第3話白い糸

「そうか、あなただったのか」


「はい、ぼんさま」


 人払いをして、ふたりは親し気に話し出す。

 秀繁にとっては、爺として父親より懐いていた相手だ。

 馬上で懐かしさを覚えたのも、無理はない。


「僕は生き返った? それとも転生した?」


「そのどちらでもありません」


 こほんと咳払いし、一呼吸おいて半右衛門は語り始める。

 急いている秀繁にとっては、その一呼吸が長く感じられる。


「あなたはそのままこの時代に来たのです。火が付く直前に塩と化し、そのまま逆行した」


「ここが、僕が住んでいた時代ではないことは、理解できている。父と母の見当も大体ついている。その見当を確信に変えてくれ」


 うむうむと半右衛門は頷く。

 理解が早い若者だ。どうやらこの少年をこの時代に連れてきて正解であったようだ、と思いながら。


「順を追って話しましょう。まず、ここは戦国時代。あなたの父親は羽柴秀吉公。母君はその御正室、寧々さま。あなたは羽柴秀吉さまと、御正室寧々さまの間にいたはずの嫡男であらせられます」


 だいたいわかっていたが、実際言われると告げる言葉がなくなる。

 絶句している秀繁を眼前に、半右衛門が二の句を口に出す。


「羽柴家は……豊臣家は滅亡します。あなたも歴史の授業で習ったでしょう。それは秀吉公死後に適当な年齢の、相応の能力を持った男子がいなかったため。7歳の秀頼公に、徳川家康の傍若無人な振る舞いを止める術はなく、大坂の陣で豊臣家は滅亡します」


 思いのたけをぶつけるように、半右衛門は続ける。


「そのためのあなたです。適当な年齢の相応の能力を持った豊臣家の血筋を持つ、あなたです」


「本当に僕は豊臣の血筋なの?」


「そうです。嫡子・・であるあなたがいれば、秀吉公が耄碌もうろくしても、秀次公が亡くなることもなく、朝鮮出兵もなくなり、大坂の陣どころか関ヶ原の戦いすらなくなる」


「半右衛門。あなたはいったい……」


「私は神子田半右衛門正治に過ぎません。私自身は処刑され、そして怨霊として悠久をさまよっていた。私自身の命と一族郎党の命、それもあなたがいれば救われる」


 さすがに、他人のためだけに命を懸けるものはいない。

 この半右衛門も、自分なりの権益を守るためにこういうことをやっているのだ。


「歴史を変えるのです」


 半右衛門は、力強く断言した。


「そもそも、寧々さまは結婚翌年身ごもりましたが流産に終わり、それ以来、子のできぬ体となってしまいました。しかし、今はあなたがいらっしゃる」


 半右衛門は、秀繁の眼をまっすぐ見つめ続ける。


「あなたには、その嫡子・豊臣秀繁として、振舞って頂きます。血統的にもちゃんと豊臣家の血筋を引いておられる。羽柴家家中の忠誠心は、ちゃんとあなたに向かうことでしょう」


 だが、秀繁は完全に納得したわけではない。

 疑問に思ったことをそのまま吐き出した


「僕を傀儡くぐつにするというわけか?」


「そうではありません、むしろ逆です。あなたには偉大な豊臣秀吉公の後を継ぐ、立派な君主になっていただきたい。秀吉公は偉大ですが、晩年は人を殺し過ぎて、負の歴史を作り続けてしまった。寧々さまとの間に跡継ぎたる嫡子がいれば、起こりえなかったことばかりです。没個性、または白き糸と言い換えられるあなたがこの上ない色になれば、これらをなかったことにできる。戦国時代を30年早く終わらせて無駄な血を流さずに済むのです」


 半右衛門は秀繁を見据え続ける。


「秀吉公は愛憎のとても深いお方。そんなお方が、愛する寧々さまとの間に嫡子をもうけていれば、その愛情は異常と言っても差し支えない」


 羽柴秀繁は没個性である。それは虚無でもある。

 それは、何もないことを示すが、何ものも受け入れることを示す、白き糸でもある。

 何色にも染まることを示すが、一度染まったら、他の色には染まりにくいことも示す。

 

 彼は自分の運命を受け入れ、いとも簡単にその色に染まることも受け入れた。

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