてきた。


「父上、唐入りなどといって得られるものは悪名だけでございましょう。信長公の創業より父上が天下統一を完成させるまで40年です。明の国土は日本の10倍はありましょう。父上はいつまで生きておられるつもりなのです」


「そなた、わしの命数を図っておるのか」


「父上、命数を図っているのではありません。命あるものはいつかは滅びるのが道理です。かの始皇帝ですら寿命には勝てませんでした。そして今、父上がしようとしていることは始皇帝が統一後に行った亡国そのものではありまぬか」


 秀吉は黙った。


「父上が亡くなっても豊臣家は続きます。私が続けます。鶴松が亡くなっても私がいます。私が今いなくなってもが、その子らが豊臣の血を絶やさないようにしてくれるでしょう。一度は天下をとった源平藤橘でさえ今では父上の門前に馬を並べているのです。父上、今が父上の絶頂期なのです。自ら天下を手放すかのようなことはお辞めください」


「唐入りは豊家千年のためにやってはならぬこと、と申すのだな」


「はい」


 そうだ。自分は歴史の知識を知っている。

 豊臣秀吉の唐入りが失敗に終わり、その結果、日本と朝鮮の関係が危うくなることを。

 そして、豊臣家の寿命が縮まり、その政権に終止符が打たれることを。

 無論、2代目の自分がいる。徳川家康も、伊達政宗ももういない。

 しかしながら、戦国時代は終わったばかり。誰がその野心にかまけて定まった天下を狙いに来ないといえるだろう。

『後世の秀繁』も、これさえなければ不幸な最期を遂げることはなかったかもしれない。

 運命の因果があれば、この接所はバタフライ・エフェクトどころか、地球全体を巻き込んだアース・クエイクであるはずだ。


 秀繁は儲が可愛い。

 別に天下人としてでなくとも良い。

 ひとりの人間として、自分と妻の愛の結晶として健全に育って欲しい。

 もし、その息子に危機が訪れるようなことがあれば、やはり黙ってはいられない。

 その分、父の言い分もわかる気もする。

 父が鶴松を失ったように、自分も儲を失えば、その精神状態は普通でいられるであろうか。


「だが誰か天下を取る器量のものがおるか。毛利、北条は大身とはいえ天下を治めるには無理であろう。かろうじて小早川隆景、直江兼続がおるが、やつらも茶碗で雨漏りを防ぐがごとくの器量しか持ち合わせておらん」


 秀吉は不機嫌そうに言った。


「第二の羽柴秀吉が出てこないとは限りません」


「第二のわしじゃと……」


「信長公が本能寺で横死したあとに誰が父上が織田家を乗っ取って天下人まで駆け上がると予想したでありましょう。乱世の奸雄と申すではありませんか。天下の騒乱期にはそれに応じた英傑が出るものです」


「わしの天下を乗っ取りに第二のわしが現れると申すか……」


 秀吉は虚ろな目で少し考えこんだ。




 秀繁はその足で西の丸へと足を運んだ。


「母上、ご機嫌はいかがでございましょう」


「悪いです。ええ、とても」


 待っていた母は、この上なく機嫌が悪かった。


「殿下……が憔悴しきっておいででしょう? それに茶々どのは、鶴松が亡くなったのは私が毒を盛ったり呪詛をしたからだ、と騒いでおります。こんなときに機嫌がよいのは、お釈迦さまくらいでしょう」


――はあ、と秀繁は言った。


「そなたのところの小春どのと琴どのはとてもよく出来ておいでですね。仲がよろしくてよろしいこと」


――ははあ、と秀繁は言った。


「小春どのはよくを連れてきてくださいます。覚えておいでですか、秀繁どの。そなたが荒木村重の軍勢相手に討死したと聞いたとき、私は生きた心地がしませんでした。それが今やそなたは嫁を持ち、子を持ち、側室まで持ち、私はお婆ちゃんですよ」


――はははあ、と秀繁は情けなさそうに言った。


「お婆ちゃんにもなって、妾の子を殺したなどと言いがかりをつけられるとは思いもよりませんでした」


 今度は寧々が情けなさそうに言った。


「父上はお人変わりというか、まるで影武者に変わったかのごとく別人のようですな」


「そうなのです。阿修羅は3つ面を持つといいますが、面を変えるとはこういうことなのですね」


 ふたりは共に嘆息した。

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