第15話 野宿は心臓に悪いって知ってるかい?

 バチバチ……

 ひとつの焚き火が、ときおり静かな夜を騒がしくさせた。火の粉が飛ぶわけではないけれど、風が吹けば勢いが増す。そんなときは水をかけて、火の勢いを落ち着かせた。


 それが夜番をしている青年、爛 梓豪バク ズーハオが、暇つぶしにすることのよう。

 暇だと、あくびを繰り返しては火をじっと見つめる。座りながら適当に柔軟体操をした。それでも夜番の暇さ加減は半端なく、ついには夜食と称して焼き魚を食べはじめてしまう。

 

「はぐっ」


 なかなか旨いなと、内心で喜んだ。

 

「……はあ、それにしても暇だなぁ」


 食べ終えた魚の骨を焚き火へと投げる。両手を地面へとつき、空を見上げた。


 星と月のない、真っ暗な空だ。それでも彼は夜目が利くようで、明かりがなくとも器用に動く。


 ──寝っ転がると眠くなるから、それは無理だな。あ、そうだ。そういえば阿釉アーユの寝顔、じっくりと見たことないかも。


 全 紫釉チュアン シユと出会った直後、自分の不注意で媚薬を飲ませてしまう。それが原因で男としての責任を取った。

 ただ、惜しむらくは、合意の上での行為ではなかったということ。媚薬で苦しむ美しい人を、この手で、体で、抱いてしまった。

 

 そのときのことを思い出すだけでも真っ赤になってしまう。存外、爛 梓豪バク ズーハオという男は小心者なのかもしれない。


 自分のことなのに、そう、他人事として考えてしまっていた。


「あのときのこと、忘れられねーんだよなぁ……」

 

 ちらり。自身がいる場所すぐそば。そこに視線を預ける。

 三歳ぐらいの子供を暖冬器具換わりに、全 紫釉チュアン シユが眠っていた。白月パイユエと名づけた子供を抱きしめ、すやすやと寝息をたてている。背中を爛 梓豪バク ズーハオに向け、体を丸めて寒さに耐えているようだ。


 爛 梓豪バク ズーハオは上着を脱ぎ、寝ている彼へとかける。


 ──寝顔、見るぐらいなら……


 そっと、全 紫釉チュアン シユへと顔を近づけた。


「……っ!?」


 すると全 紫釉チュアン シユが見計らったかのように、寝返りをうった。


「……う、わっ」


 驚いて後ずさってしまう。それでも見たかった寝顔が目の前にあるという事実に、心踊らせた。高鳴る心臓を押さえながら、ゆっくりと顔をのぞきこむ。 


 ──うっわ。めちゃくちゃ、まつ毛長い。肌も、かなりもちもちしてるし。それに……


「きれいだなぁ」


 全 紫釉チュアン シユは、女性のような線の細さがある。

 閉じられている瞳を隠すのは長いまつ毛で、目鼻立ちの整った精巧な人形のよう。

 薄い唇は血色いい。指先で触れただけで、艶びた姫のような美しさを感じた。瞬間、全 紫釉チュアン シユの口から甘い吐息が溢れる。


阿釉アーユは、寝姿もきれいだな」


 蜘蛛の糸のようにきめ細かい銀髪を手で掬ってみれば、するりと、指の間をすり抜けていった。


「……やっぱりさ。俺以外のやつと付き合って、結婚したりするんだろうな」


 そう考えただけで、心の奥がチクりと痛む。


「……? 病気でもしたかな? ……ん?」


 この痛みが何なのか。彼にはわからなかった。

 服の上から胸の辺りを触り、小首を傾げる。

 そのとき、全 紫釉チュアン シユの華服が少しだけ乱れてしまった。えり部分がはだけ、雪のように白い鎖骨が見えてしまう。赤ちゃんのように瑞々しい肌だ。けれど鎖骨のあたりに、赤い点のようなものがついていた。


 ──何だ、これ? この時期に蚊でもいるのか?


 そっと、指を伸ばして触れてみる。男とは思えないほどに滑らかな肌触りだ。


 触れた瞬間、全 紫釉チュアン シユの唇から色香を持つ吐息が発せられる。その色香にあてられ、ゴクッと唾を飲みこんだ。 


「……っ!?」


 爛 梓豪バク ズーハオは慌てて離れた。

 そして鎖骨にある赤い点が何なのか。ハッと、気づかされる。


 ──こ、これって……阿釉アーユを抱いたときに俺がつけた、吸い痕じゃねーか!


