子育てって大変なんだね

第5話 ふたりの行く道

「──爛 梓豪バク ズーハオ、思い出しましたか?」


「……あ、は、はい」


 爛 梓豪バク ズーハオは、向かい側に座る女神から視線を逸らす。

 自分の失態から起きた同性へのあるまじき行為。それは、目の前の人──全 紫釉チュアン シユ──を抱き潰した。理由が理由なだけに、弁解すらもできなかった。


 ──やっべぇ。全部、俺が原因じゃん。赤ん坊云々以前にこんな状態になったのって、俺が薬を間違えたのが発端じゃん。


 己の馬鹿さ加減を恥じる。

 けれど目の前の人は、そんなのを待ってはくれなかった。


「ああ、そうだ。私が兵に爛 梓豪バク ズーハオをつき出すという手段もあります。だって、無理やり犯されたんですからね?」


「うぐっ! そ、それについては、俺がすべて悪いって思ってる。何なら責任を取る意味で、俺はあんたに一生を尽くしてもいい! だけど兵に言うのだけは……」


 椅子から離れる。床に頭をこすりつけ、どうかそれだけはと懇願し続けた。


「……私も鬼ではありません。ケジメをつけさせてくれるのなら、もう何も言いません」


 そう言う全 紫釉チュアン シユの目は笑っていない。左手で強く空気を切っていた。


 爛 梓豪バク ズーハオは覚悟を決め、背筋を伸ばして正座する。


「さあ、こい!」


 潔く、頬を差しだした──


 □ □ □ ■ ■ ■


「──えっと。いろいろあって俺は、【あか魂石こんせき】ってのを探してるんだ」


 椅子に深く腰かける。行儀悪く足を机の上に乗せた。

 ふんっと鼻息荒くし、全 紫釉チュアン シユを下に見る。

 そして、ことのあらましを説明した。


 ある日、いつものように修仙しゅうぜんをしていた。けれどその日の夜、尊敬する師匠が怪我をして帰宅。

 彼は急いで師匠の元へと駆けよる。そのとき、師匠からある伝言を託された。


「師匠を襲った連中は、あか魂石こんせきってのを狙っているらしい。その石を師匠が持ってるって決めつけて、襲ってきたらしい」


 突然襲われた師匠は、持てる力すべてを使って襲撃者を撃退する。しかし深傷を負い、動けぬ身となってしまった。

 そこで白羽の矢がたったのが、弟子の爛 梓豪バク ズーハオである。彼は師匠の代わりに、あか魂石こんせきというものを探すことを決意した。


「で、その最中に捕まって、売り飛ばされそうになったってわけ」


 もともと彼は、お尋ね者だった。はした金ではあるが、賞金もかけられていた。手配表を見れば載っている。けれど有名ではなかったようで、町を歩いていても兵には無視される程度だった。

 そんな彼だからこそ、謎の石を探すのは好都合だったようで……

 

「情報集めとかは、結構簡単にいったんだよな。だけど、ドジ踏んで競売にかけられそうになった」


 一度肩を落とす。茶を飲み「いざというときに、俺はドジを踏むんだよなぁ」と、苦笑いをした。


「さて。今度はお前の番だ、全 紫釉チュアン シユ


「……そう、ですね。どこから話すべきか。迷ってしまいます。ただ私は、あの赤ん坊のことは何も知らない。とだけ、伝えておきます……」 


 茶器を机の上へ置き、深息した。


「ん? お前の子供とかじゃ、ないのか?」


「違います。私は、ある宿屋で陥れられました。そのときにあの赤ん坊と一緒に氷の術に填まってしまったんです。情けないですよね?」


 全 紫釉チュアン シユは苦く笑っている。 


「え? あ、いや……そ、それで? お前は、どうしたいわけ?」 


「え?」


 そんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。全 紫釉チュアン シユの両目は大きく見開いていた。


「いや、だってさ。赤ん坊は他人です。だから関係ありません! ってわけにはいかねーだろ? どんな理由があるにせよ、お前が凍漬けになったときに巻きこんだんだろ? だったら親元に届けるまでは、責任持つべきだと俺は思う」


「責……任」


 美しい銀髪を耳にかける。男のはずなのに、女性のように艶やかな色香を伴う吐息を溢した。長いまつ毛で両目を隠し、唇を噛みしめる。

 

