第一章 織田家臣編

第4話少年兵

 国立大学を現役で合格した秀繁は、ある程度の日本史は頭に入っている。

 織田信長が、明智光秀にしいされること。

 その光秀が、父・秀吉に討たれること。

 天下を取った秀吉が耄碌もうろくして、後継者の甥・秀次を殺し、明と朝鮮に対し無用な戦を起こす。

 最晩年に生まれた秀頼のために、五大老と五奉行を設置するが、その中のひとり、徳川家康が簒奪し豊臣家を滅亡させること。


 ここまでは、歴史好きな小学生でも知っている事実である。

 羽柴秀繁という男はそれを捻じ曲げる、またはある部分からある部分まで歴史をスポイルするために呼ばれたのだ。


「信長公は合理性を好まれる方です。理論と現実が相反するときは、現実を優先なされます。机上の空論は好まれません。すでに若殿はご存じだと思いますが……」


 半右衛門が続ける。


「秀吉公も口先だけの人物は好まれません。若殿も若殿というだけでは、羽柴家での発言権は小さいと思ってもらって結構。実績を上げなければなりません」


 実績というのは軍功のことだ。

 軍功のために皇帝になったり、粛清されたりと中国の王朝では珍しくない。


「実績というのは、一番槍や一番首を言いますが、若殿にはそこまで無理をしていただく必要はありません。これは兵卒の仕事であって、大将というものはそれらを束ねて、一番槍や一番首の報告を聞き、最終的に戦を勝利に導くのが仕事です。ともかく、雑兵のごとき死は一番いけません。大将たるもの犬死には一番いけません。突撃の先頭を走るなどもってのほかです」


「わかっているつもりだ」


 実際、今までの人生で武器すら持ったことのない秀繁が、いきなり戦場で人を殺せと言われても無理というものだ。

 万が一、武功を挙げたとしても、戦争によるPTSDになるのが関の山である。


 秀繁の所領は今現在、1万石である。

 寧々が子飼いとしている加藤虎之助、福島市松がそれぞれだいたい200石であることからして、これは初陣を控えた武将にとっては非常に大きい。


 1万石は250~300人が兵力として動員できる数である。

 加藤、福島は自分の武功で石高を稼いでいく身だが、秀繁は跡継ぎなので秀吉が立身出世していく中で勝手に石高が引き上げられ、それを承継していく立場である。

 若殿としては、この兵力で武功を立てるというよりは、身を守るものとして使うべきだろう。


 もちろん、ある程度の武功がないと発言権がなくなる。

 加藤、福島両名が武功のない秀次やら石田三成を馬鹿にし、最終的には関ヶ原で家康の味方をしたということを防ぐ程度には稼がないといけない。


 今は中国攻めの旅程の途中である。

 秀吉が我が子の初陣に安全に安全を重ねた結果、輜重しちょう部隊の長に秀繁を任命したのである。

 地味であろうと、地道な実績が勲功を高めるのだ。

 またこれは、秀吉が兵站へいたんを重要視していることも認められる。

 一線級の指揮官ではないものの、我が子を輜重部隊の長にするということは兵站を軽んじていないということだ。

 運んでいるのは食料だけではない。

 弓矢、弾薬、傷薬など多岐にわたる。

 この時代は、馬の糞を水に溶かして飲めば傷が治るという迷信さえある。

 秀繁程度の現代医療知識ですら貴重な存在であった。


 当の秀繁自身は、気負っていた。

 2週間前までは、大学受験が終わった後の束の間の休日で精神が弛緩していたのだ。

 戦国時代で生き抜くことを承知したものの、すぐに戦闘に駆り出されるとは思ってもいなかった。

 いきなり武器を持って、人を殺せと言われたらためらわない方がおかしい。

 今の秀繁は、口調もしぐさも常識も、元服からの2週間で叩き込まれた即席将軍である。


「若殿。まるで戦などないような光景ですなあ」


 半右衛門の言葉通り、緑にあふれた世界は21世紀では田舎にしか存在しない。

 小川が流れ、蝶々がたたずみ、木々はまぶしい日差しを半分に遮る。

 戦国時代と知らなかったら、そこらへんで昼寝でもしたいような陽気である。


「まあ、信長公が天下を取れば、実際、戦などなくなるのでしょうが……」


 半分本気で半分ウソである。

 この主従は、信長が横死することを知っている。

 周囲の兵士の士気を上げるために、主語を入れ替えて使っているのだ。


「あの若殿。のどが渇いてらっしゃいませんか?」


 少年兵が瓢箪を差し出す。

 馬上で秀繁はそれを受け取り、のどを潤した。


「気が利くな。助かった、ありがとう」


 そう言うと少年兵の顔が崩れる。

 それに半右衛門はあまり良い顔をしない。

 秀繁ほどの身分のものが、軽々しく声をかけるべきではないのかもしれないが、謝意を示すくらいいいだろう。


 なるほど、瓢箪というのを侮っていたが、かなり便利だ。

 思えば実地でないと知らないことばかりである。

 座学ばかりで過ごしてきたものにとって、それは驚異的なものだった。

 鉄の陣笠を即席の鍋にしたり、編むための縄は食用にしたり。

 特にふんどしというものは、トランクスとボクサーパンツで過ごしてきた秀繁にとって衝撃であった。

 ズボンとパンツをずらしている間に討ち取られるかもしれない時代において、ふんどしの用を足すときの簡単さは現代人に言ってもなかなか信じてもらえないだろう。


「合理性でいうと、ふんどしのほうが現代社会に合っているのかもしれないなあ」


「何かおっしゃいましたか?」


「いや、ひとりごとだ。ところでお前の名はなんという?」


 偉そうに話すのも演技のうちである。

 これが自然にできるようにならないといけない。

『羽柴秀繁』という人物は、これからどうなっていくのだろう。

 この時代に、この若殿という身分に、対等な友と呼べるような人物はできるのであろうか。


「はい、五郎と申します」


 五人目の子供だから五郎なのだろう。

 単純すぎる命名方法だ。

 那須与一なども本当は11番目の子で、余一というのが本当らしいと聴いたことがある。

 馬上から目をみやると、褒められたことにこれ以上ないほどの笑顔を作っている。


「五郎、お前は私よりよほど気が利く。これからも、なにかわからないことがあるかもしれない。そのときには教えてくれ」


「若殿が知らず、おいらが知っていることなどありません!」


「この世には乞食が知っていて、知恵を誇るものが知らぬということも多い。おっと、お前を乞食に例えてしまってすまなかった」


「滅相もない! それに、おいらは兵士になるまで、乞食と言われてもおかしくない生活をしていました。今では食事に困ることもありません。秀繁さまが、おいらの村で募兵してくれたおかげです」


「そうか、歳はいくつだ」


「13歳です」


 弟というものがいれば、こういう感じだったのかもしれない。

 愛玩動物に向けられる感情の一部のようなものを秀繁は感じた。

 同時に、この歳の子が戦場に出るという危うさをも感じたのだった。

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