 まだ出会って、日も浅い。けれど出会った初日に、全 紫釉チュアン シユと体を重ねた。媚薬を抜くためとはいえ、相手を半ば無理やり抱いたことになる。

 その結果と言うのか。名残りとして、赤い吸い痕が消えずにいたようだ。


「うわー! わー! 俺のせいじゃんかーー!」


 爛 梓豪バク ズーハオは一連の行為のことを思い出し、顔を耳の先まで真っ赤に染めていく。顔を両手で覆い、恥ずかしさで死にたい気持ちを堪えた。


 たった一度だけの、ねやごと。それを思い出すだけでも、体が火照っていくのがわかった。


 寝ている全 紫釉チュアン シユをちらりと見れば、いつの間にか白月パイユエが壁の役割をしてしまっている。

 そのことに安堵しながら焚き火を凝視した。心を落ち着かせようとするけれど、バクバクと、早打ちする鼓動が元に戻ることはなかった。

 冬の寒さとは違う、熱い焦りからくる震えがとまらない。体育座りをして、膝の中に顔を埋めた。


 ──ああ、くっそぉ。何で俺、こんなに焦ってるんだよ。相手は男じゃねーか。


 がむしゃらに、頭をくしゃくしゃとする。それでも不思議な気持ちが消えることはなかった。


「あー……本当に俺、どうしちゃったんだよ。病気にでもなっ……っ!?」


 もう一度だけ、美しい人の寝顔を確認しよう。そう考えて近づいたとき、ある違和感を覚えた。

 それに気づき、急いで全 紫釉チュアン シユを起こす。


「……ふみゅう?」


 全 紫釉チュアン シユの、眠たげに目をこする姿には幼さが垣間見えた。そのことに頬を緩ませる。けれどすくに神妙な面持ちへと切り替えた。


「まだ朝ではありませんよね? いったい何を……」


 起きた全 紫釉チュアン シユは手で口を隠し、小さくあくびをしている。

 そんな彼の肩をガシッと掴み、全 紫釉チュアン シユの耳元に唇を近づけた。


「よく見ろよ。白月パイユエが、また成長してるぞ」


「えっ!?」


 全 紫釉チュアン シユは、一緒に寝ていた子供を見下ろす。


 小さな手は変わらない。けれど三歳というには、体が大きいのではなかろうか。そう感じるほどに、白月パイユエは大きくなっていた。


「……むにゃ。父上、母上、どうしました?」


 たどたどしい言葉遣いが消えている。一言一言がハッキリとしていて、聞き取りやすくなっていた。


 白月パイユエは眠い目をこすりながら立って、大きく背伸びをする。



「…………」


 ふたりは言葉を失ってしまった。


 爛 梓豪バク ズーハオの膝より低かったはずの身長は、今ではそれより上だ。黒髪は膝丈よりも長く伸び、子供の足に少し絡まってしまっている。

 三歳用にこしらえた華服は、成長に追いつかずにビリビリに破けてしまっていた。靴も窮屈なようで、脱いでいる。


 寒い冬空だったので、当然のように白月パイユエはくしゃみをしてしまった。全 紫釉チュアン シユは急いで上着を脱ぎ、それで子供を包む。



「……なあ白月パイユエ、お前は今、いくつだ?」


 腕を組んで、成長速度を確かめた。


「えっと……七歳です」 


 右手すべてと、左指を三本使って数字の七を作る。無邪気な笑顔で、どうだと鼻息荒く自慢していた。

 

「いや、それじゃ八歳だよ……ってか、一気に四歳も増えたのか」


 真剣な面持ちで耽る。

 白月パイユエを見れば、数字の違いに戸惑っていた。見かねた全 紫釉チュアン シユが指を一本曲げさせ、これが七だと教えている。

 そんな微笑ましい光景に、爛 梓豪バク ズーハオの頬はついつい緩んでしまった。


 ──一気に成長したからなのか、脳が追いついてないって感じだな。それにしても……どうなってるんだ? 一日経過するたびに成長するなんて……


 どうすることもできず、爛 梓豪バク ズーハオは、朝日が出るのを待つしかない状態だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る