第35話 待っててくれ! 絶体に助けるから

 全 紫釉チュアン シユが陣の中へと引き釣りこまれた直後、町の上空は明るさを取り戻した。太陽の光すら出ていて、ぽかぽかとしている。



 そんな縁二閣匐エンニィカクフを後にした爛 梓豪バク ズーハオたちは、とある場所へと向かっていた。


白月パイユエ、本当に阿釉アーユは、鬼魂グゥイコンにいるのか?」


 常に旅のお供として一緒にいるロバ……ではなく、白い馬に跨がって話す。

 子供の愛玩用となったロバには、白月パイユエが乗っていた。


 そんなふたりは動物たちの背に乗り、目的地へと進んでいた。





 町を出発する直前、爛 春犂バク シュンレイたちと話をした。白月パイユエの正体については一部だけを隠し、黄 沐阳コウ ムーヤンの息子の思惑をハッキリと伝える。

 当然、黄 沐阳コウ ムーヤンは驚いていた。自分の息子があか魂石こんせきのために爛 春犂バク シュンレイを襲い、あまつさえ、全 紫釉チュアン シユを拐ったのだ。

 これ以上ないほどの衝撃だったようで、黄 沐阳コウ ムーヤンは一言も発しはしなかった。


 代わりに口を開いたのは爛 春犂バク シュンレイである。爛 梓豪バク ズーハオ|はもちろん、白月パイユエですら知りえない、ある真実を語った。


李 珍光リー ヂェングアンは、黄 沐阳コウ ムーヤン殿の本当の息子ではない」


 鬼魂グゥイコンの町で全 紫釉チュアン シユを拾い、爛 春犂バク シュンレイの孫として育てたこと。

 そしてもうひとつ。彼らは秘密にしていた真実を打ち明ける。


「私が孫を助けていたとき、黄 沐阳コウ ムーヤン殿も、町にいた子供を助けていたのだ」


 それが李 珍光リー ヂェングアンだと、悪びれた様子もなく話した。


「あの町で孤児になった子供は多い。残念なことに、すべての子供は救えまい。それでも、ほんの一握りだけでもと、私と黄 沐阳コウ ムーヤンがそれぞれひとりずつ引き取ったのだ」


 偽善者と言われようともかまわなかった。少しでも子供に未来をあげられるのなら、それでいいに越したことはない。

 彼らは、淡々と打ち明けていった──





「身勝手な大人だからこその選択だ。こればかりは、な」


 そう口にする爛 春犂バク シュンレイの眉は、いつになく下がってしまっている。


 爛 梓豪バク ズーハオはもう大人だ。自分で判断して動くことを基本とする、大人である。

 彼らの行いがどうだったにせよ、すべての決断は自分で考えなくてはならない。いつまでも子供でいることができない世の中だからこそ、彼らの行動を咎めることができなかった──




「俺だってさ、もう大人だ。だけど……」


 必死に走る馬の頭部を見つめ、紐を軽く引っぱった。

 

 ──多分、俺も同じ立場だったら、そうしてたんだろうな。すべてを救おうなんて、思わないはずだ。目の前にあることだけしか考えられない俺だからこそ、お師匠様たちの意見に反発なんてできなかったんだろうな。


 自分はまだ、子供でありたいわけではない。それでも、爛 春犂バク シュンレイたちの行いの良し悪しがわかるほど、大人でもなかった。


「……子供を引き取るってのは、本当に大変だからな」


 白月パイユエを赤ん坊のときから世話をしたことが身に染みたよう。子育ての大変さを理解したうえで、爛 春犂バク シュンレイたちに同情した。


「なあ白月パイユエ阿光アーグアンの目的はわかんないのか?」


 少し後ろを走るロバに乗る白月パイユエを見て、声をかける。


 するとロバは足を早め、彼の隣に並んだ。ロバの手綱をひく子供は首を左右にふり、申し訳なさそうに眉根をよせる。


李 珍光リー ヂェングアンの本当の目的はわかりません。ただ、これまでの行動を考えると、あか魂石こんせきで何かをしようとしているのは間違いなかと」


 ふたりは走るロバや馬たちの背に乗りながら、風の抵抗を体に受けていった。髪が邪魔をして前を見えなくしてしまえば、無理やり退かす。寒さに負けそうになったら脇をしめて、抵抗を軽くしていった。

 そうでもしないと、体が吹き飛ばされてしまう。


 ふたりはそれほどまでの速度で、動物たちを走らせていた。しかしそんなことをしていれば、動物たちの体力にも限界がくるというもので……砂利道のど真ん中で二匹は動かなくなってしまった。


「……頼むよぉ、走ってくれ」


 情けないほどに眉を曲げている爛 梓豪バク ズーハオの言葉を受けても、馬は目を開けない。すやすやと、気持ちよさそうに道端で眠ってしまっていた。

 

 ロバの方は起きている。けれどぜぇはぁと、呼吸がかなり荒くなってしまっていた。


 白月パイユエは地面に足をつけ、ロバにありがとうと優しく伝える。


「父上、今日は無理だと思います。明日にしましょう」


 早く鬼魂グゥイコンにたどり着きたい。けれど、足となる動物たちに無理強いをするわけにはいかなかった。


「……そう、だな。俺たちよりも足が速いこいつらにバテられたら、終わりだし」


 爛 梓豪バク ズーハオはぐっと言葉を飲みこむ。しょうがないと言い、その場にドカッと座った。がに股になり、適当に集めた枝を山のように乗せていく。それに黒いほのおで火をつけ、焚き火を作った。


