それは絶望ではなく、未来への希望

第41話 白月《パイユエ》ありがとう。いつかまた、逢える日を待っている

 全 紫釉チュアン シユ爛 梓豪バク ズーハオは、爛 春犂バク シュンレイたちが特別に手配した馬へと乗った。見慣れぬ風呂敷を背負う白月パイユエや冥界の王の言葉を頼りに、すべての謎を解くために戯山ぎざんへと向かっている。

 ロバには白月パイユエが乗り、白い馬の背には全 紫釉チュアン シユが座っていた。その二匹を引っぱるのは爛 梓豪バク ズーハオとなっている。


 途中、森の中で休憩をして焚き火を囲んだ。野宿のための準備を済ませ、全 紫釉チュアン シユたちは近くの川で採った魚を食べる。


「ふふ、爛清バクチン、お魚が口についてますよ?」


「ん? どこだ?」


 全 紫釉チュアン シユは彼の右頬に手を伸ばし、ついた魚の身を取った。


「うわぁー! マジか。ついてたなんて気づかなかったよ」


 ありがとう阿釉アーユと、無邪気にも似た笑顔でお礼を言う。


 全 紫釉チュアン シユは微笑した。焚き火を瞳に映し、寒さに少しだけ体を震わせる。


阿釉アーユ、俺とくっつこう。そうすれば、あったかいだろう?」


「……そう、ですね」


 互いに、ほんの少しばかりの照れを笑顔で表した。それでもふたりはくっつき、冷たくなった手に息を吹きかけては抱きつく。


 爛 梓豪バク ズーハオ全 紫釉チュアン シユの肩を優しく包み、「幸せだなぁ」と、呟いた。


 彼の言葉に反応した全 紫釉チュアン シユは、耳の先まで赤く染まってしまう。


 ──私も、彼も、お互いを好いている。それがどれだけ嬉しいことか。だけど……


 血が繋がった兄弟かもしれない。このことが、頭から離れてはくれなかった。白月パイユエに大丈夫だからと諭されたりもしたけれど、それでも半信半疑。

 信じていないわけではない。けれど悩むことが仕事の全 紫釉チュアン シユは、どうしても頷けなかった。


「…………」


 爛 梓豪バク ズーハオの腕に抱かれながら、唇を強く噛みしめる。



「──母上、大丈夫ですよ。母上が心配しているようなことはありませんから」


 焚き火の反対側にいる白月パイユエが声を溢した。火の奧から姿を見せ、全 紫釉チュアン シユの隣に座る。


「先ほども言いましたが、何も心配する必要はありません。父上と母上は、お互いの想いを成就できますよ」


 屈託のない笑顔をふたりに向けた。


 全 紫釉チュアン シユ爛 梓豪バク ズーハオは顔を見合せる。

 爛 梓豪バク ズーハオ全 紫釉チュアン シユを抱きよせ、白月パイユエに視線で問いかけた。


「……僕は、嘘はつきません。父上と母上の幸せについてのことなら、なおさらです」

 

白月パイユエ……」


 どう返答すればいいのか悩みながら、苦く笑む。ふと、あえて気にしないでいた子供の背中の物について尋ねた。


「えっと、その……背中の風呂敷は何ですか?」


 全 紫釉チュアン シユの、意外と強い好奇心が瞳をキラキラさせていた。ふたりにくっつくように座る白月パイユエへ、それとなく聞いてみる。


 すると白月パイユエはにっこりと微笑んだ。


「ああ、これですか? この時代に来たときに持っていた物です。歴史を変えない程度の、必要最低限の物ですよ」


 右手に持つ八角形の八卦鏡パーコーチンに触れながら答える。


「……えっと。なぜそんな物を持って、一緒に来ているんです?」 


 大きな目を瞬きさせながら小首を傾げた。銀髪がさらりと揺れる。


 ──ああ。多分だけど白月パイユエは……


 何かを悟った。

 口にしてしまえば、それが現実であるということが思い知らされてしまうのだろう。それでも白月パイユエ自身の道を拒むことなど、全 紫釉チュアン シユには出来なかった。


 白月パイユエは風呂敷を背負ったまま、ふたりの手を握る。少しだけ瞳を潤ませながら、しっかりと彼らを凝視していた。


「…………昨日、未来から連絡がありました。狂っていた歴史は正されたそうです」


 白月パイユエは歪んだ過去を正常に戻すため、この時代へと訪れた少年だった。

 滅んだはずの鬼魂グゥイコンが復活をし、母親は何年も目覚めない。頼りにしていた人たちは、白月パイユエをこの時代に送りこむために力を使い果たしてしまった。けれど……


「霊力が回復したそうです。それから、母上が目を覚ましたとも書かれていました」


 白月パイユエが住む時代の母上の正体は、全 紫釉チュアン シユだった。男なのになぜ子供が生めるのかという疑問は残るものの、それでも子供にとってはたったひとりの母親に代わりはない。

 

