第5話 おかえり、ただいま

 帰りの電車賃は、自分で出した。バングルの電源を点け、それで帰ったから……母さんも今僕がどこにいるか、分かっていると思う。

 母さんからの不在着信やメッセージが溜まっていたが、全て無視をした。これを介するよりも、直接話したいと思ったからだ。

 帰りの道中、僕たちは何も話さなかった。ただ手は繋いでいた。お互い、離そうとはしなかった。……握ると、向こうも握り返してくれて、ああ、これが人の温もりなのだな、と感じた。

「考新!!」

 家までの最寄り駅に着くと、すぐに大声で名前を呼ばれる。そちらを見ると……母さんが、僕に駆け寄って来ていた。

「考新、どうしてお母さんに黙って外に出たの? 貴方はそんな子じゃなかったはずでしょう? というか、隣の子は誰? ……ああ、この子に唆されたのね? でないと貴方がこんなお母さんに心配をかけるようなことを──」

「違うよ、母さん。僕の意思で家を出たんだ」

 矢継ぎ早に話す母さんに対し、僕は冷静に返した。すると母さんの言葉が、表情が、固まって停止する。

「勝手に家を出たことは……ごめんなさい。でも僕は、ずっと家にいないといけないのが、嫌だった。僕だって外で遊びたいし、友達とだって会いたい。……このままじゃ駄目だって、思ったんだ」

「考新……」

「父さんと兄さんに、会ってきたよ。僕はいつも写真で見るだけで……会ったことは、なかったから。……母さんが、父さんと兄さんのことがあって、僕に危ない目に遭ってほしくないって思ってること……ちゃんと分かってる。でも、僕は大丈夫だよ。僕は、ちゃんと帰って来るから」

 現にこうして帰って来たでしょ? と言うと、母さんは何も言わずに俯く。だから僕は、そのまま続けた。

「僕は、今は子供だから、母さんと一緒に居る。それでも、この先沢山勉強して、もっと成長して、僕はいつか自立する。いつか母さんの目の届かないところまで、行くよ。……でも、僕は母さんのこと、ずっと大事に思っているから。……母さんのこと、一人にしないよ」

 このままずっと一緒、というのは無理だと思う。生きていれば、別れがくる。それはきっと仕方のないことだ。今、技術は進歩しているけど、それでも〝死〟という概念から逃れることには、成功していない。

 だから僕たちは、大事に思い合うのだ。人のことを。

 気づけば目の前にいる母さんは、大粒の涙を零していた。それをハンカチで拭っている。

「……すぐには……この心配は、消えないと思うわ……」

「……うん」

「……貴方は私の、たった一人の大切な、家族なの……貴方を失うことを考えるだけで、胸が張り裂けそうだわ……。でも、それが、貴方を苦しめていたのね……ごめんなさい」

 母さんはそう言って顔を上げ、僕を見つめる。目が合った。

「……帰って来てくれて、ありがとう。……おかえりなさい」

「……うん、ただいま」

 そもそも出かけたことがなかったので、この挨拶を使うのは初めてだった。そして初めて、この「ただいま」という言葉が、とても暖かいことを、知った。


 サラとはその駅で別れることになった。やはり、サラの父親は来なかったらしい。いつものことだよ、とサラは笑っていたが……僕の母さんが迎えに来た時、サラが寂しそうな顔をしていたことを……僕は、知っている。

「じゃあまた、学校でね」

「……うん」

 サラは僕に笑って手を振る。僕は、上手く笑い返すことが出来なかった。

 去って行くサラの背中を、僕は見つめている。……何か、言わないと。そう思って、僕はサラを追った。

「サラ!!」

 彼女は振り返る。そして足を止め……僕たちは、向き直った。

「……その、えっと……サラさえ良ければ、またしようよ。家出」

 そして何と言うべきか迷った結果、なんとも不可解な言葉が出てきた。後ろから追って来た母さんがぎょっとしているのが横目で分かる。サラも、驚いたように目を見開いていた。……しかし、撤回する気はない。

「もう、勝負って言うかさ、サラのお父さんが、サラのこと心配するようになるまで……根比べって言うか……」

 僕は言葉を続ける。しかし言っている途中で、なんだか自信がなくなってきてしまい……最終的に、黙った。

 サラは、何も言わない。

 しばらく、誰も何も言わなかった。母さんも、口を挟まなかった。

「……無駄だと思うよ。何度も、本当に沢山、無断で外出してきた。でも一回も、お父さん、探しにきてくれなかった……」

「……サラ……」

 サラは、泣くのをこらえるような顔をしている。僕はその顔を見て……何か、僕の中に沸き上がるものを、感じた。

「……でもっ、今までがそうでも、明日は違うかもしれない!!」

「……え?」

「回数重ねれば、流石に、お父さんも、何かあるって気づくかもしれないし……やってみないと、分からないじゃないか!!」

 サラはキョトンとしている。その表情を見たら、僕は急に叫んだことが恥ずかしくなってきてしまった。

「……いや、その、家出じゃなくても……普通に、遊びに行くとかだけでも良いし……」

「……そうね。えっと、サラちゃん? ……良ければ今度、うちに遊びにいらっしゃい。ご馳走を用意するわ」

 すると横から、母さんがサラをそんな風に誘う。それに今度驚くのは、僕の番で。……見上げると、母さんは僕にウィンクをしてきた。助太刀をしてくれたらしい。

「い……いいんですか?」

「ええ。息子もお世話になったようだし……息子の友達なら、大歓迎よ」

 サラは戸惑っているようである。でも……すぐに嬉しそうに笑って、頷いた。

「コウ、コウのお母さん。……ありがとうございます」

 そう言って、サラが晴れやかな笑顔で頭を下げたから……僕たちも、笑い返す。

 それで今度こそ僕たちは、笑ってまたねを言うことが出来た。

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