 ──阿釉アーユ、無事でいてくれよ。


 大切な人の顔を思い浮かべながら、焚き火を視界に入れた。ふと、ある疑問が脳裏に浮かび、それを焚き火を囲んだ向かい側にいる子供へと投げてみる。


「……なあ白月パイユエ阿光アーグアン阿釉アーユと同じ、鬼魂グゥイコン出身ってことなんだよな?」


 黄 沐阳コウ ムーヤンの実子ではなく、養子として迎え入れられたことを知った。ただそれだけならば、何の問題もないのだろう。

 コウ家の当主である黄 沐阳コウ ムーヤンは独り身だ。跡取りはいなかったため、李 珍光リー ヂェングアンを後継者として育てていた。


 それが、真実となっている。


「……僕も詳しくは知りませんが、鬼魂グゥイコンの町で黄 沐阳コウ ムーヤンが彼を引き取ったと聞きます」


「そうなると、だ。あいつは妖怪の可能性あるな」 


 ──どちらにせよ、情報が少なすぎる。縁二閣匐エンニィカクフを出ら直前に、黄兄コウニィも言ってたな。鬼魂グゥイコンで出会って、養子にしたって。あれ? そうなると、だ。阿釉アーユはいつ、お師匠様たちの孫になったんだ?


 鬼魂グゥイコンを抜け出し、逃亡生活を続けていた。その最中にでも、養子になったのだろうか。ただそれだと、警戒心がないに等しいことになる。


阿釉アーユは、ずっとひとりで逃げてたって言ってたな。途中でお師匠様たちの孫になったのなら、お師匠様たちに守ってもらえばいいだけじゃないか?」


 うーんと、頭を捻った。腕を組んで、ない脳ミソを必死に絞りだす。

 

「……阿釉アーユは警戒心があるのか。それともないのか。ちぐはぐで……つて、おい! いい加減にしろ!」


 思考を放棄して、そばにいる二匹の動物を睨んだ。見れば、ロバは彼の髪の先を口に入れていた。馬にいたっては爛 梓豪バク ズーハオの背中をひずめで押して、鼻で笑っていた。


 ──こ、こいつら。俺らが、お前たちの足がないと困るのをいいことに、人間を下に見てやがる!


「人間様を馬鹿にしやがって……って、何で白月パイユエには甘えてんだよ!?」


 いつの間にかロバは、白月パイユエに頭を差し出していた。撫でて撫でてと、甘い声で鳴く。馬も体を差しだし、撫でてほしそうにすがっていた。そんな二匹は、小馬鹿にしたような笑みを爛 梓豪バク ズーハオへと向けている。


「ひょーー! お、俺は、家畜以下かよーー! ぶっ飛ばす!」


 頭にきた彼は、二匹の動物と争いを始めた。

 髪を引っぱられては蹴られ、鼻で笑われてはキレて……


 そんな彼を、白月パイユエは傍観者として眺めていた。


「…………動物に鼻で笑われる人、初めて見ましたよ」


 子供の乾いた笑い声だけが、焚き火の中に消えていった。


 □ □ □ ■ ■ ■


 謎の陣に吸いこまれた全 紫釉チュアン シユは、真っ暗な闇の中にいた。そこは文字通り、光すら差し込まない漆黒だけの世界だ。

 そんな場所に、ひとつだけ椅子がある。豪華な椅子は所要、玉座と呼ばれるものだ。


「…………」


 その玉座に、全 紫釉チュアン シユは座っている。意識がないようで、両目を閉じてぐったりしていた。けれど閉じられた両の瞳の端には、ほんの少しだけ濡れている。

 

 


 コツコツ……


 全 紫釉チュアン シユ意外誰もいないはずのこの場所に、靴音が響く。それは少しずつ玉座へと近づいていった。やがて音はやむ。

 

「…………」


 音の主は、長いまつ毛を震わすことすらしない全 紫釉チュアン シユを見下ろしていた。静かに、優しく銀髪を掬い上げる。髪を指に絡ませ、細さを楽しんだ。


「……ようやく、手に入れた」


 眠る全 紫釉チュアン シユへと顔を近づけた。口づけができてしまいそうなほどに近づき、頬へと手を伸ばす。


「俺たちはずっと、この日を待ち焦がれてたッスよ」


 暗闇の中、突然、全 紫釉チュアン シユの顔に光があたった。どうやら、この声の主が術を使って灯りを作っているよう。右手から、淡い光が揺らめいていた。


あか魂石こんせき? そんなの、口実に過ぎないっス」


 誰も聞いていない地で、静かに語る。

 

 光が声の主の顔を照らした。


「俺が、先でなければ・・・・・・ならない・・・・んだ」


 爛 梓豪バク ズーハオよりも先に行くことが必要。何もかもを先に見立てることこそが大事なのだと、呪文のように繰り返していた。


 その声の主の正体は、李 珍光リー ヂェングアンである。髪は宵闇のような黒ではなく、燃え盛るほのおの色をしていた。瞳もあかい。

 もはや黒髪だった頃の面影など、ありはしなかった。


 それでも彼は、くつくつと不気味に笑う。


 響き渡るのは李 珍光リー ヂェングアンの笑い声だけ。それ以外は、何も聞こえはしなかった──



 

 


 

 

 



 






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