3話

「ハールカ、来たよ!」


 ハルカと呼ばれた男性は、亜美佳の手を取って店の奥のテーブルに案内した。開店して間もなかったので、他のテーブルはまだ空いていた。


「一番乗り」

 

 亜美佳はピースサインをして、バッグから封筒を取り出してハルカに渡す。ハルカがそれを受け取ろうとしたとき、「でも、旅行に行くはずじゃなかったの?」と亜美佳がグイと顔を寄せた。


「そのつもりだったんだけどね。亜美佳の事を考えると行く気が失せてさ。飛行機もキャンセルしちゃった。凄くない?」とハルカが言った。


「嘘ばっかし」


 亜美佳がシートに寄りかかりながら言った。


「本当だよ」

「嘘だって」と


 亜美佳が頬を膨らませるので、ハルカは笑って、「怒ってる顔も可愛いね」とキザな台詞を躊躇いもなく言うと、彼は携帯を取り出し、メールの画面を亜美佳に見せた。


「悪い。おれ、やっぱり亜美佳に一日でも会いたいからパスしとく」


 送信先が誰なのかは不明だが、彼は本当にそのようなメールを送っているようだった。


「え……ほんとだった」

「本当だって言ってるじゃん。結構信用ないのね、俺」


「ごめんね」と亜美佳が謝り、「好きなの頼んでいいよ」と付け加えた。


「ルイ13世?」

「バカ」


 ハルカはくすくす笑いながら、近くにいたホストに手招きをして耳打ちした。ホストは「かしこまりました」と言い、離れていった。


 ルイ13世――それは高級ブランデーの一つで、ここでは200万円もする。亜美佳は以前、知らずに酔っ払ってそれを注文してしまったことがあった。それがきっかけでハルカとも知り合ったわけだが。


 スタッフが慣れた様子で動いているのを見ていると、ハルカがそっと亜美佳の頬に手を置いた。亜美佳は目を細め、その手に自分の手を重ねた。


「今気づいたけど、顔どうしたの?左の頬、赤いよ」とハルカが尋ねた。


 亜美佳はハルカに体を預けつつ、先ほど彼が指示を出した別のホストが、黒いハイヒール型のボトルを持ってきたのを見た。


「シンデレラ?別のでもよかったのに」と亜美佳が言った。


「亜美佳、覚えてる?これでシリーズ全色コンプリートなんだ。なんかさ、街とかで色を見るたびに亜美佳のことが思い出せるんだよね。だから、最後の黒も欲しかったんだ」


「そんなこと覚えてたの?暇人じゃん」と亜美佳が笑った。


 黒は他の色とは異なり、大人っぽさを演出していた。「そうなんだ」と亜美佳がつぶやき、飾られたボトルを眺めた。


「でも、今はその頬のことを教えてよ」


「うん」と亜美佳は答え、先ほどの出来事を一通り話した。


 話の途中、ハルカは、「ビンタされたの?」「誰に?」と驚きを隠せず、話が進むにつれて怒りを含んだ口調になっていった。


 店内での「いらっしゃいませ」という声が聞こえる中、ハルカの目は亜美佳から離れなかった。


「はあ、許せないんだけど」と亜美佳の瞳を見つめながら言った。


「その相手、誰か分かる?俺、黙っていられるタイプじゃないんだけど」


 ハルカの怒りは収まりそうになかった。


「いちおー、番号教えてもらってる」


 まだ、亜美佳が話していなかった最後の下りをハルカは聞いた。


 ハルカはすぐに亜美佳から教えられた番号を自分の携帯に登録し、登録名を「ゴミ」とした。それを見た亜美佳は笑った。



「許せないんだけど。やっちゃう?」

「どうするの?」



「こんなんどうよ――」


 ハルカは亜美佳の顔を右手で近づけるようにして、耳元でそっと何かを囁いた。

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