第5話秀繁、討死

「本当に敵が全く来ませんな」


 半右衛門がそう言いながら周りを見渡した。

 まるで、逆にそれがおかしいとでも言いたげである。

 陣笠をひっくり返し、それを鍋にして一同は昼食を取っている。

 さすがに、令和の時代の食事とは比べ物にはならないが、それでも秀繁は一万石の殿である。それなりのものが食卓・・に並ぶ。


「戦わなくて済むのだから、それに越したことはないんじゃないの?」


 呑気に秀繁が答えると、


「我らは、一門の興隆のために戦っているのです。あまりにも戦がなさすぎると、武功を挙げられず家門を残せません。私があなたをこの時代に呼び寄せたのも、家を建てるためとそれを残すため。いわば創業と守成を若殿のお守りで為すわけです。大名の家というのはどちらか一方でも難しい。それに失敗したからこそ、私は秀繁さまを仰ぐわけです」


 なるほど、と秀繁は深く頷いた。

 彼も戦国時代を早く終わらすことだけではなく、自らの打算でやっている部分もあるのだ。

 秀繁自身も現世では、火をつけられて死ぬところであった。

 Win-Winの関係とでも言うのであろう。


「五郎、君も大名になりたいのか?」


 思わず問う。

 それに、やはり半右衛門は良い気がしないらしい。

 大名の子息と雑兵が馴れ合うのが気に食わないのだ。


「はい!」


 五郎は威勢よく答えた。

 眩しい笑顔だ。これを守るためにも、やはり戦乱の世は終わらすべきだ、と秀繁は思う。


「でも、その前においらは苗字を持ちたいです」


「ほう、苗字がないのか」


「あったかもしれませんが、おいらが知る前に父も母も亡くなってしまいました」


 自分は今どんな顔をしているだろう。

 秀繁は困惑する。

 現世・・での父と母。今世・・での父と母。

 それが、いなくなってしまったら、自分はどういう感情を持つであろうか。


「悪いことを聴いてしまった」


「いいえ。今では城持ちになって、城の見下ろす大きな山に苗字の入ったでかい墓を建ててやるという目標かできました」


「そうか。君の気宇は僕よりよほど壮大だね。僕はまだ初陣で家を建てるとか、守るとか想像もつかないや」


 本心である。

 少なくとも、秀繁が今まで生きてきた世界の常識は通用しそうもない。

 サラリーマンが仕事で一度失敗したら、命をもって償う世界、とでも言うのであろうか。


「でも、若殿は一万石の御身ではありませんか」


「それは父が偉大だからだ。僕自身が勝ち取ったものじゃあない」


「そういうものなのですか」


「そう。単純なことさ」


 それを聴いていた半右衛門が苦笑する。




「敵襲っ!」


 斥候兵が息も絶え絶えに飛び込んでくる。


「敵、およそ500!」


「500だと!? ここはまだ織田領だぞ。何かの間違いではないのか?」


 秀繁がそう言うが、意思に反したように矢の雨が降り注いできた。

 後ろ向きだった斥候兵は背中から矢を射られる。

 秀繁にも矢が打ち込まれようとしていた。

 だが斥候兵であったものを盾とした秀繁はなんとか持ちこたえる。


「若殿。ここは輜重を捨て、撤退すべきかと」


 その半右衛門の言葉と同時に、敵騎兵の蹄の音が迫って来る。


「そうしたいが、初陣というものは勝つべくして勝つようになっているのではないのか?」


「敵は我が方の倍。地形は平坦で見通しも良く、計略の施しようもない。これこそ単純なことですぞ」


――なるほど、そういうものか


 秀繁は思い直し、撤退の準備を始める。


「全員、引け! 引いても恥ではない。退却せよ!」


 秀繁は馬に飛び乗った。彼はまだ馬の扱いに慣れてはいない。

 ストップ&ゴーができるくらいだ。

 秀繁の馬術の腕ではまだ、急旋回して逃げるのは怪しい。

 だが、馬自身が危機を感じたのであろう。

 秀繁の意思とは関係なく馬は脱出を試みた。


 輜重を捨て、もはや軍とは呼べないものが一目散に逃げだした。


「半右衛門、敵は何者だ。ここはまだ無事な場所だったんだろう。おまえも歴史を知ってはいるんだろう」


「おそらく、摂津の荒木村重の謀反。しかし、まだその時期ではないはす……」


「そこまで知っておいて!」


 半右衛門に対する憤懣が募る。

 だが、命あっての物種だ。

『歴史をやり直すために逆行してきたら、初陣で討ち死にしました』などと情けなさすぎる。


「五郎、何をやっている! 退却だと言ったはずだぞ!」


 立ち竦む五郎。

 実戦の恐怖で動けないのであろうか。

 だが、その太ももからは赤い筋が垂れている。


「へ、へ……若殿さま。矢が足に刺さって走れそうもありません」


「なんだと!?」


「おいらが、殿しんがりをします。若殿、どうかご無事で……」


「馬鹿野郎!」


 瞬間、転げ落ちるようにして秀繁は下馬し、五郎のもとへと向かった。


「若殿、何を考えておいでか。たかが兵卒ひとりのために、命を、歴史を投げ出すおつもりですか!」


 半右衛門の、悲鳴とも怒声とも区別がつかない叫びがこだまする。


「子供が大人を守って死ぬ歴史はやはりおかしい。僕は馬鹿なことをしている。僕の時代の感覚を戦国時代に持ち込むなんて本当に馬鹿だ。けど僕は現代の人間なんだ、殺されることがわかっている人を、見捨てることができない!」


「それはただの理想論です! 大将というものは……」


「将たるものは!」


 危なっかしい手つきで、刀を鞘から取り出す。

 そしてそれを眼前に構え、目はまっすぐ前を捉えている。

 そうだ、子供ひとり救えないものが、天下の民を救えるものか!


「戦を勝利に導くべきものだ!」


 たった一度の敗戦がこの身を滅ぼす時代にやって来た。

 だが、目の前の命一つ救えずに、何が天下人か!?

 

 有事の際の平時の人材。


 そう吼え、秀繁は敵陣に単身突貫していった。




 その晩、姫路城の秀吉のもとに急報が届いた。


 曰く、

「若君、討死!」

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