第7話現代知識
「われわれ
結局、秀繁は誰も斬ることができなかった。
身分を明かし、自らの利用価値の高さを知らしめて、
とっさの判断にしては気が利いている、と半右衛門なら合格点を出したかもしれない。
そのまえに、単身突撃したところで落第確定だろうが。
有岡城の座敷牢は狭く低く、立つことができない。
歩くことができないため、一週間も入ると足が萎えてしまう。
牢は樫でできており、錆びることを期待できる鉄より厄介であり、日の入らない牢内は苔が生え、薄暗い残照がわずかに自分が生きていることを感じさせる。
最初は数えていた日数もだんだんとうろ覚えになり、体内時計も狂い始めた数か月が過ぎたころ、
「秀繁さま。秀繁さまの仰っていた『現代』というものはどんなところですか?」
と、声を挙げたのだ。
「覚えていたのか。しょうがないやつだ」
秀繁はふぅとため息をつき、話し始める。
「この時代は、僕の時代で言うと1580年くらいに当たる。現代というのは2022年。およそ440年後だ」
「そんなに……」
先ですか、と五郎は声を潜める。
すぐに理解できたのか、と逆に秀繁が驚く番だ。
だが、五郎は秀繁が戦国時代の感覚を持っていないことはもう承知済みなのだ。
「戦国時代は終わる。あと10年やそこらかな」
「信長公が天下統一なさるんですね!」
「いや、まあ最終的には徳川家康が日本の主となる」
「徳川さまが……」
現在、徳川家康は二か国の主でしかない。
その徳川家が天下を取るとは、秀繁でもびっくりものだ。
だからこそ、この時代に神子田半右衛門という男もこだわるのであろう。
現代で野球選手や、漫画家として成功するジャパニーズ・ドリームなど、目ではない。
250年に渡って、子々孫々が食うに困らない資産を築けるのだから。
「インターネットといって、日本どころか世界中の知りたいことがあっという間に知れる。それは五郎が100年生きても手に入る情報量よりずっと上だ」
「いんたーねっと……」
「馬で移動することはなくなり、車という鉄の箱に載ってみんな移動する。携帯電話という即座に誰とでも会話できる装置が発明される」
「くるま……けいたいでんわ……」
五郎はこの時代では理解力に優れている方であるのだろう。
なんとなくではあるが、想像力によって、秀繁の言葉を噛みしめ、頭の中に思い浮かべようとしている。
「僕も、もうちょっとしたら車に載るための訓練をする予定だったんだけどね」
「ぼく……そう『僕』です!」
そのひとことに五郎は目を見開き、興奮して言った。
「おいら、自分のことを僕なんて呼ぶ人を他に知りません。僕なんて召使いのことじゃないですか。なんで若殿さまが自分で自分を貶める言い方をするんですか」
「君はやっぱり僕より知識が豊富だ。僕の生きている時代ではそれが普通なんだな。いまさらながらそう思ったよ」
僕という自称は吉田松陰から奇兵隊に引き継がれ、明治時代の軍隊に於いてメジャーとなる単語だと秀繁は記憶している。
「秀繁さまの世界では……」
今度はちらちらとこちらを見やる。
「亡くなった父や母に会えますか?」
五郎はまだまだ子供なのだ。
秀繁でも、現代のあまり仲が良くなかった父母をまったく思い出さないということはない。
両親というものは、居るだけでそれだけの価値があるはずなのだ。
「それはちょっと無理かなあ」
その言葉で、五郎の顔に陰翳が浮かぶ。
「死んだ人間どころか、生きている人間とも関係が希薄になっている気がするよ。僕は、結局のところ両親ともわかりあえなかった。何を考えているのかさえ、わからなかった。僕は、ただレール……他人が示した道ばかりを歩んで、自分で自分の道を切り開こうと思うことを知らなかった。自分の意志が何もなかった。まさに虚無だ。城持ちになりたいという君のほうがよっぽど大人だ」
本心だった。
こういう場でなければ、吐き出すこともなかったかもしれない。
この数か月の監禁生活で、五郎という雑兵の存在が秀繁の中で大きくなっている。
「そんな……でもおいらと4歳しか違わないのに、1万石の大名でしょう。尊敬しています!」
「それは、親が偉大だからといっただろう? それに捕らわれている身は、尊敬には値しないよ」
あれ? という表情で五郎は顔をしかめる。
「秀繁さまがわかりあえなかった親って、秀吉さまと寧々さまのことですか? 現代の両親? え、秀繁さまは、秀吉さまのお子なんですよね?」
「そういうことになっている。僕は羽柴秀吉と寧々の嫡子であり、世継ぎだ。この前提がない限り何も変わらない、何もできない」
「遠いところからいらっしゃった。でも世継ぎであることは変わらない……」
「そうだ、君はすごくものわかりがいい」
思わず、秀繁は五郎の髪の毛をくしゃくしゃにする。
数か月洗われていない汚い髪だ。
だが、ためらうことはなかった。
「このことは、二人の秘密だよ。わかったかい」
あえて二人だけとは言わない。
「はい!」
捕らえられて、数か月とは思えないほどの元気の良い声で五郎は返事をする。
可愛い盛りの弟がいたら、こんな感じなのだろう。
いつまで続くかわからない幽閉生活に一筋の光が差した想いだ。
「では、秘密の証として褒美を頂戴したく存じます」
秀繁は苦笑をした。
この場であげられるものなどないではないか!
なかなかにふてぶてしい物言いに、逆に好感を抱かざるを得ない。
「この状況で褒美か。なにが欲しいか言ってごらん」
「はい。苗字を頂戴したく存じます」
秀繁が今までの人生で見たことがないような笑顔で、五郎は言った。
「苗字か。羽柴の姓が欲しいのかい」
「そんな、ご主君の姓など頂けません!」
「じゃあ何か考えておこう。いずれにせよ無事にここを出られることができたらの話だけどね」
「はい、ありがとうございます!」
秀繁が今まで見たことのないような笑顔は、わずか数秒の間に更新された。
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