「そう、ですね。私のせいで、関係のない赤子が酷いめにあってるんですし。親子さんの元へ届けるまで、私はあの子を守ります」

 

 晴れた表情ではなく、曇った眼差し。それでも言葉に嘘はないようで、一言一言がはっきりとしていた。

 

 それを確認した爛 梓豪バク ズーハオは頷く。

 

「そうなると、だ。俺の目的とあんたの目標は違うわけだけど……」


──お師匠様が言ってたあか魂石こんせき。そもそも、これが何なのかすらわからない。全 紫釉チュアン シユっていう、この男の正体もハッキリしてないし。


 どうしたものかなと、頭を掻いた。


「……とりあえずは、さ。ふたりとも目的が違うわけだし、ここでお別れってことで……って、どうした?」


 真剣に話している最中だというのに、全 紫釉チュアン シユの視線はどっちつかずになっている。落ち着かないといったほうが正しいのだろう。話し半分、意識はこの場に向いていても、心ここにあらずだった。

 それに気づいた爛 梓豪バク ズーハオは、小首を傾げる。


「あ、いえ……正直に言いますと、この辺りには知り合いがいなくて……そのぉ……」


 恥ずかしそうに頬を紅色に染め、ちらりと爛 梓豪バク ズーハオを横目に見つめた。その姿は大人の男性というには、些か幼く思える。全 紫釉チュアン シユという男は身長や性別に反して、小動物のような庇護欲を持っているようだ。

 

「う、ぐっ!」


 意外と面倒見のいい爛 梓豪バク ズーハオは、その姿に絆されていく。


 ──やっべぇー! めちゃくちゃ可愛い。男のくせに!


 頭の中で言葉を選び、軽く咳払いをした。


「……まあ、何だ。助けた手前、ここで放っておくのも、なあ? それに、その……」


 間違った薬を飲ませ、無理やり抱いてしまった。

 そのことについてゴニョゴニョと、口を小さく開けながら謝罪する。


「……っ!?」


 一夜の過ちを思い出した全 紫釉チュアン シユの顔は、一気にゆでダコのようになる。カッと耳の先まで赤くなった。それは忘れてと、子供っぽく頬を膨らませる。


「んんっ!」


 ──やっべぇ。マジで可愛いよ、こいつ。


 

 そのとき、ドタドタと、階段を登る足音が聞こえた。一緒に赤ん坊の泣き声もする。足音は彼らの部屋の前でとまり、扉をたたく音に変わった。そしてすぐに扉が開けられ、赤子を抱っこした店員が現れる。


「す、すみません。赤ちゃんが泣きやまず……」

 

 おぎゃあおぎゃあと、元気よく泣く赤子を背に、店員は困りはてた様子で爛 梓豪バク ズーハオに赤ん坊を渡した。


 彼は泣く赤子に、いないいないばーをしてあやす。


「お、お客様、申し訳ありません。乳母が用事で出かけておりまして……明日まで留守だそうです」


 とどのつまり、頼りにしていた母乳はない。このままでは赤子はお腹を空かせたまま。それならば夫婦の元へ返し、母親が乳を飲ませるべきだ。

 という、結論になったそうだ。


「預かっておきながら、すみません。あ、奥方様がお目覚めのようなので、母乳あげられますね。それでは」


 言いたいことだけを嵐のように伝え、店員は一階へと戻っていく。



 残されたふたりは赤子を見、互いの顔を見合せた。そして「えー?」と、困惑しながら途方に暮れてしまう。


 けれど、赤子は彼らの動揺などおかまいなし。ひたすら泣いては、彼の服をちゅぱちゅぱ吸っていた。


「……お腹、空いてんだろうなぁ。でも母乳なんて出ねぇーし……」


「だからと言って、このままというわけにはいきませんよね?」


 貸してくださいと、全 紫釉チュアン シユは両手を差しだす。彼は遠慮なく赤子を渡した。

 

「私が女性だったら、母乳をあげれたんですけどね」


「はっ! じゃ、じゃあ、俺の雄っぱ……」 


「子供の前で、おやめなさい!」


 唐突に服を脱ぎだす彼を見て、全 紫釉チュアン シユは若干引いている。

 

「……ってか、本当にどうすんだよーー!」


 爛 梓豪バク ズーハオの心からの叫びが、宿屋の中に響いていった。

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