第3話 睡眠薬、飲ませちゃいました

 全身にほのおを纏わせれば、当然、人々は逃げる。それは主催者たちも例外ではなかった。


「ひっ! ば、化け物だぁー! 妖怪だ!」


 あれだけ必死に持ち出そうとしていた品々を放り、彼らは一目散に逃げていく。腰が抜けても這いずり、柱にぶつかってたとしても、仲間を押し退けてでも、その場から消えていった。


「やっぱり、こんなところでやるんじゃなかった! こんな……化け物だらけの地で!」


 最後のひとりが悲鳴をあげる。



 やがて爛 梓豪バク ズーハオ以外いなくなった。彼は深くため息をつく。指をパチンと鳴らし、ほのおを一瞬で消した。

 

「化け物だらけの地? そんな場所、あるのか?」


 黒から解放された爛 梓豪バク ズーハオの瞳は灼熱のようにあかい。けれどそれは一瞬のことで、すぐに黒真珠の瞳に戻った。

 ひとりきりになったこの場で軽く体を捻る。コキコキと鳴る骨を気にすることなく、大きく背伸びをした。



「──さぁてと。凍った人をどうする……か……ああ、溶けちゃったか」


 氷漬けの女神を見れば、赤子とともに床に倒れている。水も滴るいい女という言葉が似合うほどの美しさで、赤子を守るように両目を閉じていた。


「……息は、あるな」


 赤子と女神。ふたりの喉を確認すれば、弱々しくはあるけれど脈は動いていた。

 そのことにホッとする。眠る女神に上着かけてあげ、横抱きにした……そのときだった。女神が腕に抱いていた赤子が、大泣きを始めてしまう。


「え!? う、嘘だろ!? 生きてるのはわかったけど、そんな唐突に泣いて……」


 赤子の世話などしたことがなかった。オロオロとするしかなく、余裕のない表情に変わる。

 腕に抱く女神を降ろし、赤子だけ手に取ろうとした。直後、女神の長いまつ毛が震えた。


「あ、目が覚めたのか?」


「…………」


 氷漬けにされていた影響か。女神の唇は紫色になっている。それでも女神は口を動かし、呼吸をしていた。爛 梓豪バク ズーハオの腕を掴む手は力など入っていないようで、するすると落ちていく。


「お、おい! 大丈夫か!?」


 女神の虚ろな瞳の奥は、美しい灰色だった。少しだけ色素の薄い瞳で、赤子だけを見つめている。

 

「……し、て……」


「……え?」


 爛 梓豪バク ズーハオは耳を澄ました。


「そ……こを、か……し、て…」


 蚊の鳴くような声を発しているのは、どうやら女神のよう。苦しさを我慢して喋っているようで、額に汗が流れていた。

 大きな瞳が潤む。紫色の唇から洩れる声や吐息に、妙な艶が生まれた。


 ──うっわ。めちゃくちゃ美人なうえに、すっげぇ色っぽいんだけど。


 女神の艶っぽい姿を見ることを許されている爛 梓豪バク ズーハオは、ゴクリと喉を鳴らした。

 けれど強く首を左右にふる。しっかりしろ自分と両頬を叩き、意識を現実へと無理やり戻した。


「……安心しろ。この赤ん坊を取ったりはしないから。今は、ゆっくり休め。な?」


 泣く赤子の頬をつつき、優しい笑みを落とす。

 懐から袋を取り出し、中をごそごそした。そこから赤い玉をひとつ取り出す。


「これは睡眠薬だ。これを飲めば、ぐっすり眠れる。今の君に必要なのは、赤子の世話じゃない。休むことだ」


 ──赤い玉は睡眠薬。青い玉は媚薬。そう、お師匠様に教わった。だから大丈夫だろ。

 

 赤い玉を自分の口に含んだ。そして女神へ顔を近づけ、静かに唇を重ねる。

 数秒後に口を離せば、女神は両目を瞑っていた。呼吸が苦しそうに聞こえるけれど、眠っている。それを確認し、ホッと胸を撫で下ろした。


「……とはいえ、ここにずっと置いておくわけにもいかないよなぁ」


 天井からぶら下がっている赤い布をむしり取り、それを抱っこ紐として使う。眠る赤子を背中にくくりつけ、女神の両膝の裏に手を伸ばす。

 

「軽い。全然体重ないなぁ。まあ、こんなに美少女ちゃんだしな」


 横抱きにした女神を見ては微笑んだ。


 □ □ □ ■ ■ ■ 

 

