第28話長宗我部信親
仙石秀久は功に焦っていたのか、他のものが見る自分の姿に焦っていたのか、秀吉の叱責に焦っていたのか。
それらがまわり混ざって自分でもよくわからない精神状態に陥っていた。
軍議でひたすら決戦を主張した。
ときには『上様のご意向である』とか『秀吉公はどう思われるであろう』とまさに虎の威を借りる狐のように。
それが大失敗だったことは、今、大惨敗を遂げ、逃げていることから明白である。
島津側からしてみれば、儲けものであった。
後詰めもない敵がろくに斥候も出さず、地の利もわからないのにドンドンと進行してくる。
島津軍は埋伏の兵を置いておくだけで良かった。
仙石秀久に付き従っている長宗我部兵と十河兵は、負けることは最初から解りきっていた。
それぞれの
豊臣軍に併合されたとはいえ、彼らは戦場の空気を知り、どんなときに勝ち、そして負けるかよく了解していた。
それが、よりによって御大将自らががわからないとは!
仙石兵は渡河し、対岸の島津兵は発砲を繰り返しながら散り散りに逃げる。
仙石兵はそれを罠とも思わず、迷わず追撃をした。
気が付いたときには、仙石兵のみならず長宗我部軍・十河軍も島津の大群に囲まれていた。
「こんな馬鹿な戦があるか」
長宗我部元親はそう思った。
今まで自分が大将で、自分が思うように軍を動かし勝ち、ときには負けてきた。
それがよくも知らない男がいきなり自分の上に立ち、命令を下し、そして負けようとしている。
自分の育ててきた兵が、よくも知らない男によって殺されようとしている。
少なくとも自分が大将であればこういう負け方をすることはない。
彼が一番心配したのは長子・弥三郎信親のことであった。
自分が死んでも、信親さえいれば長宗我部家は存続していける。
そういう信頼を置いた息子であった。
一方で、信親はここを死所と定めた。
周りのものも、逃げ出す者は一人もいない。
お供のものにとって、命を差し出すくらい何でもないように感じさせる魅力を持った若武者であった。
「我こそは長宗我部元親が嫡子、信親である。我を討てば貴様らには恩賞が待っていよう。冥土へと供をしたいものはかかってくるがよい!」
一人斬り、二人斬り、二十までは数えたが、あとはもう数えるのを止めた。
その剣の刃は人の脂に満ち満ちて、本来の切れ味を失いかけている。
島津軍はこの死兵たちの獅子奮迅の働きにたじろぎ、敵ではあるが同じ武士としての敬意さえ感じている。
そこへ雑音が混じってきた。
島津軍とは違う馬、兵、鉄砲……騎馬隊が鉄砲を持っているではないか!
「た、助かった……」
安心感と情けなさが混じったように、一人の兵が腰を抜かしてそう言った。
万を越す敵の援軍に、分が悪いと島津軍は逃げ去り、一方信親は疲労と安堵のためにその場に座り込んだ。
「あれが豊臣軍の騎馬鉄砲隊か……鉄砲の音に馬を慣らさせるだけでも大変だろうに、よく創ったものだ……」
(男たるもの、
信親は感嘆し、豊臣家の莫大な資産と、それを運用する能力、そして発想に生まれて初めて完敗した気分にならざるを得ない。
「仙石どのよ」
「はっ」
仙石秀久は秀繁に対してひたすら恐縮の体である。
「戦場はここだけではない。血気にはやって決戦など挑まずに広い視野で見られることだ。ここが戦略全体にどういう価値を持つかもっと学ばれるがよかろう。もうすぐ父上が本隊を率いて九州に到着する。それまでに功をあげたかったのかも知れぬが、勇気と無謀は違うということだ」
「はっ……」
自分より年下の男に説教を食らうなど、いかなる時代でも屈辱的なことだ。
ましてや上昇志向の強いものほど。
秀繁自身もいつになくイキって偉そうに言ってしまったのをあとから後悔したほどだ。
秀久はみずからを秀吉の配下ではあるとは思っている。
だがその息子、秀繁。
言い換えると
何もこれは仙石秀久だけの特徴ではなく、譜代の家臣を持たず、織田家の朋輩をそのまま配下に取り入れた豊臣家中の特徴である。
譜代とかろうじて呼べるものが戦死したり、追放されたり、腹を切らされたり。
戦には強いが頭が弱いものであったり、頭はまわるが致命的に人望がない等。
豊臣家は歴史がないため信頼できるバランスの良い能力を持ち、なおかつ忠誠心に富んだ家臣がいなかったのである。
九州平定は、豊臣軍本隊が来て急速に進み終わった。
勇猛な薩摩隼人は圧倒的な物量の前に膝を屈し、源平以来の名門島津家は成り上がりの豊臣家の軍門に下った。
豊臣家の領土となっていないところは、残すところ東北だけとなった。
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