第11話婚約
秀繁は半右衛門、官兵衛、大吾郎を伴って、秀吉に従い近江琵琶湖東畔へ赴いている。
信長の新たな居城、安土城の完成の祝賀を述べるためだ。
安土城は一般的には『平安楽土』という言葉を略したものとして知られる。
また、ほとんどの戦国大名が領土を拡大しながらも居城を動かさなかったことと比較して、状況に応じて居城を変えてきたことが、信長の革新性として後世謳われることとなる。
「これはものすごい城じゃ! 眼福眼福!」
馬上、秀吉が大声で叫ぶ。
「信長さまは、昔はおおうつけと言われるほど
確かに、五層七重からなる金箔に包まれた天守閣をはじめとし、戦国時代にこの規模の建築をしようという発想自体が浮かばないものだろう。
「しかしながら守りにはあまり適してはいないようです」
注意深く城を見ていた官兵衛が言う。
普通は城内の道は曲がりくねったり、迷路状になっていたり、鉄砲を撃つ穴である
秀繁が見たところでも、安土城はそのようなものが極端に少ない。
天下人の城としては、防御力が若干弱いのではないだろうか。
「それはな、安土城は攻められることを想定していない城だからじゃ。あと少しで信長さまが天下統一を果たされて戦の世が終わる。安土城はその名のとおり、天下の政を統べる行政府として作られたからじゃ」
得意気に秀吉が言うのに対して、
「信長公の天下が来ますかな?」
と官兵衛が挑発的に意味ありげに言う。
「来る。遅くとも15年後にはこの世から戦はなくなる。そして羽柴家も数か国の大名となる。これも信長さまに拾われお仕えしてきたおかげよ。秀繁、そちが2代目として楽をできるのも、この父が昼夜を問わず滅私奉公してきたからこそじゃ。感謝せい」
顔を崩しながら秀吉が言った。
「恐れ入ります」
秀繁は心底恐縮したかのように頭を下げた。
謁見の間は異様である。
これまで秀繁が見たことがない様式。
和式と中華、それに西洋が混合するごった煮。
それでいて、見た目のバランスは崩れていない。
織田信長という人物の美的感覚とその意識がどこに向かっているのか、なんとなく見てとれる。
おおよそ戦国時代でも現代でもない、夢と現の間にあるようなこの世離れした雰囲気であった。
「おもてをあげよ」
甲高い声。
秀繁は信長を見た。
やや面長の顔に切れ長の目と長い鼻、カイゼル髭に似たような口髭。
だが、なにより特徴的なのは、その身体から発する威圧感であった。
「秀吉、祝儀の品見事である。この信長でも手に入らぬかという名宝珍宝の数々恐れ入ったわ」
風貌は貴公子然としながらも、その威圧感たるや、あの秀吉でも蛇に睨まれた蛙になってしまうようである。
「滅相もございません。上様がその気になれば簡単に手に入る品々、この秀吉が代わりに持参しただけでございます」
「であるか。あれほどのものを簡単というとはさすが秀吉、大気者である」
「滅相もございません!」
秀吉が何度も繰り返す。
「秀吉よ、そなたに任せた中国攻めは何年かかる」
信長が試みに問うた。
「ははっ。5年、いや3年あればなんとかしてご覧に入れます」
「そうか」
信長は、愉快そうに笑いながら
「そこにいる
信長の傍にいる白髪頭の男が、無念そうに顔を下げた。
あれが明智光秀ですぞ、と半右衛門が耳打ちした。
秀繁一派の中では、今では明智光秀を討って武功を立てることは共通認識となっている。
『討つときに備えて、間違えないよう顔を覚えておけ』という意味が、この言葉には含まれている。
「しかしながら上様。この光秀、10年かかるものを3年とは申せませぬ。それは虚偽というものではないですか」
「だから、そなたは小心者なのだ」
「しかし、やることにぬかりはありませぬ」
「小心者でぬかりがないとは、これまた陰湿ではないか。少しは、この秀吉の大気さを見習うがいい。進物一つにしても、派手にやることよ」
今度は、光秀は、不快そうにゆがめながら顔を下げた。
金柑頭というとおり、月代の部分は少しだけ禿げ上がっているような気がする。
こけた頬。
実年齢よりも老けたように見えるのは、苦労してきた証だろう。
何より、あの信長のもとで一・二を争う出世レースのトップを走っているのだ。
その気苦労はあの表情からも伺えるというものだ。
