この手を伸ばすから掴んで。離さないで

第37話 鬼魂《グゥイコン》

 馬とロバに乗り、ひたすら走ること二日。爛 梓豪バク ズーハオは、白月パイユエとともに鬼魂グゥイコンの前まで到着した。


 滅びた町というだけあり、生き物の気配すらない。柱が折れて壁が崩れた家屋、もやされて焦げた跡。腐敗して木乃伊ミイラと化した家畜など。当時の悲惨さを物語っている光景だ。

 濃厚な霧の中、紙銭が舞う。鼻を覆いたくなるような腐敗臭も混じり、当時の悲劇の爪跡が酷く残っていた。


「……ここが、鬼魂グゥイコン


 怯える動物たちを逃がし、白月パイユエとともに崩壊した町中を歩く。


 ここは妖怪ですら住みつくのを拒む町のよう。町の出入り口の外にいる妖怪たちが口々に『この場所は呪われている。こんな場所に入るやつは、頭がおかしい』と、爛 梓豪バク ズーハオを見てはひそひそ話をしていた。


 彼は苦笑いしながら頭を掻く。町の外から悪口だけをうしか脳のない妖怪たちを睨み、しっしっと追い払った。


「……気持ちは、わからなくもないけどさ」


「そうです、ね。でも……それでも僕たちは、母上を助けるために行かなくてはなりません」


 子供らしさなど微塵もない神妙な眼差しで、前だけを見据えている。


 そんな白月パイユエの頭をわしゃわしゃとし、爛 梓豪バク ズーハオはニカッと白い歯を見せた。


「よし! 阿釉アーユを取り戻そうぜ!」


「……はい!」


 ふたりは町の奥を目指して進む。


 崩落した建物ややぐらを視界に入れていった。やがてあか色の瓦屋根の家屋にたどり着く。柱はあかで、壁は薄い橙色の建物だ。

 壁の表面は、ところどころ塗装が剥がれてしまっている。けれど比較的きれいな状態が保たれていて、誰かが住んでいてもおかしくないような建物だった。


「……? 何でここだけ、こんなにきれいなんだ?」


 周囲を見渡す。

 この建物の周りには家屋と呼べるものはなかった。けれど蒼い花が咲いていて、非常に美しい。

 花の香りだろうか。彼らの臭覚を刺激するそれは、どこか優しい香りだった。


「これ、すっげえきれいな色の花だよな? なんて名前なんだろ?」


 腰を曲げて花に触れる。

 花びらは、つるつるしていて滑らかだ。


 ──何だ? この花、何か普通とは違う力を感じる。


「なあ白月パイユエ、俺の気のせいかもしれないけどこの花……っ!?」 


 そのとき、建物の扉が音をたてて開いていった。


「うおっ!?」


 建物の中から、不気味な黒い陰の気が溢れ出てくる。扉が開いた瞬間、氷点下の空気がふたりの体を打ちつけた。

 

