第23話家康

「始まりましたぞ!」


 徳川軍の榊原康政隊が、休息をしていた秀次軍を後ろから急襲した。

 2倍の兵を持ちながら秀次軍は敗走。

 堀秀政隊はとって返し、鉄砲で榊原勢を一時撃退させた。

 自分の馬を無くし家臣の馬で脱出した秀次は、池田恒興と森長可に急報。

 しかし勢いは破れず、徳川軍は一方的に秀吉軍を蹂躙しようとした。


「いまだ! 明智兵、僕に続け!」


 明智兵という名の騎馬鉄砲隊が、大吾郎によって指揮され突撃を開始する。

 蹂躙しようとした徳川・織田軍は逆に蹂躙し返される。


 パカラッ! パカラッ! パカラッ!


 と、鳴る馬の蹄の音の後に


 バァン! バァン! バァン!


 と、鉄砲の速射の音がこだまする。


 キャンバスに塗った色が上から塗り替えられるように、戦局は鮮やかに変転した。


『なんだあれは!?』

『ただの騎馬隊じゃない!』

『騎馬隊が鉄砲を持っているだと!?』


 騎馬鉄砲隊が攻撃した後には、通常の騎馬隊が突撃し、足軽隊が槍衾をもって一気に突貫していった。

 徳川・織田連合軍の混沌は極地に達し、敗走し始める。

 従姉弟である羽柴秀次が統率していた奇襲部隊も一刻の混乱の状態から立ち直り、反撃の狼煙をあげた。


「引けえ、引けえ!!!」


「逃すな! 追え、追ええ!!!」


 真逆の采配は、この戦闘における最大の転換期であった。

 追首であっても恩賞をとらすと前もって御触れをだしていたため、秀繁軍の逃亡兵への加虐は容赦がない。


 だが、それ以上に家康の首である。

 家康の首には1万石の懸賞金が懸けられていた。

『家康の首を持ってくれば一兵卒でも大名になれる』というのは、雑兵たちにとって十分すぎるほど魅力的であった。


 家康は逃げた。

 武田信玄を相手にした、三方ヶ原の戦い以来の大惨敗である。

 あのときは相手が信玄で勝つのは難しいと最初から悟っていた。

 戦いを仕掛けず、その領土を何事もなく通過されるとあってはもはや配下は自分に付いてこないであろう。

 みずからの名を上げるための敗戦だと割り切っていた。


 しかし、今回はひそかに侮辱してきた猿奴のせがれが相手である。

 負けるほうが難しいと思わなかったと言えば嘘になる。

 けれども、武勇を持って鳴る三河武士がただの一撃で離散してしまったではないか!

 

 家康は逃げ続けた。

 より安全な場所があればそちらへ、より強固な城があればそちらへ、と。

 気付いてみれば、三河南部の岡崎城まで逃げていた。

 五カ国の主としては屈辱的な逃避行である。


 とある策を家康は思いついた。

 相手が智者であればあるほど、その計略は通じるものだ。

 唐土もろこし仕込みの劣勢を挽回する策である。

 あの偉大な諸葛孔明の策は、武田信玄相手にでも通用したはずだ。




 大吾郎が岡崎城までたどり着くと門は開き、篝火が焚かれ太鼓が打ち鳴らされていた。


 大吾郎は厳命されている。

『ここで、徳川家康を逃してはならない』

 と。


 次の対徳川遠征が天正大地震によって行われなくなることも教えられている。

 天下分け目の戦いは実はここである、ということを。


 大吾郎の知識は、そのまま主君兼学友である秀繁の未来知識でもある。

 家康が取った策は、相手にするものが悪かったというしか他ない。


「あれほど殲滅された徳川軍が、ここで急に集結できるはずがない。これは空城の計だ!」


 その武将は、その策がどういうときに使われるべきものか知っていた。

 徳川家康の智略を、僕大吾郎輝繁は越えていたのだ。


 家康の計を看破した大吾郎は、軍勢を集めて岡崎城に乗り込んだ。

 兵らしい兵はほとんど見当たらない。

 城の最深部に乗り込んだ大吾郎の前に、家康がいた。


「徳川殿、葉武者にその首とられては名が惜しかろう。羽柴秀繁が第一の臣、僕輝繁がその御首みしるし頂戴いたす」


 家康が抜刀し、剣戟が鳴ろうとした。


 ガキィン!


 火花が散り、勝負はたったの一合で片が付いた。

 家康が抜こうとした得物を、大吾郎は先を読んだかのように槍で叩き落としたのだ。


 脇差を振り回しながら、家康はあとずさりしかすることができない。

 そしてあとずさりする余白・・も後方になくなった。

 豊臣秀繁の股肱の臣はその武勇ですら、新影流免許皆伝の街道一の弓取りを超越していた。


「お覚悟!」


 大吾郎は槍を一突きする。


 それが、家康の心の臓を突き破った。


 前のめりに家康は倒れる。


 大吾郎は刀を抜き、家康の首を胴から離した。




 家康の残った身体を求めて、羽柴軍の雑兵が同士討ちを開始した。


 秦末期の楚の項羽の遺体を求めて、同僚であるはずの兵たちが諍いをしたように。


 それに生き残った男たちが、家康の遺体を分断する。




 頭を持った大吾郎以外の、右腕・左腕・胴体・右足・左足と持ったものが、それぞれ


『家康を討ったのは自分だ』


 と秀繁の前で強く主張する。


「よくわかった。上様には私からよく伝えておく」


――これが本来の歴史であれば、天下人であった一世の英雄の末路か……この時代の人間の、功名が辻、ということか


 一歩間違えば、自分がこうなっていたのだ。

 これから生まれて来るであろう弟・秀頼の息子も、大坂の陣で負けた後、こういう恐怖に耐えて死んでいったのだ。


 秀繁は自らの陰部を掴む。


 縮み上がってはいない。


――それでこそ、戦国武将だ。この時代の男だ


 この時代で少しずつ補ってきた自らの胆力を実感と再確認し、羽柴秀繁という男は、その目的に一歩ずつ近づいて行っている。




 徳川が破れ、孤立した織田信雄は和平を申し込もうとした。


 だが、いまさらそれを受けるほど秀吉はお人好しではない。


『わしは、信長ほど甘くない』


 その言葉通り、高野山に追放された信雄は、ほどなく切腹を命じられた。

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