第23話 お師匠様、人が悪すぎませんか?

 眩しい光とともに、全 紫釉チュアン シユが鏡の中へと吸いこまれていった。

 取り残された爛 梓豪バク ズーハオは鏡をドンドンと叩き、何度も「阿釉アーユ」と、呼んだ。けれど鏡はうんともすんとも言わない。それどころか、鏡としての機能……その場にある光景を映し出すことすらなかった。


「俺の姿すら、映ってないって……どうなってんだよ、この鏡は!」


 鏡の前に立つ彼の姿すら拝めることができない。それこそ、自分が今、どんな顔で鏡に叫び続けているのか。何もわからなかった。

 ただわかるのは、全 紫釉チュアン シユの姿がここにない。それだけで、胸の奥にぽっかりと穴が空いたように感じてしまう。

 

 ──阿釉アーユ、無事でいてくれよ!? どうにかして助けてやるからな。


 瞳をきつくしめた。鏡を外そうと両手で引っぱる。けれど頑丈なまでにくっついているようで、道具でもなければ無理な状態だった。


「このっ! ……っ!?」


 そのとき、複数人の足音が近づいてくるのがわかった。

 急いで手を離す。逃げようと、窓を開けた。窓枠に足をかけ、外へと行こうとする。けれど……


「……だめだ! 阿釉アーユを置いてはいけない」


 自分だけ逃げることなどできるはずがなかった。首を左右にふって、深呼吸をする。

 そうこうしていると、さらに足音が大きくなっていることに気づいた。

 このままでは捕まってしまう。そう思った瞬間、唯一隠れることができるであろう木棚を開けた。中を見れば、紫や黒色の華服がかけられている。それを掻き分け、急いで中へと入った。内側から扉をしめ、息を潜めた。

 木棚には隙間があり、そこからのぞいてみる。




 ギイィ……


 扉が静かに開かれた。するとこそから仮面をつけたふたりの男が姿を現す。

 彼らは一階で見た男たちだ。彼らは一言も語ることなく、部屋の中を見て回っている。


「……どうやら賊は、この窓を開けて逃げたようだな」


 青い華服の男が窓の外を確認した。


 そんな男の隣を、黄色い華服の者が陣取る。


「でもよ。どうやって、ここを見つけたんだろうな? 術で隠してたってのにさ。……で? 俺らはどうすればいいわけ?」


 ぶっきらぼうな物言いをしながら、黄色い華服の男が窓の外へと顔を出した。けれど見飽きたのか、隣にいる青い華服の男の背中を軽く叩く。

 そ踵を返し、開けっ広げられた窓枠に両肘を乗せた。天井を見ながら、眠そうにあくびをかく。

 

 すると青い華服の男は、窓の外を指差した。

 

「……お前は、逃げた者を追いかけろ。私はまだやることがあるので、ここに残るとしよう」


 一歩ずつ部屋の中へと歩いていく。木棚の前でとまり、表面に触れた。目の周囲だけを隠した仮面を外すことなく、窓のそばにいる黄色い華服の男を注視する。


「……わかった」 


 黄色い華服の男は了承し、部屋の外へと出ていった。

 青い華服の男はそれを見送り、深くため息をつく。そして……


「お前は、いつまでそこで隠れているつもりだ?」


「……っ!?」


 爛 梓豪バク ズーハオは息を飲みながら、余計なことを喋らないようにと自分の口を塞いだ。

 ドクン、ドクンと、冷や汗とともに、心臓が嫌な音を鳴らす。瞬間、木棚の扉がゆっくりと開かれていった。

 


 ──ヤバい。殺される……!


 両目を閉じて、死を覚悟する。


 すぐに男の大きな手が伸びてきた。その手は彼の首をしめてきた……


 のではなく、爛 梓豪バク ズーハオの頭を軽く撫でた。


「…………へ?」


 突然、想像もしてないことが起きて、爛 梓豪バク ズーハオは両目を見開く。びくびくと震えながらも、顔をあげて男に視線を預けた。


 男は無言で頭を撫で続けている。けれど少しずつその手の圧が強まっていった。そして爛 梓豪バク ズーハオの華服の襟を掴む。


「へ、え?」


 考える暇もなく、彼の視界は反転した。正確には彼の体が浮かんだのだ。そして……


「……あ、れ?」


 寸刻の猶予ゆうよもなく、床へと叩きつけられてしまう。

 何が何だかわからず、両目をパチクリさせるしかなかった。ほうけながら男の姿を瞳に映す。


 ──やっべぇ、動きが見えなかった。こんなんじゃ、阿釉アーユを助けだすことだって……


 ギュッと、唇を噛みしめた。


「……はあ。相変わらず、爪が甘い弟子だ」


「…………んん?」


 前触れもなく、知り合いのような言い草をされてしまう。いったいどういうことなのかと、視線だけで訴えた。


「何だ? 三年ほど離れていただけで、もう忘れてしまったのか? 薄情なやつだ」


 青い華服の男はため息をつき、仮面を外していく。

 仮面の下から現れたのは、細くて強い眼差しだ。宵闇のような瞳と、すっしりとした目鼻立ち。そこに爛 梓豪バク ズーハオとは違った大人の色香も加わり、美丈夫さを際立たせていた。



「……ひょー! お、お師匠様ぁーー!?」


 両目がひんむきそうになるほどに、大きく見開く。急いで起き上がり、素早く正座した。恐る恐る見上げれば、眉間にシワをよせた男が腕を組んで睨んでいる。


「な、何でこんなところに? あ、俺は知り合いと一緒に王都へ向かうところで……」


 ゴニョゴニョと言い訳をしながら、縮こまっていった。両の人差し指をくっつけて、口を尖らせる。


「……何を、言い訳している? お前はもう大人だ。私が、どうこう言うつもりはない」


「そ、そうです、か。はは……」


 ──とか言いつつお師匠様の額、血管浮かんでますけど!? めちゃくちゃ怖い!


 もう一度、師匠と慕う男を見張った。


 すると男は、心ここにあらず……何かを探しているかのような視線を見せている。


「お、お師匠様、どうしたんですか?」

 

 おっかなびっくりに尋ねた。


「……いや。全 紫釉チュアン シユの姿がないようだが?」

 

 一階にいたときは一緒だっただろうと、目を泳がせながら聞いてくる。


「あ、そうだった! お師匠様! 阿釉アーユが大変なんで……って、あれ? 何で阿釉アーユの名前……」


 一度も口にはしていないはず。彼は警戒しながら、そう伝えた。正座のままに、隠れるように指先へほのおを絡めた。


 ──まさか、阿釉アーユを狙ってる? もしそうなら、いくらお師匠様だからって容赦はしない。


 負けるとわかっていても、大切な人を守りたい。そう、心から思えた。

 けれど……


「うん? 何だ、あやつから聞いておらんのか?」


「はい?」


 男の、少しばかりのすっとんきょうな声に拍子抜けした爛 梓豪バク ズーハオは、指のほのおを弱める。


 男は彼の行動に目を瞑っているようで、指先にしせんをやりながらも顎を触っていた。部屋の中を見ながら、彼の肩に手を置く。


全 紫釉チュアン シユは、私の孫だぞ?」


「…………んん?」


 頭の中で整理をした。


 ──え? 阿釉アーユが、お師匠様の孫? そう言えば、叔父と外叔父上がいる。みたいな話しは聞いたような……あれ? ってことはつまり……


 次第に脳が晴れていった。


「ひょ……ひょーー!」


 想像だにしなかった答えに、彼は口癖とも言える奇妙は悲鳴をあげた。

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