「寒っ! 何だこれ!? って、白月パイユエ! 俺の体を盾にするなぁーー!」


「だって、寒いですしぃ。ううー。僕は寒いの苦手なんです」


「だからって、俺を盾にするやつがあるかー!」


 寒い寒いと連呼しながら、ふたりは歯をガチガチと鳴らす。

 爛 梓豪バク ズーハオの吐く息は白い。はあーと、両手に息を吹きかけでは暖めた。両頬を軽くたたき、気合いを入れる。


「……よし、行くか。多分だけど、これは阿光アーグアンからの誘いだって思う。来れるものなら来い! ってやつだな」


 挑発しやがってと、手のひらをパシッとたたいた。寒さに震える白月パイユエの頭を撫で、先陣をきる。


 中に入った瞬間、扉は自然に閉まった。


 ──やっぱり罠か。阿光アーグアンのやつ、何を考えてやがる。


 指先に黒いほのおまとわせ、灯りの代わりとした。

 建物の中は広く、奥が見えない。部屋へと通じる扉すら見当たらず、一本道のよう。歩く度に靴音だけが響いていた。


「二階とかは、ないっぽいな。ということは……地下の可能性があるな」


 義賊として、数々の建物に侵入してきた。その経緯を生かし、勘を働かせていく。

 壁をコンコンとたたき、音の違いを確認した。床は軽く踏みつけ、凹む箇所を探す。やがて……


「……あった!」


 壁の一部が他のものとは違うようで、空気を含む音がした。その部分をぐっと押す。するとガコンッという鈍い音が耳に入った。

 壁が、大きな音をたてながら横へとズレていく。


「……地下、か」


 扉の先へと灯りを伸ばした。そこは暗黒しかない場所で、階段が見えにくくなっている。

 爛 梓豪バク ズーハオ白月パイユエの手を握り、転ばないように一歩ずつ、ゆっくりと降りていった。



 降りた先には長い通路がある。

 ふたりは頷き合い、奥へと進んでいった。


 数刻たつと、朱黒あかぐろい大きな扉を発見する。

 四つ角が金色に装飾されていて、東西南北には鳥や虎の絵が描かれていた。


「……これは、四神か」


 東には青い龍、西には白い虎。南は赤い鳥、北には亀のような生き物。これは、四神と呼ばれる存在だ。

 古来よりこの禿とくは、四神を祀る風習がった。神に例えられる彼らは、國を護る存在とも言われている。

 そして何よりこの世とは違う場所、冥界と呼ばれる妖怪たちが住む地への入り口を封じる役目も担っていた。


「……親父は、これに似た門から人間界に来たって言ってたな」

 

 なぜ、そのようなものがここにあるのか。不思議ではあった。けれど、これから対立しようとしている者が鬼魂グゥイコン出身という。そのことを踏まえると、気にすることではないのかもしれない。


 爛 梓豪バク ズーハオは、ひとりごちった。深呼吸したのち、扉をほのおで焼いて強行突破しようとする──


『──開いてるッスよ、爛兄バクニィ


 瞬刻、扉の中から聞き慣れた声がした。


 爛 梓豪バク ズーハオ白月パイユエは顔を見合せ、扉に手をやる。すると扉は触れた瞬間に、霊気を帯びた風を撒き散らしていった。同時に静寂を交えて、扉が開かれてく。


 爛 梓豪バク ズーハオ白月パイユエよりも一歩先に中へと入った。


「……阿光アーグアン


『数日ぶりッスね? 爛兄バクニィ──』


 もはや、黒髪だったときの面影などありはしない。爛 梓豪バク ズーハオを兄と慕う男など、いはいなかった。

 眼前にいるのは、玉座のある階段へと座るあかい髪の男だ。ふてぶてしさを笑みに乗せながら、瞳をギラギラとさせている。


 そんな男の隣……玉座には、意識を失ったまま座っている全 紫釉チュアン シユがいた。美しかった銀の髪のほとんどが漆黒に染まっている。


「あ、阿釉アーユ!?」


「あはは! そう、それッスよ! 爛兄バクニィの、その顔が見たかったんッス!」


 李 珍光リー ヂェングアンは性懲りもなく大笑いした。


 爛 梓豪バク ズーハオが眉に嫌悪感を乗せれば、李 珍光リー ヂェングアンはますますお腹を抱えてあざ笑う。そして腰を起こし、気を失っている全 紫釉チュアン シユの髪を指へと巻きつけた。

 その顔たるや、人を小馬鹿にした笑みしか浮かべていない。


阿光アーグアン阿釉アーユから手を離せ!」


 けれど彼は李 珍光リー ヂェングアンよりも、全 紫釉チュアン シユの身の安全の方が大事だった。


 ──阿釉アーユに触っていいのは俺だけなんだ。お前なんか触るな。その髪も、顔も、何もかもが、俺だけのものなんだ。


 嫉妬というものの正体がわからないまま、彼は李 珍光リー ヂェングアンと真向かった。

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