第10話 赤ちゃんの成長速度ってこんなに早いの?

 自然に。意図せずに、爛 梓豪バク ズーハオの瞳から涙が零れた。

 気を失って眠る全 紫釉チュアン シユに視線を落とし、ぐっと唇を噛みしめる。気づかないうちに頬を伝っていた涙を拭いた。


「……そう、か。ここは、あのふたりが辿った道だったのか」


 感傷に浸っていた矢先、赤子の姿がないことに気づく。直前までいた白月パイユエの姿がこの場にない。

 行方不明という事実に驚愕し、顔を真っ青にさせた。ひたすら名を呼び続け、蝋梅の木の後ろや建物の回りを探す。


白月パイユエ! おーい、白月パイユエー! パ……いうぇー!?」


 蝋梅の木よりほんの少し離れたところに、小さな花壇があった。そこてま、見慣れた者の姿を発見する。急いで駆けよろうとしたが、彼は凍りついてしまった。


「……ひょーー!?」


 言葉をなくした爛 梓豪バク ズーハオの前にいるのは、探していた白月パイユエなのだろう。


「う、そだ、ろ……歩いて、る」


 赤子は二本足で歩いていた。ただ、それだけなら驚きはしない。

 

「…………な、何か知らんが、成長してるー!?」


 直前ないし、数分前までの白月パイユエは0歳ぐらいの赤子そのものだった。けれど今、目の前にいる赤子は、三歳ほどにまで成長してしまっている。

 言葉はたどたどしいけれど、彼のことを「父上」と呼んで笑っていた。


「え!? お前、白月パイユエなのか!?」


 坊主に近かった頭から、ふわふわな黒髪が生えている。少しだけ癖っ毛ではあるものの、さらさらだ。

 子供らしい大きな瞳は灰色混じりで、不思議な雰囲気を持っている。

 爛 梓豪バク ズーハオの膝よりも下の身長を生かし、彼の足に強くしがみついてきた。


「ど、どうなっててるんだ!? 赤ちゃんって、こんなに早く成長するものなのか!?」


 驚きながら白月パイユエを抱っこする。

 

 ──ああ、でも。子供らしい暖かさがあるな。ほっぺたなんてすっげぇ、もちもちしてるし。


「…………」


 ひときしり考えてみた。


「うん。わからん! 阿釉アーユに聞こう」


 成長した白月パイユエを両手で抱えながら、蝋梅の木がある場所へと戻る。





 戻った先には意識のない全 紫釉チュアン シユがいた。赤子を地に置いて、眠る美しい人に触れる。瞬間、全 紫釉チュアン シユが動く。長いまつ毛を震わせ、静かに目を開けた。


 爛 梓豪バク ズーハオは、大丈夫かと尋ねる。


「……あれ? 私は何を……はっ! ぱ、白月パイユエは!? あの子はどこに!?」


 普段の落ち着いた雰囲気はなくなっていた。必死にどこだと尋ね、爛 梓豪バク ズーハオの体を揺さぶる。


 爛 梓豪バク ズーハオはため息をついた。そっと全 紫釉チュアン シユの細腕に触れ、大丈夫だよと諭す。優しい笑みを向け、落ち着きをなくした全 紫釉チュアン シユの頭を撫でた。

 

「実はさ……」


 後ろに隠れている白月パイユエへ、顔を見せてやれと伝える。


 白月パイユエは彼の後ろから、ひょっこりと顔を出した。そして全 紫釉チュアン シユを見るなり「母上」と言って、無邪気に笑う。


「……白月パイユエ?」


 起き上がって膝を曲げ、目線を白月パイユエに合わせた。


 数刻前までは赤子だった白月パイユエは、言葉を理解しているよう。軽く頷いて、静かに「はい」と答えた。

 全 紫釉チュアン シユは一瞬だけ両目を丸くさせる。けれどすぐに優しい眼差しになり、白月パイユエの頭を撫でた。


「……やはり、私の見間違いではなかったんですね? 白月パイユエ、あなたは昨日の夜から、少しずつ成長している。違いますか?」

 