 外へ出てみれば、太陽の光が真上にきていた。

 競売に来ていた客も、売る側の人すらも見当たらない。唯一残っているのは、紐に繋がれたロバだけだった。


「……まあ、足がないよりはマシか」


 ロバの紐を引っ張る。自由になったロバは逃げようと暴れるが、彼はそれを難なく制した。

 慣れた様子で、女神を抱いたままロバにまたがる。手綱を手にし、走れと命じた。けれどロバは我関せずなようで、自由気ままに山道を進む。


「……走ってくれませんかね?」


 ロバは言うことを聞くつもりはないようで、彼の低姿勢の声ですら無視していた。

 

 ──ロバに馬鹿にされる日がくるなんてなぁ。まあ、しょうがないか。


 機嫌を損ねたら振り落とされる。そうならないためにも、ロバに従う他なかった。


 

 しばらくすると山道から参道へ出る。

 爛 梓豪バク ズーハオはロバを止め、出てきた山へと振り返った。


「ああ、ここは戯山きざんなのか」


 周囲には山がいくもある。その中にひとつだけ、尖っ山があった。天辺は霧で包まれていて、不思議な空気を放っている。

 山の名は【戯山きざん】。古来より、妖怪や霊などが集まる場所とされていた。陰の気が強く、人が滅多に訪れずことはない。

 戯山きざんの尖りよりも少し下に、岬があった。広大な運河を見渡せる絶景となっている。けれど呪われた山として知られいる戯山きざんがゆえに、人っ子ひとりいなかった。


 ここを知るものは皆、声を揃えてこう言う。


「妖怪が通り、人を冥界へと引きづりこむ山」


 なのだ、と。


 國を統べる君主ですら避けて通る。それが戯山きざんだった。ただ、すべての人間がそれを信じているわけではない。

 それでも、この噂を利用しようとする輩にとってはこの場所こそこが天国そのものだった──


「何でまた、こんな場所で競売なんてするかねぇ」


 興味が失せていく。山に背を向け、ロバに乗って参道を進んでいった。




 ロバに乗り、女神と赤子を抱きながら参道を行くこと三十分。 

 しばらくすると、鶏が活発に鳴く声が聞こえてくる。どうやら人里に出たようだ。


「誰かいないかな?」


 葉っぱや蜘蛛の巣など。山を駆けた姿が、とても痛々しい。それでも、女神たちを離しはしなかった。


 周囲に見えるのは作物が育っている畑ばかり。野良猫や兎もいて、非常にのどかな場所だ。人の姿はまぱららで、ときどき砂利道を牛車が通る程度の地域のよう。

 自然豊かと言えば聞こえはいいが爛 梓豪バク ズーハオのような若者からすると、何もない田舎そのものだった。


「山を出てすぐのところがこれか……まあ、蜘蛛の巣だらけの山中を突っ切るよりはマシか」


 ロバに絡めた紐を引っぱる。畑仕事をしている老人に声をかけ、休めるとこはないかと尋ねた。


「ん? ああ、それならこの道をもう少し行ったところに、通霊トンリン大峡谷っていう谷がある。そこの近くに小さな村があるよ」


「……! ありがとう、おっちゃん!」


 畑仕事をする老人を背に、ふたりを抱えて谷へと向かった。



 通霊トンリン大峡谷には、自然に囲まれた大きな滝があった。飛沫をあげながら池に落ちる水は、そばにある道へはみ出している。滝には虹がかかっていた。太陽の光と虹、その両方が、滝を美しく見せている。


「……へえ。ここが、通霊トンリン大峡谷か。なかなかに迫力あるな。よっ、ほっ。それ!」

 

 ロバを巧みに操った。岩の上を飛びながら、向こう側へと渡る。

 到着した直後、彼はロバを停止させた。

 

「……うん。そろそろ、腕と尻が痛くなってきたぞ」


 女神は細く、軽い。それでも、子供と呼ぶには無理がある身長だった。そこに赤子も加わっている。

 さすがの彼であっても、長時間、同じ体勢で大人と子供を抱えることは無理だった。

 腕が痺れ、お尻は痛みを覚えてしまう。


 ──このままじゃ、俺の体が持たない。村も見えないし……どうすっかなぁ。


 教えられたとおりに進んではいるものの、村がまったく見えてこない。そのことに焦りすら感じていった。

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