第28話 名字には秘密がある。だけど……

「……阿釉アーユ?」


 全 紫釉チュアン シユは何を言っているのだろうか。まるで、鬼魂祭グゥイコンサイの原因に関わっているかのような口振りだ。

 鏡の中に閉じこめられているせいで、表情まではわからない。けれど声から、明るさが消えている。それだけは、呑気な爛 梓豪バク ズーハオですら感じ取れていた。


「本当に、どうしたんだ? ……今の阿釉アーユの口振りからすると、鬼魂祭グゥイコンサイに関係する何かを知ってるってことか?」


『……私は、見ていることしかできなかった』


「何を?」


『…………』


 これ以上のことを聞くのは難しいようで、全 紫釉チュアン シユからは何も返答がない。それどころかまったく喋らなくなり、無口に変わってしまった。


 ──うーん。どういう意味だ? そもそも阿釉アーユが何者かなんて、俺は知らねーし。


 爛 梓豪バク ズーハオは自分の産まれ……半妖である事実を話したことがあった。

 けれど全 紫釉チュアン シユは、爛 春犂バク シュンレイたちが祖父ということ以外、語ってもらった記憶はない。


「……本当は、無理やり聞きたくはなかった。でも、このまま謎が増えていくのは、どうにも性に合わなくてさ」


 心配する白月パイユエの頭を撫で、鏡を凝視した。自分の顔すら映らない、変わった鏡に笑顔を向ける。


「なあ阿釉アーユ、ずっと疑問に思ってたことがあるんだ。それだけでも、答えてくれないか?」


『……答えたくないと言ったら?』


 全 紫釉チュアン シユがそう言うのを知っていた彼は、白い歯を見せて微笑した。


「もしそうだったら、俺は阿釉アーユの信頼を勝ち取れてなかったってことだ。俺自身のせいだ」


『…………変な人』


「はは、よく言われる……って、うわっ!?」


 苦笑いしながら頬を掻く。


 瞬間、鏡が淡いあお色に包まれた。かと思えば、目映い光がその場を支配する。

 爛 梓豪バク ズーハオ白月パイユエは眩しさに負けて、両目を閉じた。

 

 光が収まり、ふたりは目を開く。するとそこには、銀髪を携えた美しい人──全 紫釉チュアン シユ──が立っていた。

 けれど笑顔ではなく、どこか沈んだ表情をしている。眉根は極限まで下がり。瞳は潤んでいた。今にも泣き出してしまいそうな顔で、爛 梓豪バク ズーハオを見つめている。


「……うっ! かわいい……じゃなくて! 阿釉アーユ、鏡の中から出れたのか!?」


 全 紫釉チュアン シユの顔や肩、両手、髪の毛に触れた。


 ──触れる。よかった、幻影じゃなかった。


 目の前にずっと求めていた人がいて、触れたいと願った者の姿がある。それだけで幸せを感じてしまい、目頭が熱くなっていった。

 ぐしっと、誰にも気づかれないように目を拭く。


阿釉アーユ、よかった……もう顔も見れなくなって、触れることもできなくなっちゃったかと思った」


 ギュッと、全 紫釉チュアン シユを抱きしめた。


 全 紫釉チュアン シユは一瞬だけ、驚いた様子で両目を見開く。次第に目が緩み、微笑みながら抱きしめ返してくれた。


「すみません。実を言うと、この町に着いてから、鏡から脱出することもできてたんです。でも……」


 両側に黒が混じる銀髪を両手で握る。白い頬を、紅色に染めた。大きな瞳を潤ませ、上目遣いになった。


「……っ!?」


「あ、あなたが、私を呼ぶ声が聞こえてきたんです。その声がすごく苦しそうで……で、でも……」


 もじもじと。何か言いたげな眼差しを向けてくる。


「わ、私自身が、あなたと触れていないと辛くて。触れないと思うだけで、胸の奥が苦しくなってきてしまいます」


 ふふっと、はにかんだ。美しさの中に、儚さを混ぜる。薄く、艶のある桃色の唇から吐息が洩れた。


「……っ!?」


 全 紫釉チュアン シユが無意識に放つ色香に、ドクンッと、彼の鼓動が大きく高鳴る。

 抱きしめていた全 紫釉チュアン シユの体を慌てて離した。耳の先まで真っ赤になった顔を逸らし、汗ばむ両手を隠す。わたわたと、たどたどしいまでに、情けない眉になってしまった。