「──僕の役目は終わりです」


「……そう、ですか」


 ──そろそろ、この子も自分の時代に帰るときが来たのでしょうね。引き留めてはいけない。わかっているのに……


 泣いてしまう。けれど、泣いたら白月パイユエが困ってしまうのではないか。

 離れることの辛さと寂しさが混ざり、全 紫釉チュアン シユは感情をぐちゃぐちゃにしていく。

 爛 梓豪バク ズーハオの胸板に顔を隠し、声を殺して泣いた。


「……阿釉アーユ


 抱きつかれた彼は驚きはしたよう。両目を大きく開きながら、全 紫釉チュアン シユを優しく包容した。


白月パイユエ、ありがとな。お前がいろいろと助言してくれたから、阿釉アーユを救うことができた」


 右腕で全 紫釉チュアン シユを抱き、左手は白月パイユエの頭を撫でる。


 白月パイユエは首をふり、いいえと静かに言った。


「母上を闇の底から掬い上げたのは、他ならない父上です。父上がまっすぐな心でいてくれたからこそ……母上を愛し続けてくれたからこそ、こうして笑っていられるんだと思います」


 夜風に靡く髪を手で押さえる。両目を閉じ、静かに立った。


「……僕はもう、未来に帰ります。だから、ここでお別れです」


 待っている人たちがいる。待ち望んでた大切な母がいるから。

 そう、寂しそうに告げた。その手には古びた八卦鏡バーコーチンが握られている。それをカチカチと動かしていた。


「母上、あなたはひとりじゃありません。父上が、ずっと側にいてくれます。世界中のどんな人よりも、あなたの側にいてくれます」


 八卦鏡バーコーチンに掘られている鳥が光る。そして亀、龍が、同じように輝きだした。


「父上、もう、お気づきかと思いますが……僕の父上は、あなたです。僕は、爛 梓豪バク ズーハオ全 紫釉チュアン シユが愛し合って産まれた子供です」


 カチッという音とともに、最後の動物である虎が目映い光を放つ。瞬間、直前までの穏やかな輝きとは比べものにならないほど、強烈な光が周囲を包んだ。


 全 紫釉チュアン シユ爛 梓豪バク ズーハオは、咄嗟に両目を瞑ってしまう。


「……っ!? 白月パイユエ、私は……私は、あなたを忘れません! あなたは可愛くて、賢くて……とても優しい子だということを!」


 熱くなっていく目頭を擦った。瞳に映るのは、目映い光が柱となって天へと繋がっている光景である。その中に白月パイユエがいて、風呂敷を背負いながら笑顔を振り撒いていた。

 すると、子供の体がふわりと浮かび上がっていく。同時に、体が透明になっていった。


「──大丈夫。父上は、母上をずっと愛しているから。母上も、父上を永遠に想っているから。ふたりが想い続ける限り、僕は笑顔でいられる」


 すうーと、声すらも薄れていく。


「僕は幸せです。おふたりの子供でいられることが、愛してくれている事実があるのだから。だから……」


 泣かないで。涙ではなく、笑顔を見せてほしい。

 存在そのものが掠れていくなかで、嬉しそうに笑っていた。


 全 紫釉チュアン シユは彼の願いを胸に、爛 梓豪バク ズーハオに抱かれながら微笑む。


「父上、母上、ふたりが想い合う限り、僕は必ず、あなたたちの元にやってくる。だから後ろを振り向かないで。前を見て。それが……」

 

 白月パイユエの姿はほとんど消えていた。そして……


「僕にとっての、大切な父上と母上なのだから──」


 風とともに、白月パイユエの声が空へと登っていった。





 ざあー……


 ここにいたはずの子供の姿はなく、夜風だけがふたりの頬を掠めていった。


「……私、あの子に恥じない大人になります」


 堪えることのできない涙を頬に流し、必死に笑顔を取り繕う。


「だから、前を向いて行くと決めました。過去から逃げ続けるのは、もうやめます」


 ──白月パイユエ、ありがとう。あなたがいたから、私は前だけを見ることができるようになった。だから……また、あなたに会えると信じています。


 全 紫釉チュアン シユは彼の胸板へと顔を隠す。


白月パイユエが私に、明日を見る勇気をくれた。そして爛清バクチンが、過去を乗り越える力をくれた」


 ふたりの大切な人に教わったのは勇気。


 子供がくれた未来への可能性は、暗く閉ざされていた道に光を射すこと。

 大切な友が教えてくれた。変えられない過去であっても希望を持って振り払えば、そこにあるのは光だということを。


「゛助けて゛という、たったひとつの言葉。この言葉を口にするだけで、私はあなたに手を貸してもらえる」 


 それは、今まで誰にも伝えることができなかった一言だった。心の奥にしまわれたそれを吐き出す。そうすることで、暗闇に光が生まれる。


 全 紫釉チュアン シユは、ようやくそのことに気づく。

 爛 梓豪バク ズーハオの腕に包まれながら、涙を頬に伝わせながら、ひとりではないということを実感した。


 



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