第26話 鏡を持って王都へ向かうよ

 黒 虎明ヘイ ハゥミンの剣先が、白月パイユエの白い首筋を押していく。血は出ていないものの、今にも斬られそうな勢いと力はあった。


 爛 梓豪バク ズーハオは慌てて男を静止させようとする。けれど男と彼では体格はもちろん、力の差は歴然だった。力いっぱいとめようとしても、簡単に吹き飛ばされてしまう。

 

「……っ!? 黒兄ヘイニィ、やめろ!」


 右手の人差し指に黒いほのおまとわせ、それを男へと飛ばした。


 ほのお黒 虎明ヘイ ハゥミンの体に纏わりつく。縄のようになったほのおを絡ませた体は、見事にその場に膝をつかせた。


「……っ! 爛 梓豪バク ズーハオ、貴様、何のつもりだ!?」


 半ば無理やり膝をつくかたちとなったた男は剣を離すことなく、彼を睨む。ふうーと深呼吸すると、全身の筋肉を膨らませた。そして「ムンッ!」というかけ声の後に、ほのおの縄を力任せに引き裂いてしまう。


「甘い!」


「ひょーー!」


 そんな力業に、爛 梓豪バク ズーハオからは口癖が洩れた。泣きながら倒れている李 珍光リー ヂェングアンを盾にし、男からの圧を防ぐ。

 李 珍光リー ヂェングアンからは酷い、人でなしと非難の声が浴びせられた。


「へ、黒兄ヘイニィ、落ち着いてくれよ。そもそも、何で白月パイユエに剣なんか向けてるんだよ!?」


 バクバクと、心臓の音が大きくなっていく。手汗だらけになっても、真っ向から立ち向かっていった。

 相手は自身よりも遥かに目上、差し引いては、圧倒的強者である。それでも譲れないものがあるのだと、震える足を無理やり立たせた。

 

白月パイユエは、俺たちにとって大切な子だ。……って言うか、阿釉アーユがすごく大切にしてるんだ。だから、傷つけないでやってくれ」


 気丈に振る舞いながら白月パイユエの前に立つ。


 ──やっべぇ、足の震えがとまらない。お師匠様とは違った意味で黒兄ヘイニィは、苦手なんだよな。


 黒 虎明ヘイ ハゥミンを一言で纏めるなら、猪突猛進だった。熱血漢で、考えることが苦手。大抵のことは直感で行動してしまう。おそらく今回のことも、その類いではないだろうか。


 爛 梓豪バク ズーハオは心の中でひっそりと舌打ちした。

 目の前にいる大男を見上げ、ちゃんと説明してくれと懇願する。


「……む? それもそうだな、すまん」


 存在に素直な人のようだ。剣先を床に刺し、腕を組んで白月パイユエを凝視する。


 白月パイユエはニコニコと微笑みつつ、爛 梓豪バク ズーハオの後ろへと隠れた。かと思えば、顔だけをひょっこりと出して「もう、苛めない?」と、子供らしい怯えた声で問う。

 その姿は非常に愛らしく、痛めつけた黒 虎明ヘイ ハゥミンの息を止める勢いだ。


「……うっ、ぐっ! す、すまなかった」


 黒 虎明ヘイ ハゥミンは申し訳なさそうに視線を逸らす。


「……あはは。さすがの黒兄ヘイニィでも、子供の純粋な眼差しには勝てないってか」


「みなまで言うな。俺とて、子供に手をあげたこと、早まりすぎたと思っている」


 細い目が、白月パイユエをじっと見つめた。


 白月パイユエは首を左右にふって、にっこりと微笑む。怯えた様子は消え失せ、自身の肩にかかる長い黒髪をゆっくりと退けた。


「──僕は、父上と母上の子供です。それ以外の何者でもありません」


 エヘヘと、子供っぽい笑顔で爛 梓豪バク ズーハオに抱きつく。

 

 彼ははにかみながら子供の頭を撫でた。そして黒 虎明ヘイ ハゥミンを直視し、無言で頷く。


「……爛 梓豪バク ズーハオ、先ほど言ったことだがな。その子供からは、奥方様……お前の父が愛した唯一の女性と同じ香りがするのだ。香りといっても、鼻でわかるものとかではない」


 バツの悪そうに頭を掻く黒 虎明ヘイ ハゥミンは、さんにんをしっかりと見据えていた。男も頷き、踵を返して背中を向ける。


「おそらく、霊力の類いなのだろうな。それが香りのような空気となって、俺の鼻をくすぐるのだ。多分だが、あのふたりも同じようなことを言うのではないか?」


 あのふたりとは、李 珍光リー ヂェングアンの実父である|黄 沐阳コウ ムーヤン。そして爛 梓豪バク ズーハオの師匠にして、全 紫釉チュアン シユの祖父の爛 春犂バク シュンレイに他ならなかった。

 

 ──うーん。まあ、この人は嘘つけない性格だから信用はしてるけどさ。でもそれで、どうして母上と同じ香りがするんだって話しになるんだよな。


 騒動の原因となっている子供を見る。


 成長した白月パイユエは、とても美しい顔立ちをしていた。どこか全 紫釉チュアン シユを思わせるような儚さを持つ。

 

「……なあ白月パイユエ、お前は本当に何者なんだ? どこから来た? 親はどうしてるんだ?」


 ──これで答えてくれたら苦労はしない。いつも聞こうとすると、なぜか・・・邪魔が入るんだよな。って、言ってる側からほら。


 二階の部屋にこもっていた爛 春犂バク シュンレイ黄 沐阳コウ ムーヤンが戻ってきた。彼らは訝しげな表情をし、真っ先に爛 梓豪バク ズーハオの元へとよって行った。

 ただ、彼らの目的は鏡のよう。腕に抱く鏡を見せてほしいと頼んできた。


 爛 梓豪バク ズーハオは彼らに信頼を置いているようで、すんなりと手渡す。


 黒 虎明ヘイ ハゥミンを交え、彼らは鏡をのぞきこんだりしていた。けれどお手上げなようで、さんにんはすぐに鏡を彼へと返す。


「……馬鹿弟子よ」


「あ、はい」


 馬鹿弟子という単語が定着してしまった爛 梓豪バク ズーハオだったが、嫌な顔ひとつせずに、爛 春犂バク シュンレイを凝視した。


黄 沐阳コウ ムーヤン殿から聞いた。外にいるとき……ご子息を捕まえていたとき、奥方様の香りがしたと、な。最初は半信半疑であったが、今こうして側にいるとわかる。その子供からは、確かに懐かしい香りがする」


「……それ、黒兄ヘイニィも言ってました。やっぱり、わかるんですか?」


 俺にはさっぱりですけどと、屈託なく笑う。


 その笑顔に絆されたようで、爛 春犂バク シュンレイたちは肩の力を抜いてほくそ笑んだ。

 さんには、揃って彼の頭をもみむちゃにする。


 黒 虎明ヘイ ハゥミンは頼りになる大人の笑顔で。

 黄 沐阳コウ ムーヤンは少しだけぶっきらぼうに。

 爛 春犂バク シュンレイだけは表情を変えず、ひたすら弄っていく。


「は? ちょっ、何すんだよ!? うわっ!」


 突然おもちゃにされた彼は、両目を見開いた。けれどそれほど嫌がってはおらず、むしろ楽しそうに笑っている。


「……この鏡に関しては、残念ながら我等の手には負えん。王都に、鏡を作った職人の子孫がいるはずだ。そこで詳しく聞くしかなかろう」


 視線を鏡……ではなく、白月パイユエへと向けていた。


 白月パイユエはつねにニコニコしていて、底が知れない。それでも子供らしさもあり、見知らぬ大人たちを前にするとすぐに爛 梓豪バク ズーハオの後ろへ身を隠してしまっていた。


 そんな子供の手を軽く握り、爛 梓豪バク ズーハオは鏡を見下ろす。両手どころか、片手に収まるほどの小さな鏡。けれど、不気味な妖気を放っていた。

 

 ──よし。もともと最終目的地は王都だったんだ。そこは変わらないな。


 階段近くで寝そべっているロバを起こした。ロバの背中に白月パイユエを乗せ、最終目的地と定めた王都へと向かう決意をする。


「馬鹿弟子よ。私たちは先に王都へ行っている。鏡職人には、事前に連絡しておいてやろう」


「はい、わかりました」 


 爛 春犂バク シュンレイを先頭に、黒 虎明ヘイ ハゥミンが外へと向かう。そして黄 沐阳コウ ムーヤンは実子の首根っこを捕まえ、彼らとともに建物から姿を消していった。


 残され爛 梓豪バク ズーハオは鏡を白月パイユエへと渡す。

 

「──よし。それじゃあ王都目指して、旅を再開させるか!」


 少しばかりの心伴い想いを胸に隠し、爛 梓豪バク ズーハオはロバをひいて外へと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る