第40話 真実は無情ではなく、優しさ

 建物が崩れていく。

 全 紫釉チュアン シユの霊力とあか魂石こんせきの力が合わさったほのおは暴走し、竜巻となって周囲を燃やしていった。



 何とか無事に逃げだせた白月パイユエは絶望の色を浮かべている。

 ともに逃げた李 珍光リー ヂェングアンも、どうすればいいのかわからず動揺してしまう。

 ただひとり、黄 沐阳コウ ムーヤンだけは他人事のようにほのおを眺めていた。

 そのことに白月パイユエ李 珍光リー ヂェングアンは、呑気に眺めてる場合かと詰めよる。しかし……


「ん? ああ、大丈夫だって。天井に穴が空いてたってことは、そろそろ……お?」


 ひょうきんな声で空を指差す。


 灰色の空がゆっくりと左右にわかれていった。次の瞬間、さんにんの元に無数の黒い羽が舞い降りる。羽に手を触れれば、淡い蛍火のような光とともに消えていった。

 

「……ようやく、お出ましか。遅かったな、冥王様──」


 黒い羽が階段となり、誰かが、静寂を纏って降りてくる。



 降りてきたのは美しい青年だった。

 腰までの黒髪を三つ編みにし、漆黒の漢服を着ている。

 凪の眉に、細いけれど美しい瞳。すっと伸びた鼻、薄い唇からは品が溢れていた。黒髪に見舞うだけの健康的な肌色も相まって、女性が見たら一瞬で惚れてしまいそうなほどに整った顔立ちをしている。


 そんな青年は男らしい骨太な指をしている手を出し、黄 沐阳コウ ムーヤンと握手を交わした。


「──話は、爛 春犂バク シュンレイから聞いた」


「そうか。爛 春犂バク シュンレイは冥界に着いたのか。で? こっち側で起きた事件について、一通り聞いたんだろ? ってかさ、どうやってこっちこれたわけ?」


阿豪アーハオが天に向かってほのおの剣を投げてくれたおかげで、人間界への道が開かれた。だから、来れたのだよ」


 ふたりは知り合いのよう。親しい様子で話をし、黒いほのおまれた建物を凝視した。


 青年は巻き起こるほのおの渦を見つめ、髪を手で抑える。


「……このほのおは私と同じものだな。これは、息子がやったのか?」


「……んー。まあ、そんなところかな?」


 黄 沐阳コウ ムーヤンの答えは、少しばかり苦笑いを含んでいた。

 

 青年はその表情の意味を悟ると、はあーと面倒くさそうにため息をつく。背筋を伸ばしてほのおに視線をやった。

 ほのおと向かい合い、右手を前に出す。グッと手を握り、瞳に力をこめた。瞬間、建物を覆っていたほのおが煙のように消えていく。


「……どうやら、霊力が暴走していたようだな」 


 表情を変えずに、壊れた建物へと進んだ。瓦礫を退けた拍子に、ふっと、笑顔を浮かべる。

 視線の先には、ふたりの美しい男が横たわっていた。


 ひとりは黒髪の男、爛 梓豪バク ズーハオだ。彼は体中がすすだらけ。着ている華服は焦げ、肌のあちこちが見えてしまっていた。

 そんな彼は一緒に眠る全 紫釉チュアン シユを守るように、包容しながら気を失っている。


 全 紫釉チュアン シユもまた、彼と同じように気を失っていた。

 ただ、華服は汚れてはいるものの、破れたりはしていない。この場にいる誰よりも長い髪は、左右の一部を残して銀へと戻っていた。

 爛 梓豪バク ズーハオという、たったひとりの信じれる友にいだかれ、涙を流しながら意識を失っている。


 互いを求め合うようにして眠るふたりを、白月パイユエが泣きながら揺さぶっていた。



「……黄 沐阳コウ ムーヤン、このふたりが起きたら、戯山ぎざんへ来るように伝えてくれ」


 三つ編みの美しい青年は、白月パイユエに心配ないよと声をかける。

 眠るふたりの頬にかかる髪をそっと退かした。彼らを見つめる瞳は優しさに満ちていて、暖かさすらあ感じられる。


「秘伝の薬を渡しておこう。火傷に効く、最高級品だ」


「……そんなのあんのか? ってか、真実を伝えるのか?」


「ああ。いつまでも隠しておくわけにはいかないだろう。それと……」


 青年の登場に驚いて腰を抜かしている李 珍光リー ヂェングアンを見た。

 李 珍光リー ヂェングアンは「ひえっ」と、小さく震えている。尻もちをつきながら父である黄 沐阳コウ ムーヤンの足にしがみつき、イヤイヤと涙ながらに青年を拒否していた。


 黄 沐阳コウ ムーヤンはそんな彼の首根っこをムンズと掴む。そしてあろうことか、青年の元へと投げた。


「馬鹿息子、冥王の元で性根を叩き直してこい!」


 いい機会だと言わんばかりに、とても爽やかな笑顔になる。


 李 珍光リー ヂェングアンはふたりの大人に挟まれ、しくしくと泣き続けていた。それでも諦めが悪いようで、意識のないふたりに向かって「うわーん! 爛兄バクニィ紫釉シユ様ー! 助けてッスー!」と、助けを求めている。

