第13話ふたりの初夜
「なんやねん、アイツ!」
床入れの前、亭主が来る前に、小春は枕に蹴りを入れた。
およそ大名の跡取りの正室とは思えぬその行為。
そして少し冷静さを取り戻した彼女は、慌てて枕を元に戻し、ちょこんとその身体を小さくうずめた。
秀繁がやって来る。
平伏した小春に
「楽にするがよい」
と言い、秀繁も傍に座る。
小春としては一言いってやらないと気が済まない。
「あの、あんまりやと思うんですけど!」
「何がかね?」
小春はここで初めて旦那の声を聴いた。
その冷静な物言いが余計にカチンとくるではないか!
「妻となるものが、必死にご亭主になる方に呼び掛けてるんです。頷くだけでなく何かお言葉をいただけなければ、ウチは不安で死にそうになるんです」
秀繁は了承した、と言わんばかりに何回も小刻みに頷いた。
「またそれ。ウチは頷くだけの『からくり』に嫁いできたんとちゃいます。下々の者にも優しいと言われている方に嫁いできたんです。それが妻には……」
「からくりではない」
遮るように秀繁は言った。
「私にも感情はある。ただ今日はあがっているだけだ。お前はあがらなかったのか?」
「そりゃ……」
「婚礼が決まったと言われて二ヶ月。その間に一度も顔を見せることもなく、男女の仲になり、一生添い遂げることを誓わされるのだ。いくらなんでも忙しないだろう?」
「そうやけど……」
「おまけにそなたは美しい。この二ヶ月の間に、どんな嫁が来るかいろいろ想像したが、そなたのように美しい姫君が我が妻となるとは思っていなかった。少々あがるのも無理はないだろう。許してくれ」
唖然。絶句。息を呑む。
生まれてこの方、容姿を褒められたことなぞないのだ。
「ウチが……美しい……でしょうか?」
心臓の鼓動が早くなる。
脈打つそれが、前面の相手に聴こえてしまいそうで、全身に感じる温度が高くなる。
息を止めとめ、小春はか細い消えてしまいそうな声を発する。
「美しいと私は思う。もしかすると、私の審美眼が狂っているのかもしれない。その場合は許せ」
痩せぎす気味で背が高く、茶色い髪に、肌は少し黒く、目鼻立ちがはっきりとしている。
戦国時代の美人の条件には当てはまらないが、現代の
秀繁は、自分の妻として能面の
「ご亭主さまが、義父譲りで口が上手いことはわかりました」
どうやら亭主は、全面的に自分を受け入れてくれるようである。
それならば、大名の姫君・明智小春ではなく、小春という女そのものを受け入れてくれるのではないだろうか。
(鼓動よ、沈まれ!)
小春は左胸を手で抑える。
とりあえず、この胸の鼓動が収まらなければ、冷静に話せそうもない。
少し落ち着くと、ふくれっ面で小春は言った。
「しかし男同士で口を出さずにわかるということがあっても、女のウチには口で言ってくれなきゃわからないことだらけです。これから夫婦としてやっていくんやったら、もうちょっと感情を表に出して、それからハキハキしゃべってくれないと困ります」
「ふむ」
秀繁は今度は口に出した。
だが、それだけでは妻の信用を得られない。
「またそれ。そういう人の妻になるために、この二ヶ月間辛抱してきたんとちゃいます」
「二ヶ月と来たか。その前はなにをしていたんだ?」
しまった、と小春は今度は口を抑える。
だが、観念して、
「さ、堺で町娘をやっておりました」
と白状せざるを得ない。
「であれば、そなたは明智どのの実の娘ではないのか?」
「いえ実の娘ではあったんやけれども、実の娘として扱われたのはこの二ヶ月だけです。政略結婚に使うために、行き遅れていたウチを、父があわてて明智の家に戻したということです」
「ふむ」
毒を食らわば皿まで。小春はすべて言った。
「あの、このことが露わになったら、ウチは里に戻されるんでしょうか?」
小春はこの羽柴秀繁という男にときめいた自分を知っている。
惚れかかっているといっても差し支えない。
大名の娘として認知され、どうせ政略結婚の手駒として扱われるのであれば、この秀繁という男に嫁ぎたいというのが、この一瞬の間での小春の心の在り方であった。
「そんなことはあるまいよ」
秀繁は断定した。
「私はそなたを妻にできて嬉しく思う。ただほんの少しばかり、結婚初夜から口うるさいやつが来たと思っただけだ」
「ああ……」
小春は少し涙を浮かべた。
安堵と安心。
自分の相手はどうやら信頼に足るようである。
「すみません。言葉も直すように言われたんやけれども、やっぱり二月程度の練習では直せません。やはり、直したほうがいいでしょうか、それともこのままでもいいでしょうか」
「うむ」
「旦那様のうむやら、ふむにはいろいろな意味が込められてるんですねえ」
「うむ」
「また、そればっかり」
ふふふ、と小春はまるで何年も連れ添った古女房のように笑った。
「まずは旦那様のうむやら、ふむの内容を理解するところからはじめなきゃなりませんね」
それを聴くと、秀繁は小春の肩を抱き締め、体を引き寄せた。
双方とも緊張から身体が震え、汗が出始めている。
『初夜とは初陣に似ています』
半右衛門の言葉が秀繁の脳裏に浮かぶ。
実際、その立場になってみると自分もそう思う。
戦闘とはまた違った昂りが身体全体を覆い、全身の血液が沸騰しそうだ。
「今夜は寝ずに、夜通しそれぞれのことを語り明かそう」
半右衛門の言葉どおり、秀繁は二度目の初陣もやや失敗したようである。
だがそれは、新妻の信用を勝ち取ることにはやや成功したようでもある。
この時代に来てから寡黙気味になった男と、生まれてからずっと饒舌な女。
彼女が一方的に喋るのを、彼は耳を澄ませて何度も何度もうなずきながら聴き、一晩を過ごした。
二人が実際に夫婦となったのは、それから三日後であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます