第18話秀繁の論理

 山崎の合戦は、秀吉の一方的な勝ちに終わった。

 とは言っても、戦死者は羽柴軍4000に対し、明智軍3300。

 損害は秀吉の方が大きい。

 天の刻に乗った軍勢相手には、ただの軍では勝てないのである。


「秀繁よ、このたびの大勲功天晴である。よくぞにっくき光秀めをその手で討った」


「はっ」


 秀吉にとって、実際は光秀は、憎いどころか天下を譲ってくれた大恩人である。

 一方、秀繁にとってはまだまだ語りたいことが多かった岳父であった。


 互いにどんな顔をしているのであろう。

 秀吉と秀繁はそれぞれ相手の表情を伺おうとするが、どちらも相手の真意は見抜けそうで見抜けない。


「だが、そなたの言うように明智の残党の命を助けることはできぬ。そなたの妻もだ。命こそとらぬがやはり無罪放免とはいかぬ。離縁せよ」


 そこまで言われることは、秀繁には事前にわかっている。

 そのため、対策も立てやすかった。


「離縁はいたしません」


 秀繁は無造作に言った。


「私は、小春以外に妻を娶ろうとは思いません。ましてや、父上のように側室を置くことも考えておりません。するとどうでしょう。せっかく父上が天下を取っても、築いた羽柴家の嫡流は私で絶えることになります。父上はそれでよくとも、母上がお可哀そうです」


 瞬間、秀吉の顔が歪んだ。


「明智のものも、ただ野に置いては我が家を恨む野伏となりましょう。小春のもとに、小春の主である私のもとに生かして置いてこそ、忠勤を励むよき家臣となってくれましょう。それ以外では暗殺者、刺客となって、いつか私や父上を狙ってくるでしょう」


 秀吉の顔は、苦虫を嚙み潰したようになっている。

 今まではこの若者、自分の倅・・・・を可愛がるだけで、その自我のことまで考えていなかった。

 何も考えてないようなせがれであったが、何かあったか、ここにきて必死に自分に反対するかのような感情を持つようになってきている。

 自分が扱える駒なのか。

 羽柴家の嫡流が絶えるということは、自分の血筋も絶えていいということなのか。

 秀勝のほうが血は繋がっていなくとも扱いやすいのではないのか。

 それより血族である分、甥の三好孫七郎のほうがいいのではないだろうか。

 裏切りものであるとはいえ、義理の父をその手にかけるとは恐ろしい。

 いつかその牙は自分に向いてくるのではないだろうか。


「世間が……」


 天下三大声と言われた秀吉が声を振り上げる。


「世間が許すまい!」


 秀繁は論功の場に来る前に考えた。

 自分の存在意義を、だ。

 自分は大勢の人を不幸になる運命から救うために、この時代に来ている、存在している。

 その中には神子田半右衛門のような宮廷闘争のような形でこの世を追われたもの、やらなくていい戦闘のために命を失ったもの、渡海しようとして運悪く死亡した黒田官兵衛の次男のようなさまざまなものがいる。


 そして秀繁が考えるさらに救える命として、小春をはじめとした明智残党も含まれる。

 秀繁はあけっぴろげな妻を彼なりに愛していたし、できればその周りのものも助けてやりたいと思う。

 これはもはや理屈ではなく感情の問題だ。


「信長公を弑したのはわが義父・光秀なれども、信長公を刺した槍まで罪に問わずともよいでしょう」


 秀繁の表情は真剣さを増す。


「わが功に代えましても!」


 秀吉はそれをにらみ返す。


「そうか。明智の主人を討った功で、明智の奉公人を助けるというのか」


 秀吉は、自分のせがれが多少薄気味悪くなっている。


「勝手にするがよい。だが、差し当たっては、そなたも、そなたの妻も、明智の残党も謹慎だ」


 そう言うと秀吉は、不機嫌そうに論功行賞をいったん中止し、奥に引っ込んでしまった。




「危ういところでしたな。功をたてるどころか、秀吉公は秀繁さまに不信感を持ってしまわれた。これからどうなるか、ちょっと予測がつかない事態になってきているのかもしれません」


 半右衛門が心配そうに言った。


「しかし義父を斬り、妻まで失えば、私の生きる意味はなんになる。おまえも処刑されて400年彷徨っていたのだろう。それこそ、今度は私が怨霊となって彷徨うはめになるかもしれんだろう」


「それを言われると、返す言葉がありませぬが……」


「私はこの時代にとって客だ。そう思えば、不満も異存もないだろう。自分のやり方で、私は自分の天下を治める。未来は、私がこの時代に来たときからすでに変わっている。予測がつかないのは当然だ」


 半右衛門は、自分が連れてきた若者が、多少頼もしくなったような気がしている。


「まずは小春に詫びねばならない。許してくれるかどうかはわからない。逆に、向こうから離縁を切り出されるかもしれない。そのときはまた、ふたりで豊臣家・・・の嫡流のことを考えよう」

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