 けれど青年にひと睨みされた瞬間、借りてきた猫のようにおとなしくなった。


 青年は深くため息をついて、李 珍光リー ヂェングアンへと手をかざす。すると黒いほのおが現れ、李 珍光リー ヂェングアンの体に巻きついた。

 そして軽々と持ち上げ、肩へと担ぐ。


「この者が人間界でやっていたこと。それを見逃してしまっていた私にも責任はある。例え半妖だったとしても、私の配下である妖怪に変わりはしない」


 どんなに偉い地位にいる者であっても、ひとつひとつを細かく見ることはできない。それはこの、冥王と呼ばれている青年とて同じだった。

 けれど今回ばかりはそれでは駄目だと、はっきりと言葉にする。


「今回の騒動も元をただせば、幽霊谷に住む鬼の一族にすべて任せてしまっていた私のせいでもある。何よりも……」


 仲慎ましく横たわっているふたりを注視した。


「私の子が巻きこまれてしまったわけだからな……」


「……ああ、まあな。ってか、あのことも、爛 春犂バク シュンレイから聞いたのか?」


 黄 沐阳コウ ムーヤンは指で口笛を鳴らす。すると、森の中から一台の荷馬車が走ってきた。

 寝ている彼らを荷台の中へと乗せ、自らは手綱を手にとる。


 人攫い顔負けな鮮やかさを披露する彼へと、青年は軽く頷いた。


チュアンの姓を与えた理由も聞いた。あの男……爛 春犂バク シュンレイは、確信を持っていたらしい」


「ははは。あの男らしいな。……ん? 待てよ? ってことは冥王様は、今の今まで知らなかったってことか?」


「……いや。何となくではあったが、そういった予感はしていたさ」


 少しだけ弱々しく首をふる。けれどそれ以上のことは言わず、踵を返した。

 

「細かなことは後日だ。私はこう見えても忙しい身でね」


 ふっと微笑する。そして片手をかざし、空に大きな穴を開けた。無数の黒い羽で階段を作り、嫌がる李 珍光リー ヂェングアンを肩に担ぎながら登っていく。

 やがて、李 珍光リー ヂェングアンと一緒に姿を消していった──


 □ □ □ ■ ■ ■


 事件が一旦解決し、縁二閣匐エンニィカクフ全 紫釉チュアン シユ爛 梓豪バク ズーハオは目を覚ました。

 おかしなことに外傷はなく、服も燃えていない。髪すらもきれいなままだった。

 それについて黄 沐阳コウ ムーヤンから聞いたのは、「冥界の王が現れてすべてを解決した」という言葉だけだった。

 




「……阿釉アーユ、相変わらず食うなぁ」 


「食べるということは、とても大事です。私は逃亡中、食べれなかったときが結構ありましたし」 


 笑顔で答える全 紫釉チュアン シユの前には、山積みになった食器が置かれている。机を挟んだ向かい側にいる爛 梓豪バク ズーハオの顔が見えないほどだ。


「いやいや。そうだったとしても、これは……」

 

 向かい側からから笑い声が聞こえる。ときおり、うぷっと、吐き気を堪えるようなものも耳に届いてきた。

 けれど全 紫釉チュアン シユは気にせずに、次々とお腹へと入れていく。しばらくしてから、満足したとお腹を擦った。


「はあー。ご馳走さまでした」


「そ、そうか。よかったな……」


 爛 梓豪バク ズーハオは青い顔をしながら食器を退けていく。はあーとため息をつき、いつになく神妙な面持ちになった。

 全 紫釉チュアン シユの細くて白い手を握り、額に汗を流していく。


阿釉アーユ、好きだ! 俺の情人こいびとになってくれ!」


 握ってくる彼の手は、やけにベタついていた。

 その理由も、言葉の意味もわかからない全 紫釉チュアン シユではない。けれど……


「……ふふ。突然、何を言い出すかと思えば……」


 笑って誤魔化すしかできなかった。


 ──私も、本当はあなたのことが好きです。爛清バクチンの情人になりたい。でも……


 己の中にある、ひとつの大きな不安が膨れていく。はいと答えることができず、ただ、首を左右にふるだけだった。

 彼の手をそっと退かし、黒くなった髪の一部に視線を送る。その部分を見るだけで胸が締めつけられ、泣いてしまいそうになった。冬の寒さのせいか、それとも緊張からする震えなのか。それすら考える余裕がないほどに、胸の奧から苦しくなっていった。

 涙を瞳の奧に隠し、無理やり笑顔を作る。


「……無理、ですよ。だって私とあなたは……」

 

 ──泣くな。泣いたって、何も変わらない。爛清バクチンを困らせてしまうだけ。


 必要に心の中で感情を抑えた。

 作り笑いのまま爛 梓豪バク ズーハオを見れば、視界が滲んでいく。彼の困ったように眉をよせる表情が、全 紫釉チュアン シユの唇をギュッと結ばせた。


「……血の繋がった兄弟かもしれないんですから」


「…………え?」


 驚いた様子で両目を見開く彼をよそに、全 紫釉チュアン シユは下を向く。


 ──爛清バクチンの顔を見れない。見てしまえば、彼への想いが強くなってしまう。


 もういっそのこと、ここで別れを切り出してしまおう。そう、考えてしまった。

 顔をあげて困惑している彼に伝えようと、口を開いたそのとき──



「──諦めるのは、まだ早いですよ? 父上、母上」


 部屋の扉が開き、薄黄色の華服を着た白月パイユエが現れた。大きな風呂敷を背負い、右手には角が欠けた八角形の八卦鏡パーコーチンを持っている。


 この場にいる誰よりも朗らかな笑顔。そしてふたりを見つめる瞳には、優しさが溢れていた。


 







 



 


 

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