第20話 見えない建物に阻まれて前に進めないよ

 蜃気楼か。それとも、妖怪の悪戯か。


 そんな気持ちになってしまうほど、目の前に現れた建物は透明そのものだった。建物の後ろの背景が映るほどに薄い。けれどハッキリと、ゆらゆらと浮かんで見えていた。


「……なるほど。あなたが言いよどんだ理由は、これですか」


 透明な建物へ触れてみる。そこにはしっかりと建物の感触があった。


 隣に立つ彼は「お手上げだよ」と、肩をすくませている。全 紫釉チュアン シユにどうすればいいのかと尋ねては、建物の周囲を歩いていた。


「あれ? でも爛清バクチン、あなたは中に入ったと言ってませんでした?」


「んー? 入ったよ。だけど、たまたま建物が姿を見せてくれたからさ。透明な状態じゃあ、鍵開けすら無理なんだよ」


 頭に赤い玉がついたかんざしを取り出し、建物の入り口らしき場所へと向かう。そこで簪の先を建物へと突っこませた。けれど簪は建物をすり抜けてしまう。


「な? 最初にこれやったときは、今と同じだった。で、試しにもう一度やろうとしたら……」


「建物自体が透明ではなくなったと?」


「そういうこと」


 さすが阿釉アーユだと、彼は自分のことのように喜んでいた。


「……そうなると、何かしらの法則があるかもしれませんね」


 建物を一週してみる。


 ──一週するのに、約五分。建物の形状からして、一般家屋ではないのは確かですね。


 黒が少しだけ混じってしまっている銀髪を、自分の指に巻きつけた。建物を見上げ、大きな瞳で凝望する。

 

「……そもそも私たちは、この建物に用があるわけではありません。無理に入る必要はないと思います」


 近くでロバを撫でている白月パイユエたちを呼び、この場を去ろうと告げた。


 ──この建物の中に入らなければならないという理由はない。素通りすればいいだけのこと。


 目的は建物を調べることではない。そのことを再度確認し、建物へ背中を向けた。瞬間──


「え?」


 建物が目の前・・・にあった。彼らは確かに、建物に背を向けたはず。それなのに、眼前にあるのはどういうことか。


「……私が、おかしいのでしょうか?」


 自他ともに認める方向音痴であるがゆえに起きたこと。そう、決めつけた。けれど爛 梓豪バク ズーハオたちにも同様のことが起きているようで、騒がしくなっていく。


 白月パイユエはロバに抱きつき、怖がっている。

 李 珍光リー ヂェングアンは両目を輝かせ、凄いを連呼していた。

 場馴れしているであろう爛 梓豪バク ズーハオは、首を傾げて唸っている。


 三者三様の彼らを見た後、もう一度透明な建物を凝視した。


 ──確かに、目の前にある。でも私は、背中を向けたはず……ん?


 ふとしたとき、足元に小さな鉄塊を発見する。

 ほんの少しだけ見えていて、残りは砂に埋まっていた。抜くことができないそれから目を逸らさずに、隣にいる爛 梓豪バク ズーハオの服の袖を引っぱる。


「うおっ!? どうした阿釉アーユ


爛清バクチン、ここに何か埋まっているようです。掘り出しすことはできますか?」


 そう言われた彼はしゃがみ、地面に触れた。


「……確かに、何か埋まってるみたいだ。これは鉄、か? だけどこれを取るのは無理っぽいな。阿光アーグアン、土を取るの手伝ってくれ!」


 李 珍光リー ヂェングアンの力を借り、ふたりは鉄塊の上の土をすべて退かす。するとそこに現れたのは白と黒の、陰陽に使われる勾玉の形をしたものだった。けれど頭の部分がパックリと割れている。


「なん、だ……これぇ?」


 真っ先に声を発したのは爛 梓豪バク ズーハオだった。腕を組みながら鉄塊を見下ろしては、触っている。


 白月パイユエ李 珍光リー ヂェングアンは足で、恐る恐るつついていた。


「……これは、影蔽印いんぺいいんですね」


 全 紫釉チュアン シユの透き通る声に、誰もが耳を貸す。


「影の力を吸収して、姿を見せなくする術です。私も見るのは初めてですし、建物に使うなどというのも聞いたことがありません」

 

