第9話目的
「あなたを戦国時代に染め直します」
右手には竹の杖が握られている。
威嚇するかのようにそれはビュンビュンと振り回されていて、秀繁はスパルタ式なのだ、と感じざるを得ない。
「あなたは、羽柴家の親族の中では素質は申し分ないと思っておりました。しかし、あなたの時代の常識が、この戦国を生きる上で足かせになってしまっています。まずはそれを取り払います。無益な殺生をせずに進める、結構です。しかし、人ひとりとして殺さず、戦国時代を生き延びようとするなど土台むりなこと。基本的には、あなたの時代の考えでいいのですが、考えを改めなければなりません。あなたを、どうしても少しでも染め直さなければならないのです」
噛みしめるように半右衛門は言った。
気のせいか、竹の枝を振り回す速度は増している。
「10日余りの即席武将では、やはり我々も命を預けるには頼みがたい。あなたには、これから1年かけて戦国武将としての基本を叩き込みます。戦国のいろはについて、この神子田半右衛門がご教授いたす」
竹の速度がますます増す。
秀繁の緊張感も少し増す。
昭和の時代は、竹刀をもった体育教師がいたらしいが、秀繁は令和の人間だ。
体罰には慣れていない。
だが、戦国時代で命のやりとりをしようというのだ。
一度や二度、ぶっ叩かれようとも、その心は折れるわけにはいかない。
「とりあえず、一兵卒のために大将が身を危険にさらす、などということは基本以前の問題です。そういう意識改革を、まずやっていくべきでしょうな」
「だが、目の前の命を救えずに、天下をこの手になどできるのだろうか」
するどく、反論する。
したつもりだった。
だが、冷淡に返される。
「そういうところです。あなたは、天下を救うために未来から派遣されてきた人です。1人ではなく、日の本の天下万民を救うために、あなたは存在することをまずお考え下さい」
そういう精神が問題なのだ、と半右衛門の眼光が険しくなる。
どうやら、一度や二度どころではない。
身体だけではない。メンタルもズタボロにされるまで鍛えられるようだ。
「それにあなたの教育に、私と官兵衛どのという羽柴家の重鎮が割かれていることを、どうお考えですか?」
「期待されている、から?」
「逆です。秀吉さまは、あなたの武将としての力量というか素質に非常に疑念をもっておいでです。そこで、徹底的に自分の後継者として叩き直すことを所望されています」
うぐう、と秀繁は声が出ない。
「坊さまが後継者にならなかったら、私がやって来たことは無駄になります」
「そうだ、後継者だ!」
思いついたかのように秀繁は言った。
「あの義理の兄上がいる限り、僕は後継者から外されるのではないのか?」
遮るように半右衛門が返答した。
「あの羽柴秀勝という人物は、おっちんで歴史の陰に隠れる存在です。歴史の教科書に彼が出てきましたか? あなたの知っている史実では歴史の表舞台には出てこない、それだけの存在です。あなたが関わることによって、歴史は改変されていきます。あなたの方から積極的に関わって行かない限り、羽柴秀勝は歴史通り退場していきます」
「じゃあ、放置しておいていいってことか」
「実際のところ断言はできませんし、油断もできません。現に、あなたが来てから荒木村重が裏切る時期、ここにいる官兵衛どのの足が萎えていないなどと、元の歴史からわずかですがズレが生じてきています。それに我々は、元々歴史を改変することを目的に、あなたをここに呼んだのです。良いほうに進んでいるか、悪いほうにすすんでいるかわかりませんが、少しずつ確実に歴史は変わってきています」
半右衛門は、口角を微妙に上げながら言った。
保証はないということだ、と秀繁は理解する。
もしかしたら、羽柴秀繁という人物もまた歴史通り消えていくかもしれないということだ。
甘く見ていると、令和の人間が元亀天正の時代に死ぬという訳のわからない年表が作られそうである。
「さて、坊さま。坊さまは果たして文字が読めましたかな?」
挑発の物言いに、さすがに一応現代の高校課程を修了している秀繁は心外である。
「さすがに、それは失礼だろう」
そういう秀繁に、半右衛門は一遍の書状を取り出し、見せる。
「読めますかな、これが?」
ミミズが這ったような文字。
それは秀繁が現代で習ってきたもので言えば英語の筆記体に近い。
「草書、と申すものです。あなたの時代では大学で習うものです。さすがにあなたの素養ではこれは読めないでしょう」
認めざるを得ない。
この時代では、自分は何の力もない。
秀繁は今日は絶句してばかりなのを自覚している。
「こういうことを含めて、あなたを再教育します。くどいようですが、基本的な考え方はあなたの時代でよろしい。根本的なことを、戦国様式に染め直します。一人では学ぶのも苦痛でしょう、こちらで学友というか、兄弟弟子を用意させていただきました」
半右衛門がポンポンと手を叩くと、次の間のふすまが開いた。
「このたび、秀繁さまの御学友兼小姓を命ぜられました五郎でございます」
「このものは、秀繁さまの秘密を知っている、それに、秀繁さまに命を助けられ忠誠心もある。さらに言えば、我々が思った以上に利発です。秀繁さま自身も、牢内で過ごすうちに、この者に愛着が湧いたでありましょう。ともに一から学ぶにふさわしい」
よくよく絶句する日だと秀繁は思った。
「命を懸けて、秀繁さまにお仕えする所存です!」
「命を懸けるなどと軽々しくいうものではない」
と秀繁が言おうすると
「そういうところを、直していくのです」
と先を越されたように、半右衛門がピシッと竹で秀繁の手を叩いた。
※※※※※
人がいないことを確認できる、周囲に何もない
「正直、初陣で虜になるような秀繁さまに、秀吉さまが後を継がせると思うか?」
神子田半右衛門が黒田官兵衛に言った。
「やってもらわないと困る。我々の未来は、秀繁さまとともにある。秀繁さまは寧々さまとの間にできた嫡子。普通に考えれば、後を継ぐのが普通ではないのかな」
官兵衛は断言した。だが半右衛門にはまだ疑念が残る。
「秀繁さまは武功を立てなくとも、ある程度の身分まではいかれるお方。だが、失態を繰り返すようでは、廃嫡という可能性がある。秀勝、秀次、鶴松、秀頼。後継者は他にも存在する。歴史は繰り返すかもしれぬ」
まさか、という表情を官兵衛は隠せなかった。
「だから羽柴家の跡継ぎ、2番目の実力者であるということを、周囲に認めさせる大功を立てさせる必要がある」
「それはいったい……」
「信長公が弑逆されたのち、明智光秀を秀繁さまが討つ!」
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