第24話北条家

「わしはお前が恐ろしい。わしでさえ、勝てなかったかもしれぬ徳川殿を、わずか一手で討ち取るとは。そなたの器量の底が、わしには見えぬ。わしはお前が恐ろしい。じゃが、幸い親子である以上、そなたを相手に戦わずにすむ。そなたを敵に回さずに済むのは、我が天下取りで一番の幸運であるかもしれぬ。そればかりか2代目としてとても頼もしくもある。」


 秀吉は大音声で言った。


「秀繁よ、徳川の旧領、甲斐・信濃・駿河・遠江、三河、120万石をそなたに与えることとする! 我がせがれよ、励め!」




 秀繁は、家康の旧領をそっくりそのまま与えられた。 


 新たに駿府城を本拠として、秀繁は統治を始めることにした。

 小春をはじめ、主だったものも皆、駿府に居を構えて新生活を始めようとしている。


 今、羽柴軍は四国攻めが終わった直後である。

 より正確に言えば、藤原軍であるかもしれない。

 秀吉は近衛家の猶子ゆうしとなり名乗りを改めているからだ。

 よって秀繁も藤原秀繁ふじわらのひでしげと言うべきかもしれない。


 秀繁は新領地の統治を優先されて、四国攻めは免除されている。

 秀繁は三公七民というこの時代に於いては極めて軽い税にした。

 そして法を漢の劉邦の法三章に倣った簡単なものにした。

 その分賦役を増やしたが、その分の対価を少しながらでも払ってやることにした。

 賦役の対価は駿府で消費させ、駿府の経済を回し、駿府の商業はますます盛んになる。


 これらは支配者が代わるとともに、分国法も目まぐるしく変わって混乱していた領民に非常に喜ばれた。


 一方で、配下の将や兵には厳しい軍律を科した。

 略奪や婦女暴行を今一度厳しく禁止するとともに、略奪で得られる分を自家の倉庫から補填さえしてやった。

 これらによって、戦後の荒廃や農民の逃散が防がれ、織田家が衰退するとともに生じた混乱から急速に町や村は復興していく。

 信濃の豪族、とりわけ真田昌幸などは心服するか心配であったが、一度大坂城へ秀吉に謁見に行った際に毒気を抜かれたようで、その息子である秀繁にも服する体を一応は見せている。


 小春が懐妊したのは、その頃であった。

 婚姻し、6年子宝に恵まれなかった。通常の武家であれば離縁されていたかもしれない。

 だが、秀繁は側室を持つことを諾としなかった。

 そもそも側室を持つということは、令和の人間にとって異様である。

 どの女性にも愛情を捧げなければならない。それは滅亡した明智家から嫁いできた小春を愛する秀繁にとっては苦痛であった。


「どちらの祖父に似ても、日ノ本一の武将が生まれるだろう」


 照れ隠しか、秀繁は自分の評価は置いておいてそう喜びを武骨に表現した。

 それはそうであろう、秀吉と光秀のハイブリッドが誕生するのだ。

 ただ、剥げ鼠・金柑頭と呼ばれた男を両祖父に持つからには、将来、頭髪面では寂しい結果となるかもしれない。

 月代さかやきを剃らないで良い分、戦国時代に適しているとも言える。


「まあ。まだ男の子と決まったわけやないのに」


 小春はそう言い、喜びを露わにした。

 明智兵が残っているとはいえ、明智の血を実際に引くものは極端に減った。

 亡き父の血統を残すことが出来て、ほっとしている様子でもある。


 秀繁は幸せの絶頂であったかもしれない。

 そんなとき。

 関東の北条氏から、板部岡江雪斎と名乗るものが使者として駿府に赴いた。


「秀繁さまに置かれてはご機嫌麗しゅう」


 頭全体を剃刀で剃ったであろう五十男が、そこには居た。


「うむ。父に会いに大坂へ行かず、わざわざ駿府へ参ったのは何用であるかな」


「は。北条家は羽柴家へ帰順いたします。代わりに、本領の安堵を我が当主は望んでおられます」


「ほう、それこそ筋違いというものだ。帰順を願い出るなら私では、なくまず大坂へ手土産でも持って向かうとよろしかろう」


 コホンとひとつ咳ばらいをし、板部岡江雪斎は続けた。


「それは、我が当主の妹君である琴姫さまを、秀繁さまの室に入れていただきたいからです」


 ゴホゴホッと咳をし、秀繁は絶句した。


「秀吉公が帰順を認めても、人質を求めてくるのは必定。それならば、秀繁さまに娘を貰っていただきたい、との前当主・氏政さまの意向でもあります」


「しかし私には妻が居る。側室を置く気にもならない」


「秀吉公には側室がそれはもう、数多くおりましょう。その中で、北条家の娘が一人混じったところで、雑に扱われるだけでございます。それにひきかえ、秀繁さまは御正室ひとりだけ、まさに北条家の狙いはそこにあります」


「随分、言いたいことをはっきりというものだ」


「外交というものは、相手によって交渉方法を変えるものです。あなたさまには、率直に言う方が効果があると思いまして」




※※※※※



 身重の妻に言うべきことではない。

 それは百も承知である。

 しかしながら、嫁取りが外交問題にまでなってきている。

 犬猫を貰うわけではないので、事前に、妻の承知を得なければならないのも承知の上である。

 小春が断りさえすれば、この煩わしい問題からも離れられるのだ。


「いいじゃあありませんか」


 小春はあっけらかんと言った。

 大きくなってきたお腹を触りながら、それぐらいどうした、と。

 まるで、関西の肝っ玉おかんである。


「もともと、ウチは逆賊の娘として処刑されるところでした。ウチばかりか明智家のもの、家臣のものまで命をむやみに取られることはありませんでした。普通なら九族皆殺し、族滅されるところです。生きてるだけで丸儲けです」


 小春は続ける。


「それが、我が家では今では、旧明智家の者は一目置かれるほどです。それに、私のおなかには明智の血を引くヤヤコもおります。これ以上何を望めばいいのか、というくらいです。おまえさまは得意の絶頂かもしれませんが、ウチもそれに負けんくらい。いや、それ以上に幸せを感じとるんです。」


「しかし……」


「義父上さまほど見境がなくなっては困りますが、側室のひとりやふたり、何がありましょう。ウチの幸せが壊れることはないんですから」


 不安をかき消すかのように、小春はいつもより速くしゃべる。


「それに……」


「それに?」


「ウチがおまえさまの一番であることには変わりはないんでしょう?」


「そうだ」


 そういうと小春はかすかにほほ笑んだ。

 そして、一瞬ののち、微笑は爆笑に変わった。


「そこまで笑うところか?」


「いや、義母上さまが以前仰っておったのです。義父上さまが浮気をするときはいつも『そもじが一番である。二無きものである』といつもいいわけを繰り返す、と」


「いいわけ!? ちょっとまて、何か誤解をしておるぞ……」


 愛情に順番を付けるというのも、なんだか可笑おかしいではないか!

 それを百・千単位で難なくこなす、秀吉という人物は未だに計り知れないものがあるとあたふたしながら秀繁は思う。


「いいのですよ。100万石の主が妻一人だけとは侘しいではありませんか」


 秀繁はある意味まだ現代人である。

 もちろん一夫多妻ではなく、一夫一妻制で生きてきた人間だ。

 そういう場合、男が浮気すると、どんなに面倒くさいことが起きるかを知っている。

 一夫多妻の世界でも、他の女を相手にするとき、そこには理屈ではない嫉妬という感情が生まれることも知っている。


 ましてや、妊娠中の妻をおいてほかの女に走るのは最悪である。

 だから、小春が嫌がりさえすれば、秀繁は丸投げして断るつもりであった。

 酷い言い方をすれば、小春を悪者にして気楽に生きるつもりであったのだ。


「いやだから……」


「そういうことにしておこう、というのがおまえさまの生きる信条でしょう。今回もそういうことにしておきましょう。生臭い話はいやです」


 結果として、小春の度量が広いことが知れ渡り、羽柴秀繁家中に於いて羽柴小春という女性の発言力が重みを持つようになった。


「どうしてこうなった……」


 大坂の母・寧々からは、


『政略のためとはいえ、身重の妻をおいて側室を娶るなど恥を知りなさい』

 と叱責の手紙が届いた。


 この母であればこその含蓄のある言葉遣いがそれはもう多彩で、秀吉という男を夫に持った母の苦労が偲ばれることとなってしまった。

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