 もじもじとしている子供を抱きあげる。お日様と、ほんの少しだけ乳の甘い香りが舞った。

 その香りに浸りながら、ふふっと微笑む。白月パイユエをロバの背に乗せ、もう一度、柔らかな子供の髪を堪能した。


爛清バクチン、どうやら私の勘違いではなかったようですよ?」


「うん? ああ。昨日、そんなこと言ってたな。でも、よく気がついたよな? 昨日は、明確な違いなんてなかっただろうに」


 どこが違ってたんだと、全 紫釉チュアン シユの横に並ぶ。両手を首の後ろに回し、口笛を吹きながら質問をした。


「……手が、少し大きくなっていたように感じました。爪も一気に伸びてましたし」


「え? そうなの? あー……全然、わかんねーや」


 どうやら爛 梓豪バク ズーハオは、何かを考えたりするのが苦手な男のよう。

 頬をポリポリと掻いて、うーんと唸るだけだった。そのとき、全 紫釉チュアン シユが彼の耳元で囁き始める。


白月パイユエは、普通の子供ではないと思います。様子を見ておいた方がいいかと」


 その囁きは、爛 梓豪バク ズーハオの心臓を高鳴らせた。

 予想もしなかった出来事に、爛 梓豪バク ズーハオは耳の先までゆでダコのように真っ赤になる。全 紫釉チュアン シユの吐息がかかった耳を素早く手で隠し「ひょーー!」と叫びながら、その場で飛び跳ねた。


「……むっ。何かその態度、酷くないですか?」


「うえっ!? い、いや、そんなこちょはな……」


「こちょ?」


 噛んでしまう。わたわたと、落ち着きのないままに、後退った。


「あ、いや……えっ……とぉ」


 彼が後退れば、全 紫釉チュアン シユも負けじと迫る。訝しげな眼差しで見上げ、本当にどうしたのかと瞳で訴えてきた。

 男にしては大きな瞳は、少女のように愛らしい。清楚で整った顔が、爛 梓豪バク ズーハオの鼓動を早めていった。


「うっ、ぐっ!」 


 爛 梓豪バク ズーハオは言葉を詰まらせてしまう。真っ赤になる顔を隠すようにたじろいだ。


 ──やっべぇ。本当に、めちゃくちゃ可愛い。男だってわかってるんだけど、これは……


 にやける口元を片手で抑える。視線を逸らし、深呼吸した。軽く咳払いをし、ロバの背中に座る白月パイユエの頬をつつく。


 子供はロバの上できゃっきゃと、楽しそうに笑っていた。


「と、ともかく! 子供は成長が早いってことで、いいんだよな?」


「……いいわけありますか。確かに、子供の成長は早いと思います。でも一日や二日で三歳分成長するなんて、聞いたことがありません」


 情けないものを見る瞳が、爛 梓豪バク ズーハオを突き刺していく。


「……私もあなたも、白月パイユエについて何も知らないんです。いいえ。知らなすぎなんです」


「確かに、そうだけど……」


 ──そうなると、だ。阿釉アーユ白月パイユエと、どこで知り合ったかが気になるな。


 腕を組み、ぶつぶつと呟いた。

 全 紫釉チュアン シユを見れば白月パイユエと一緒に、ちゃっかりとロバの背中に乗っている。

 膝の上に乗る子供は、彼の長い銀髪を両手に握って遊んでいた。

 全 紫釉チュアン シユは嫌がるどころか、優しく微笑みながら銀髪を差しだしている。


 仲良しなふたりを見て、爛 梓豪バク ズーハオの口は自然と緩んでいった。

 ロバの紐を手にする。ゆっくりと引っぱりながら入ってきた門とは逆の、北東門へと向かう。門前に到着すると、兵に会釈をして敷地を出た。


「あ、そうだ。なあなあ阿釉アーユ


 ロバのひずめが地を蹴る音がするなかで、それを耳に入れながら振り向く。ロバの顔をわしゃわしゃとし、動物の毛並みに頬を緩ませた。

 振り向いた先にいる全 紫釉チュアン シユを見つめ、一度だけ眉に困惑を乗せる。


「……さっき、兵が言ってたこと覚えてるか?」


 遠慮がちに伝えた。


 全 紫釉チュアン シユが頷いたのを確認し、気だるそうにため息をつく。


「書物に書かれてたふたりは多分、俺の……」


 ざあー……


 冬の冷たい風が、彼らの長い髪を揺らした。ふたりは髪を手で押さえる。


 ──いつかは伝えなきゃならなかったこと。それが、今だったって話だ。


 爛 梓豪バク ズーハオは覚悟を決める。真向かい、真剣な眼差しで全 紫釉チュアン シユを凝視した。


「……俺の、両親だ」

 

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