 影はもうひとりの自分であり、仮面とも言われていた。その影がなくなれば、元となる本人は姿を消してしまう。


 東方の異国では【影踏み鬼】というものがあった。鬼と子があり、それぞれに役割を持っている。鬼が子の影を踏んだ瞬間、役目が逆転する。子たちは影を踏まれないよう、逃げ続ける。

 そんな遊びだった。


「うん? それがこの影蔽印いんぺいいんってやつと、どう関係してるんだ?」


 爛 梓豪バク ズーハオたちは、全 紫釉チュアン シユに視線をやりながら尋ねる。


影蔽印いんぺいいんは影をなくすことにより、姿を消します。これは影踏み鬼という遊びから得た術、という話を聞きました」


「え!? そ、そうなのか!? 繋がり……よくわかんねぇなー。まあ専門外だし、いっか」 


 たははと、他意なく笑った。気軽さのある言葉とは裏腹に、爛 梓豪バク ズーハオの眼差しはきつくなっている。


 全 紫釉チュアン シユは腰をあげ、さんにんへ向き直った。


「さんにんとも、よく聞いてください。薄々勘づいているとは思いますが、見えない建物は私たちをこの場に閉じこめようとしています」

 

 一歩、また一歩と林の中へと歩む。けれど彼らの行く手には必ずと言っていいほどに、建物が見えない壁になって邪魔をしていた。それが原因でここから出ることができず、少しずつ神経をすり減らし始めていく。

 やがて全 紫釉チュアン シユはため息をついて、ある憶測を伝えた。


「私たちの行くところに、必ず建物が立ち塞がっています。前を歩こうとも、下がろうとも。おそらく、脳に直接、何かを刷りこまれてしまっている可能性が高い」


 影蔽印いんぺいいんを見下ろす。


 爛 梓豪バク ズーハオたちも、つられて地面を見張った。


「私たち生物は脳を中心に回っています。こうして喋っているのも、脳から伝達した言語を発しているにすぎません」


「…………」


 爛 梓豪バク ズーハオたちは、全 紫釉チュアン シユの説明に食い入る。


「人の脳は単純明快。今、見ている光景は違う。そう思ってしまった瞬間、別のものに見えてくる。おそらくですがこの建物はそれを利用して、脳に直接指示を出しているのでしょう」


 建物が動いて行く手を阻んでいるように見えて、実のところ、無意識のうちに建物の前に足が向いてしまっている。

 そう、告げた。


「……よかわからんねーけど、建物が幻影? みたいなものを俺たちに見せてて、それを刷りこまれてしまってるってことか?」


「だいたい、そんな感じかと。ただ、残念なことに、私はこれを解く術を知りません」


「えー!? じゃあ、どうすんだよ!? 俺たち、ずっとここから出られねーってことじゃん」

  

 どうすんだよと、全 紫釉チュアン シユの両肩を揺らす。


「ちょっ……落ち着いてください。私の推測が正しければ、夜に動けるようになるはずです」


 肩を揺らさないでと、疲れた様子でため息を溢した。彼の手を退かし、建物を直視する。


「……爛清バクチンが扉を開けて中に入れたのにも、理由はあります。でもそれは、今説明したところでわからないでしょうし。夜になったら教えますよ」


 決して、馬鹿にしているわけではない。ただ、答えるための材料が足らないだけ。説得力のない答えは、答えにあらず。


 全 紫釉チュアン シユは真面目な性格ゆえか、理論的なことしか言わなかった。



 爛 梓豪バク ズーハオは、白月パイユエ李 珍光リー ヂェングアンと顔を見合わせる。


「夜、ねえ……」


  爛 梓豪バク ズーハオの誰にも向けていない呟きは、冬の風の音でか消されていった。

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