第2話過去へ

 奇妙な感覚が秀繁を捉えた。

 失ってしまった手足がまた、心の臓を中心として生え替わるような違和感。

 トカゲの尻尾でもなければ、そういうことは起きないはずだ。

 だが身体中を覆っていた塩がだんだんと復元し、人型を彩り、秀繁という人間は復旧する。


 眩しい日差しに目を突かれて、秀繁は目を覚ました。

 秀繁が暮らしていた東京のコンクリートジャングルにはあまり縁のない緑が目を覆う。

 草原と言っても差し支えない。

 都会ではあり得ないほどの緑と、透き通るような空の青。

 死後の世界というものは、こんなにも自然に溢れているものなのだろうか。


 茫然としていた秀繁は起き上がる。

 身体の痛みはない。それどころか、火傷のあともないようであった。

 聞いたことがある。死後の世界では、自分が一番健康であったときの身体で過ごせるということを。


「ここが死後の世界か……?」


 皮肉に思ったのは、秀繁の身体は死んだ直前に戻っていることだ。

 人間としての全盛期に死んでしまった、ということであろうか。


「若! 若っ! いずこにおわす!?」


 突然の闖入者ちんにゅうしゃがやってきた。

 馬に乗っているが、それは生前秀繁が牧場で見たことがあるものよりも一段と小さい。

 サラブレッドとポニーの中間とでも言うのであろうか。


「ここにいらっしゃられましたか。父君と母君がお待ちになっております。至急、城にお戻りくださいませ」


 笑顔で迎え、語り掛けてくるその姿は頭に丁髷ちょんまげが載っているではないか!

 死んだ後には、丁髷がスタンダードなのであろうか。

 一瞬だが真剣に考えてしまう。


「元服の儀を控えて城を抜け出すなど。お立場を考えてくだされ。今日からはもう大人なのですぞ!」


 何を言っているのかわからない。

 見当もつかない。

 元服の儀というからには、ここは江戸時代なのだろうか。


「言いたいこともあるでしょうし、尋ねたいこともあるでしょう。詳しいことはのちほど伺います。今は一刻も早くご登城願います」


 言うや否や、秀繁を馬上に引っ張り上げ、馬の横腹を蹴り加速させる。


「僕は馬に乗ったことなんか……うわっ。落ちる、落ちる!」


「しっかりおつかまりあれ。それとこの時代には『僕』などと言うものはいません。お気をつけくだされ」


「僕がだめ? じゃあ……拙者?」


 どうやら、時代劇のエキストラにいきなり選ばれたわけでもないらしい。

 秀繁は実感せざるを得ない。江戸時代にタイムスリップしたのだと。

 混乱の渦が大きくなり、頭の中を台風が舞う。


――僕、いや私はガソリンで燃やされて死んだ。生き返った? でも傷跡はない。


「若、これから起こることは何がなにやらわからないかもしれません。ただしばらくは頭が混乱いたしましょう。水が流れる如くなすがままになされませ」

 

 なぜかその言葉に、秀繁は長年聴いたことがある既知感を覚えた。

 馬上から見渡す風景は一度も見たことがないはずなのに、なぜか郷愁を感じる。

 まるでこの世界に元からいたような感覚だ。


 15分も馬に揺られていると、城というべきか砦というべきか迷うような屋敷に通された。

 中に入る前から、男の大音声が聴こえる。


――江戸時代に拡声器やらマイクがあっただろうか


 それくらい滑舌の良い、はっきりとした声だった。

 男は喚きながら、そして通り道に侍女とも言えそうな若い女がいると、その尻を触ったりしながらやってきた。

 現代ならセクハラだ。訴訟ものだろう。こういう場合はパワハラであるかもしれない。


「よくぞ帰った、と言いたいところだが、加冠のまえに一人で出歩くなどとは感心せんな、小猿丸!」


 その男は秀繁よりかなり小さくて、140cmあるかないか。そして掌には6本の指がついていた。

 顔は猿、そして鼠に似ている。まちがっても美男とは言い難い。


「父君であらせられまする、小猿丸さま」


 さきほど馬で迎えに来た男が、秀繁に向かってそう説明する。


「なに!? 説明せんと儂がわからんのか? そなたをこの世で一番愛している父の顔を忘れたのか。はっはっは! ぼんやりとしていそうで、やはりぼんやり生きておったか。大器物かうつけか、二つに一つ、その間はないのう!」


「いやですよ、父の顔を忘れるなどと御冗談ばっかり。それではこの母の顔も忘れているようではありませぬか」


 中年女性は少し太っているが美しく、人好きのする顔であった。

 善良そうで、性善説を具現化した女性を挙げろと言われれば、秀繁はこの女性を見た目だけで推薦したであろう。

 訝し気に眺めていると、


「本当にこの母も忘れたと申しますか? そなたをこの世で一番愛しているのは、この母だというに……」


「それは儂が先に言うたことじゃ!」


 夫婦は顔を見合わせ、にらめっこのように口を膨らませる。

 だが、それは仲が悪いからではない。

 むしろ仲が良いからであろう。双方の口先から息が漏れ、笑いに変わる。

 お付きのものもつられて笑いだす。

 所謂いわゆる、追従笑いではない。『いつものことだ』と自然と顔がほころんでいるようであった。


「一刻後に元服の儀を始める。皆のもの、我が家風は派手じゃ。せいぜい賑やかしくやってくれ!」


 その言葉を合図に城中のものが、威勢の良い掛け声とともに奔りだす。

 どうやら、かなりの家格の家らしい。

 自分が青春時代を過ごしてきた辛気臭い『豊臣の家』とは違い活気もあるようだ。



 頭を水で濡らされ、カミソリで髪を剃られる。

 そして、この時代の正装に着替えさせられる。

 何をやられているのかはさっぱり見当がつかない。

 なされるがままだ。

 だが、ここで変なことを言えば、ほっぽり出される可能性もある。

 死後の世界が、江戸時代かわからないが世知辛いものだと秀繁は思った。




烏帽子親えぼしおやは信長公である!」


 父親ちちおやは威勢よく声を上げた。


「しかし、ご多忙のため姫路には来られん! だがそなたに名をくださった!」


 小男は墨で黒々と2文字が書いた紙を取り出した。


「『秀繁』と名乗るがよい。ひいで益々さかえるという意味じゃ。さすがに『信』の字はいただけんかったわ!」


 その声に周りからのものが破顔した。

 秀繁自身は『もともと自分の名前をもらって何が嬉しいんだ』と少々不満である。


 だが『信長公』というのが気になる。


 父親が小男で猿に似ていて、秀の字を通字としている。

 これではまさか……


「まあ、よきお名前であること。これで我が家も2代目ができ、旦那様のご奉公にもますます力が入りますわね」


「うむ! そして仕置き家老として、神子田半右衛門を付け次の戦で初陣を飾らす! 半右衛門、こちらへ」


「ははっ」


 出てきた男は、さきほど馬に乗って秀繁を迎えに来たものであった。


神子田みこだ半右衛門はんえもん正治まさはるにございます。このたびは若殿の目付に任じて頂き、殿の信頼に一命をもって報いる所存であります」


「よくわからぬこともあるだろう。しっかと教えてやってくれ」


「ははっ」


 秀繁が神子田の顔をよく見ると、それはあの差し押さえられた家の執事であった。

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