 ──阿釉アーユ、すっげぇーいい匂いがする。きれいなだけじゃなく、優しい香りだ。だけど何だろう……この香り、どこかで……


 懐かしい。そう、思ってしまった。


 なぜ、そのようなことを考えてしまうのか。彼自身、不思議でならなかった。


「……爛清バクチン?」


 硬直した爛 梓豪バク ズーハオを心配した全 紫釉チュアン シユは、こてんと小首を傾げる。黒が少しばかり目立つ銀髪がさらりと流れた。


「んんっ! 本当にかわいい!」


 直前まで思っていたことなどすっかり忘れ、全 紫釉チュアン シユの姿に酔いしれる。

 一緒にいる白月パイユエに「父上、母上とは仲良しでいいですね」と、拍手された。爛 梓豪バク ズーハオは子供の頭を軽く小突く。


「……あ、あの爛清バクチン

 

 全 紫釉チュアン シユは再び上目遣いになった。けれど、先ほどのように頬を赤らめてはいない。純粋な眼差しで、彼を見ているだけのようだ。


 それでも爛 梓豪バク ズーハオの心は喜びで震えたまま。カチカチに固まったかのように、照れながら全 紫釉チュアン シユを見下ろす。

 

「へ? あ、えっと……な、何だ?」


「……さっきあなたは、何を質問しようとしていたのですか?」 


「あ、ああ、そのことね」


 ふと、自分が言い出したことを思い出した。こほんっと軽く咳払いをして、全 紫釉チュアン シユを凝望する。表情から笑顔を消し、神妙な面持ちに切り替えた。

 爛 梓豪バク ズーハオ、そして全 紫釉チュアン シユ。交互に服の上から胸をトントンする。


阿釉アーユの名字……チュアンってさ、俺の親父と同じなんだ。どこにでもある名字じゃなくて、かなり珍しい名字だって聞いたことある。でも、だからこそ、こんなすぐ近くに、同じチュアンっているものなのかなって」


 爛 梓豪バク ズーハオの名字は、師匠である爛 春犂バク シュンレイから取ったのだ。元々彼はチュアンだった。けれど父親の束縛から逃れたいために、その名字を捨てしまう。

 見かねた爛 春犂バク シュンレイが、バクを名乗ることを許してくれた。


 彼は自分の名字について、そう教えた。けれど全 紫釉チュアン シユは違う。爛 梓豪バク ズーハオの両親にえんなど、何もないはずだ。それなのになぜ、チュアンを名乗っているのか。

 それだけが、ずっと引っかかていた。


「……まさかとは思うけど。俺たち、血が繋がった兄弟とかじ……」


「それは、ありえません! 兄弟のはずがない! そう、信じたい……」


 疑うなと言わんばかりに、言葉を被せられてしまう。けれど語る声は、少しずつ勢いをなくしていった。


「え? そう、なの?」


「はい。私はある理由で叔父上たちに拾われ、育てられました。その際に、チュアンを名乗ればいいと教えられまして……」


「…………」


 爛 梓豪バク ズーハオは拍子抜けし、肩から脱力していった。よかったと、心の底から安堵する。


「あれ? でもそうなると、何で名字を変えたんだ?」


「それは私が──」


 全 紫釉チュアン シユの唇が動いた直後、旅仲間でもあるロバが、突然暴れだした。そして町中にいる犬や猫など。あらゆる動物たちが落ち着きをなくして、鳴き始めた。

 町の人々は何だどうしたと、大慌てだ。



 爛 梓豪バク ズーハオは突然どうしたのかと、互いの顔を見合わせる。そのとき、ふたりはガシッと、誰かに腕を掴まれた。

 警戒を顕にしたふたりは腕を掴んだ者を睨む。けれもそこにいたのは、白月パイユエだった。いつになく鬼気迫る表情で、おとなしい子供の影はどこにもない。


「父上、母上。急いでこの町から離れましょう! そうしないと……」


 普段の、のんびりした口調ではなかった。早口で、すぐに逃げたいという気持ちが眉に現れている。


歪みが・・・正せなくなる・・・・・・──」


 

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