第三章 九州征伐
第26話蒸気船
秀吉の天下統一を妨げるのは、あとは九州と東北だけである。
結局、九州征伐が終わったあとに、琴姫を秀繁の側室に迎えることで秀吉と北条家は合意した。
なお秀吉は豊臣の姓を賜り、豊臣秀吉となった。
嫡子である秀繁も豊臣秀繁と再び改名した。
位階は従三位中納言である。
これによって秀繁の通称は『駿府中納言どの』となった。
はっきり言って秀繁には、この改姓と叙階にどういう意味があるのかほとんどわからない。
「実力主義の戦国の世には意味がなかった家系も位階も、世が定まるにつれ、家格とかそういうものが係わってくる、いわば壮大な面子の立てあいです」
と半右衛門は教えてくれた。
「世が定まらぬほうが、そういうものに拘ったりしなくてもよい。シガラミというものは、秩序を秩序足らしめるために作られる見えない鎖です」
そうとも言った。
「それよりも次の九州攻めです。ここで四国の情勢が大きく変わります」
「長宗我部信親、か……」
親である長宗我部元親は大坂城に登城した折に、真田昌幸と同じように毒気を抜かれてしまったらしい。
四国統一、そして自分が天下を狙おうとした鳥なき島の
長宗我部信親は、その親である元親が、それはもう期待をかけて育てた跡継ぎである。
文武だけではなく、諸芸までも上方から師匠を土佐まで呼びよせて勉めさせたほどである。
信親はその期待にすべて応え、すべてにおいて優秀であったという。
それだけではなく、性格やら人への対応も穏やかな、元親が大の自慢とする息子である。
「長宗我部家が残ったとする。お前ならわかるだろうが、それによって幕末の土佐藩はどうなる? 明治維新は起きるのか?」
「まず下士・郷士というものがなくなるでしょう。幕末・討幕というものは、あなたさまの作る世の中になるわけですから、存在するかどうか自体私にもわかりません」
わからないものはわからない、と半右衛門は述べている。
もはや家康がいない時点で、この日ノ本の歴史はifの世界に入ってしまったのだ。
「それに、信親どのが生き残れば、奥方さまが喜ぶのではないですか」
長宗我部信親の母は、明智光秀の筆頭家臣である斎藤利三の異父妹である。
信親を明智一族のひとりとして数えても、なんらおかしくはない。
「奥方さまも口には出しませんが、罪作りなご亭主さまのおかげでご傷心の身でしょう。ここらでご機嫌を取っておきましょう」
「そう言われると、はっきりと反論できない自分がいるのは確かだな……」
まさか痴話喧嘩が原因で助けられたとあっては、長宗我部家の名折れであるかもしれない。
夫婦も大名も、面子の立てあいであるということを秀繁は深く学んだ。
※※※※※
秀吉は戦を起こさずに九州を平定するように大友・島津両氏に停戦令を発した。
そして国分案を提案した。
負けている大友氏は素直に従ったが、勝っている島津氏が猛反発したのだった。
それもそのはず、九州のほとんどは既に島津氏が実質的に支配し、従っても旨味はないのである。
そして秀繁が総大将、叔父である豊臣秀長が副将として九州へ派遣されることとなった。
「叔父上と戦を一緒にするのはこれが初めてですな」
「そうであるな」
秀長は年長者らしく鷹揚にいった。
「兄上は秀繁、おまえに相当な期待をかけておられる。この九州平定戦は、いわばお前の天下人の後継者としてのお披露目場だ。見事平定のあかつきには『さすが秀吉公の子よ』と周りものの見る目も、また変わってこよう」
「そう願いたいものです」
事実、家康を討ったことで秀繁の武名は急上昇している。
海道一の弓取り。その異名を彼は手にしている。
できることであれば、もはや戦を起こさずに世を平定したい。
だが、血の気の多い薩摩隼人と、奥州の策謀家・伊達政宗は黙ってはいないようであった。
ねじ伏せるか、ねじ伏せられるか。
実際の歴史でも、最後まで抵抗したものたちなのだ。
秀繁の付け焼刃の異名に驚嘆して、降伏をしてくる様子はない。
そういう意味では、関東の北条氏は賢明である。家を後世に残すことに完全に成功したのだから。
「豊臣家は兄上以外、私を含め不肖のものばかりだと思っておった。そこへ、徳川をひとりで降したものがいた。それが我が甥であった。なんと痛快であったことか。おまえの武略が、皆に一目置かれておることは私自身が実感しておる。この戦いで、二目も三目も置かれるようになることを、私は望んでいる」
「ありがとうございます」
実際は、秀長以外が不肖なのである。
秀長が生きてさえいれば、豊臣家はあそこまで落ちぶれることはなかったというのが一般的な常識となっている。
本心なのか謙遜なのか、おそらく前者であろうと秀繁は推測した。
「この戦いは全面的に、そなたの指示に従おう」
全面的に従うことによって、言葉を使わずに、秀繁の天下人の後継者としての優位を際立たせる秀長の気遣いであった。
「それでは叔父上、港へ向かいましょう」
「ほう、馬関まで陸路で行くのではないのだな」
そう言う秀長の細い両眼が、これ以上ないほどかっぴらいている。
それはそうだ。明治維新を支えた人材でさえ、これには驚いたのだ。
これを見たからこそ、幕末の日本で革命が起きたとも言える。
「な、なんだこれは!?」
港で秀長が見たものは、全身を真っ黒く塗った巨大な船の軍団であった。
「蒸気船です。これがあれば、父上の中国大返しのようなことが今回もできましょう」
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