第四章 殺四悪夢(コロシアム)の悪夢

第18話 亡霊に花を贈るのは、先へ進むため

 人がよりつかない山がある。そこは奥地にある洞窟から発せられる障気しょうきによって、暗黒の霧だらけになっているからだ。妖怪の住み家とも言われ、入った者は戻ってこれないとも噂がある。

 そんな山のふもとにはかつて、枌洋へきようと呼ばれる村があった。しかし妖怪たちに襲撃され、住んでいた人間は全員亡くなってしまう。それ以降、この場所は枌洋へきようの村という名を捨てた。村のあったところには一軒の大きな建物が造られ、金持ちの遊び場となっていく。




「俺が捕まって、阿釉アーユと出会った場所。あそこは山の奥地だろうから、多分違う建物なんだと思う」


 砂利道の途中、雑草に隠された小道を発見した。小道の手前には石碑があり、たくさんの名前が彫られている。


「……これは、人の名前? 阿釉アーユ、これって……」


「石碑に彫られているのは、この村に住んでいた人たちだと聞きます。亡者にならないよう……鬼に変化しないように、と」

 

 供養の意味もあるのだろう。石碑の前には少しばかりの花と、いくつかの饅頭マントゥが置かれていた。


 全 紫釉チュアン シユはロバの背中に座っている白月パイユエを手招きする。そして四人は、手を合わせて黙祷もくとうを捧げた。


 ──私にできるのは、これぐらいです。だから……


 爛 梓豪バク ズーハオたちを見れば、彼らは静かに手を合わ続けている。

 そんな彼らを見つめ、軽く微笑んだ。そして両目を細め、石碑へと視線を走らせる。


 その瞳は黒真珠……ではなく、業火なほのおのようなあかに染まっていた。そしてその瞳に映るのは自然ではない。生気のない、人の形をした、暗い何かだった。


 けれどそれが見えているのは、どうやら全 紫釉チュアン シユだけのよう。


 ──私は、あなた方の無念を晴らす術を知りません。安らかに眠ることができないのは知っています。だから、教えてください。何が、怖いのか。何を求めているのかを。


 視覚と聴覚を使って、暗い塊たちの声を聴く。


『苦しい……』


『なぜ……なぜ、産まれたばかりなのに』


『ま、ま、どこ?』


 耳を塞ぎたくなるほどの叫び声が、いくつも飛び交った。絶叫は亡者の嘆きとなって、全 紫釉チュアン シユの眉を歪ませていく。


「……っ!?」


 膨大かつ、恐怖でしかない亡霊たちの前で、全 紫釉チュアン シユは汗をかくしかなかった。


 そのとき、隣にいた爛 梓豪バク ズーハオ、全 紫釉チュアン シユの異変に気づく。どうしたのかと慌てて全 紫釉チュアン シユの肩を支えた。


「……ここの魂たちは、呪いによって、成仏できなくなっています」


「呪い?」


 彼に支えられながら、全 紫釉チュアン シユは静かに頷く。白月パイユエ李 珍光リー ヂェングアンに預け、下がらせた。


「恨みや哀しみ。そういった負の感情が呪いとなって、枌洋へきようの村の住人の魂を繋いでしまっているんです」 


 太陽よりも薄い色。けれど異常なまでの熱さを持つあかい瞳は、額から流れる汗で染みていく。

 

「よ、よくわかんねーけど……阿釉アーユは、霊力が高いのか? だから視えるってことか?」


 黒から変化したあかい瞳には触れることはなかった。気づいてはいるのだろう。その証拠に、チラチラと全 紫釉チュアン シユの瞳を見ては視線を外していた。


 そんな彼の気遣いに、全 紫釉チュアン シユは苦笑いだけでとどめる。


「私は、生まれながらにある力を持っています。それのせいで……」


 ──そう。その力のせいで私は、ずっと迫害され続けてきた。國だけじゃない。父も、母ですら、私を恐れていた。唯一……叔父上や、外叔父上たちだけが、私を愛してくれた。


 亡霊たちの負の感情にひきずられていくように、少しずつ闇へと誘われていく。それを阻止しようと首を左右にふるけれど、この世の者ではない彼らの元へと心がよっていった。

 