「さて、秀吉。そこにいるのがそなたのせがれか」
「はは」
秀吉が顔をくいっとやり、秀繁に挨拶を促す。
――こういうときは、どうすれば良いのだろう
と、考えていたら、
「直答を許す。答えよ」
と催促される。
信長はこういうときでもスピードを重視するのだ。
「羽柴秀繁と申します」
「うむ」
と信長は小刻みに頷いた。
「そうだ。余がそなたの烏帽子親であったのだ」
と、少し驚き、あごに手をやった。
「雑兵のために、ひとりで
なんとも馬鹿なやつよ、と付け加える。
少し弾劾に似た口調は容赦がなかった。
「そなたの父も、ひとりで、とはいかんが、殿をつとめて武功を立てたことがある。知っておるか」
「は、金ヶ崎の退き口というのは聞いたことがあります」
「
含み笑いをしながら、信長は言った。
日本史の教科書に金ヶ崎の退き口というのは載っていないはずだ。
秀繁が、一般の高校生よりも教養に恵まれていたおかげで、この答弁ができるのだ。
「昔は余は『猿』とそなたの父を呼んでおった」
「ははっ、伺っております」
「だがそれ以来、余は秀吉のことを猿と呼ぶのは辞めた。少なくとも、そなたの父は侍として、余の信頼に足るものであったからだ。この信長の信頼するものが、猿であってはちとまずかろう?」
秀繁だけでなく、周りにいるものすべてが苦笑いとなった。
「そなたの父は身は百姓だが、今では日ノ本一の侍である。そなたも誇りに思って励め」
今度は秀繁は敢えて返答せず、頭を深く垂れ、恭順の意思を示した。
※※※※※
「さて秀繁よ。世界というものは広い。知っておるか」
信長は秀繁の反応に気を良くしたのであろう。
饒舌に続けた。
「存じております」
「いやそなたは……この日ノ本の人間は、世界の本当の広さを知らん。これが何か知っておるか」
信長は球体のものを持ち寄り問うた。
「地球儀でございますな」
「ほう……」
信長の秀繁を見る目が、多少変わらざるを得ない。
「日ノ本はこの小さな島国である」
無言で秀繁は首肯した。
「そしてこの世界の大半を支配しておるのは、ポルトガルとイスパニアよ」
秀繁はまたも無言で頷く。
「あまり驚かぬようであるな」
信長は秀繁の人物を計りかねている。
ただ愚鈍であるのか。それとも何もかもを呑み込む巨才であるのか。
「イギリス語なら、多少は読み書きができます」
秀繁の言葉に、信長の、秀吉の、周囲全員の視線が注がれる。
半右衛門が咄嗟に肘で秀繁を小突く。
「ここにいる、半右衛門が教えてくれました」
と、半ば言わざるを得なくなる。
「秀吉。そなたの家中は面白いものがいるものよ」
「せがれと神子田がこのような物知りであること、拙者も今知りました」
「いや面白い。エゲレス語が使えるものなど、余が自身で使いたいくらいだ。どうだ。余の直属に戻らぬか」
半右衛門は慌てて
「ありがたき申し出ながら、私は秀吉さま、秀繁さまより多大な恩を受けております。それを反故にして、上さまにまた仕えるとあらば、上さまが頼りない奴だと心もとなく思われると愚考します」
「口の上手い奴だ。結局は、余に仕えるのが嫌なのであろう。日ノ本には、たとえ大名になれようともこの信長にだけは仕えるのは御免である、という奴がいるそうだが、お前もまたその類であったか」
半右衛門は恐縮の体である。
「戯れで言っただけだ。許せ」
無言で半右衛門は平伏する。
「秀吉! そなたのせがれも面白そうだ。ぜひとも余の婿にしたいところだが、差し当たってそなたにはもう秀勝をやった。余の娘までやるにはまだ少し荷が勝ちすぎる。そこで、だ」
真面目と冗談が半分半分といった口調で信長は言う。
「ここにおる光秀より話が来ておる。ぜひとも羽柴家と縁談を結びたいとのことだ」
「は?」
と秀吉は、やや間の抜けた顔で言った。
「秀繁に娘を貰って欲しい、ということだ」
「は?」
今度は秀繁が、思い切り間の抜けた顔で言った。
「明智と細川はすでに縁戚であり、そこに羽柴も加わる。三家力を合わせてこの信長のために励め!」
「羽柴殿。突然のことかもしれませぬが、縁戚として今後ともよろしく……」
秀繁は鳩が核爆弾を食らい、消し飛んだような顔に陥った。
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