第12話明智小春
明智小春は19歳である。
しかし、自分がお姫様であることを知らなかったし、さらに言えば、そもそも自分の姓が『明智』であることも知らなかった。
二月前までは、普通に町娘をやっていたはずである。
それがあれよあれよというままに、大名のお姫様となってしまった。
それもこれも、父・明智光秀に政略結婚の手頃な駒が少ないからであった。
光秀はほぼ正室以外に手を付けない。
そして、生まれてくる子は娘ばかり。
嫡子となる男子すらも、ひとりもいないのである。
光秀はこの時代の男としては異例なことに、側室を置かなかった。
結果として跡継ぎとなる男児に恵まれず、姻戚関係を結ぶための女児にもことかくありさまで、『そういえば流浪時代にもうけた娘がいたな』と今頃になって光秀の記憶が蘇ったのである。
流浪の折に、一晩だけ関係をもった女との間にもうけた私生児。
それが小春という女であった。
「羽柴秀繁さまか……どんな人なんやろ」
義父になる秀吉のことはよく噂に聞く。
猿に似ているとか、背が女よりも小さいとか、指が六本あるとか。
秀繁のことは雑兵を庇って虜になったことくらいしか知らない。
「アホなひとなんかなあ」
短絡的に考えると、馬鹿な二代目にしか思えない。
そういう小春も選り好みはできない。
一般的に14、15歳で嫁ぐこの時代ではいわゆる売れ残り。
大年増である。
器量が悪い。
太っているのが美徳とされるこの時代にあって、痩せぎす気味。
一般的な男性よりも、背が高い。
髪は茶色。肌は地黒のうえ、目鼻立ちがはっきりとしすぎていて、美人の条件には当てはまらない。
おしとやかどころかおしゃべりだし、そのうえ少し口が悪い。
思ったことを、そのまま口に出してしまうのである。
正室の子を嫁に出さないところが、光秀の羽柴家に対する血への蔑視感が見て取れる。
光秀は一時期は足利将軍家へ仕えていたこともあり、
みずからも源氏の傍流ということもあり、『農民上がりの
それでも光秀は、一応は明智家から嫁を出すということで恥をかかないように、礼法・歌道・茶道などの花嫁修業を修めさせようとした。
小春はそのどれでも満点とはいかなくても、落第点まではいくような劣等生ではなかった。
どの分野でも、ある一定の成果をみせるだけの素質はあったのである。
光秀は
「私みたいなんが大名の正室でええんやろか。もっと他に良い人がいるんやないやろか。こんなんじゃ、いつの日かボロがでてまう」
そう思う小春の心配をよそに、約2か月で羽柴秀繁の即席正室は生産されたのである。
※※※※※
季節は廻り、桜が芽吹いて、いくつかは開花し、早春を告げている。
太陽が高度を高め、そのまばゆい光が新郎新婦、二人を祝福しているかのように輝きを増す。
「いや、今日はまことにめでたき日である。我が
自分の婚礼の日であるが、主役は父・秀吉であるように秀繁には思える。
近江長浜で行われた婚礼はさまざまな山海の珍味、酒が並べられこの世の贅沢の粋を全部持ってきたような派手なものとなった。
羽柴家の家臣たちも、あらたに明智家から籍を変えたものも、皆全員心から嬉しそうに飲み食いをして大はしゃぎをしている。
烏帽子姿の秀繁はそれを表情に出さずに見、小春はいま起きていることが自分の婚礼ではないかのように、少し他人事のように周りを見渡していた。
(たいへんなところへ
小春はそう思わざるを得ない。
明智家は粛然として、無駄口をたたくものすらいないほど整然としている。
だが、この羽柴家はどうだろう。
一緒に来た明智家のものまでを巻き込んでどんちゃん騒ぎをし、まるで盗賊の大規模な酒盛りだ。
武家といえば明智家しか知らない小春は、あまりの家風の違いに一抹の不安を覚えた。
しかしながら生来の性質としては、小春は羽柴家の家風のほうがどうやら好みであることに気付いてもいる。
この2ヶ月で『大名の正室たるものとは何ぞや』と叩き込まれた身ではあるが、羽柴家のほうが気楽でいいのかもしれない。
「楽しげな方々たちですね」
その新妻の言葉に亭主は無言で頷く。
自分の亭主となる男に、無限の好奇心を持っている花嫁としては、それが気に入らなかった。
もう少し自分の妻となる女に優しげな言葉をかけ、話を広げて場を和ます程度のこともできない男なのであろうか。
義父となる秀吉は、それはもう弁舌達者であると聴く。
それどころか口から先に生まれてきた男とさえ聴く。
(息子はそれを受け継いでいないのやろか)と小春は思った。
秀繁はただ単純にあがっていただけであった。
天下人を目指すといっても、それは一日一日と研鑽を積み上げていく最終的な目標であり、その一日がどんな内容であるかを秀繁に選択する権利は、今のところまだない。
その一日に、まさか自分の結婚が含まれているとまでは、彼は想像していなかった。
日々、軍学やら馬術やら水術を学んでいて、師匠筋から『筋はいいですぞ』といわれたが、ここまで結婚に動揺するとは。
どうやら自分への評価は、師匠たちの見込み違いであるらしい。
まだ19歳やそこらの身であって、戦国時代では晩婚でも、現代ではかなりの早婚なのである。
高校を出て、大学へ入って、将来をまだ考える必要のない彼女でも作るか、という段階でいきなり結婚。
戸惑うのも無理もない。
それが強制的であればなおさらだ。
「羽柴家はいつもこうなのですか?」
うなずくことしか秀繁にはできない。
この時代に来ていきなり元服・初陣・捕虜・特訓と重なった身である。
思えば周りを見渡すゆとり、余裕に欠けていたかもしれない。
天下を治める前に家中が崩壊しては元も子もない。
「ほら、あのお方がやっている芸はおかしゅうございますね」
秀繁はまたもや無言で頷く。
そうしかしない亭主となる男に小春はイラ付いている。
ただでさえ、口調を無理やり変えて喋っているのため、自分自身にもイラ付いているのだ。
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