阿釉アーユ、よくわからねーけど負けるな!」


 ふらついて、今にも気を失いそうになっている全 紫釉チュアン シユを、爛 梓豪バク ズーハオは必死に繋ぎとめる。声をはり上げ、抱きしめた。


 白月パイユエはハッとし、急いでふたりに腕を伸ばす。喉の底から「負けないで母上」と、純粋な気持ちをぶつけた。


「……っ!?」 


 ──ふたりの気持ちが伝わってくる。亡者たちに引きよせられていく私の負の感情を、光で包もうとしている。


 手汗がすごい。額から流れる冷や汗が気持ち悪い。それでも、ふたりの想いを無下にはできかった。

 瞳に力を入れ、暗闇だけの視界をあかく染める。


爛清バクチン、支えてください! 白月パイユエ李 珍光リー ヂェングアンと下がってください!」


 李 珍光リー ヂェングアン白月パイユエの手を握り、下がっていった。それを見て、全 紫釉チュアン シユは胸を撫で下ろす。

 隣で支えてくれている爛 梓豪バク ズーハオと目を合わせ、互いに頷いた。


 そして懐から扇子を取り出す。片足で地面に円を描き、扇子を一振した。瞬間、扇子から冷気を含む風が吹き荒れる。


「……っ!? な、何だこれ!?」


 誰よりも先に声をあげたのは爛 梓豪バク ズーハオだ。全 紫釉チュアン シユを支えながら、驚愕を隠しきれない様子だった。

 驚きがすべてを押し潰していった矢先、足元が妖しい深紅の光を放つ。その光が冬の風を、暖かなものへと変えていった。


「え!? これって……阿釉アーユお前、術師だったのか!?」


「黙っててください! 集中できなくなる!」 


 額に汗を滴す。

 まっすぐ亡霊たちを見据え、扇子でもう一度風をおこす。すると不思議なことに、風は一ヶ所に集められていった。小さな渦を巻き、美しい結晶になっていく。 

 足元のあかい光が、冷気を帯びていった。ピキッというひび割れのような音とともに、地面は一斉に凍りつく。


 そして、爛 梓豪バク ズーハオたちでは視ることができなかった亡霊たちの姿が顕になった。

 

 これには爛 梓豪バク ズーハオだけでなく、白月パイユエたちも驚いていてしまう。


「私にできるのは、あなた方の魂をこの場から解放することだけです」


 爛 梓豪バク ズーハオたちから視線を浴びようとも、亡霊たちから目を逸らさない。

 大人、子供、言葉すらわからぬ赤子など。村で暮らしていたであろう人々の姿を目に焼きつけた。

 そして扇子を宙へと放り投げる。再度片足を滑らせ、落ちてきた扇子に息を吹きかけた。 

 瞬間、扇子は美しい花へと姿を変える。蒼い。けれど透明な硝子のような、透き通る花だ。その花を手に取り、爛 梓豪バク ズーハオへと渡す。


「……彼ら、に、これ、を……」

 

 体力の限界がきたようで、全 紫釉チュアン シユはその場にへたりこんでしまった。ぜぇはぁと、かつてないほどに荒い息遣いになる。


 爛 梓豪バク ズーハオは渡された透明な花を、何の疑いもなく受け取った。頷き、亡者となった人々の元へと進む。


「これ、渡せばいいのか?」


「……はい」


 力なく首を上下に動かした。


 爛 梓豪バク ズーハオは戸惑いながら彼らへと花を差しだした。


「えっと……これを、受け取ってくれないか? ……ってか、言葉通じるのか?」


 それでも全 紫釉チュアン シユの言葉を信じている彼は、ダメ元で亡霊たちを直視する。


 そのとき、亡霊たちは無言で花へと手を伸ばした。すると花は静かに砕け散っていく。同時に、亡霊たちは全 紫釉チュアン シユたちの前から姿を消した。


 残された爛 梓豪バク ズーハオたちは何がどうなってあるのかわからず、ほうけてしまっている。



「あの亡霊たちは、ここから先の道を塞いでいました。彼らの許しがない限り、先へは進めません」


 誰よりも情報を持ち、たったひとりだけ理解している全 紫釉チュアン シユは、ゆっくりと説明をしていった。



 石碑に書かれた名前は、枌洋へきようの犠牲者である。その彼ら、あるいは彼女たちは、ここから先にある戯山ぎざんへの道を通せんぼしていた。彼らに許可なく入れば、二度と山から出ることができない。

 永遠にさ迷い続け、同じ亡霊になるしかなかった。

 

戯山ぎざんに咲く花が、そうさせているとも聞きます。だから彼らには同じ花を貢ぐことで、許可を得ることができると聞きました」


 元気な花ならば何でもよかった。亡霊となった彼らには花の区別など、つきはしない。 

 

 一呼吸置いて、淡々と伝えていった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る