第2話 突然の誘い

 お昼を食べ終わると、僕はバーチャル空間に戻って来た。お昼を食べてすぐに行こうとしたものだから、「そんなに早く行かなくてもいいんじゃない?」と母さんに言われたが、次の授業の予習をするから、でなんとか乗り切った。

 やはり、授業が始まる二十分前なだけあり、バーチャル空間にはまだ全然人がいない。僕は席に着くと、教科書のウィンドウを取り出す。本当に予習をするつもりはなかったのだが、よく考えれば僕には友達がいない。悲しいことに、勉強をするしか暇を潰せないのだ。

 が、教科書を読み始めようとした瞬間、通話申請のアイコンが表示される。「九重ここのえ紗々楽ささら」という名前には、見覚えがない。

 拒否を押そうと思ったが……考え直す。どうせ暇なのだ。暇潰しに丁度いいかもしれない。……そう思って、許可を押した。

「……あ、繋がった。やっほー、ガリ勉くん」

「切っていい?」

 開始早々に悪口を言われたような気がして、僕は反射的にそう返す。すると電話の向こう側の彼女はケラケラと笑い、ひっどーい、と告げた。

 ……九重紗々楽。どうやら女子生徒であるらしい。恥ずかしい話、女子と話すのは初めてだ。……そう思うと、少し心臓が高鳴るのを感じ──また「急激な心拍数の上昇」とディスプレイの隅に表示され──僕は平静を装って口を開いた。

「……で、何の用ですか」

「え、別に用事はないけど。授業始まるまで暇だから」

 どうやら彼女も同じ状況らしい。大方、暇そうな僕を見て連絡をしてきたのだろう。そのコミュ力に驚かされるばかりだ。

「ねぇ、君ってさ、この前のウォーキング、断ってたよね? ていうか、遊びのお誘い全部断ってない? 親厳しいの?」

 すると彼女は矢継ぎ早にこちらに話しかけてくる。なんだか答えづらいことまで聞かれ、ここがもし昔の教室とかいう部屋の真ん中であったら、ここにいる人全員に聞かれるのだろうな、と思う。彼女の声は大きく、言い方は、ズカズカ、という表現がとても良く似合った。……何故かそんな態度が酷く気に障り、僕は荒い口調で答える。

「……そうだよ。母さん、僕のこと外に出してくれないんだ。だから遊びに行けないの」

「……え」

「これで満足? じゃあね」

「あ、ちょ──」

 引き留める声も無視し、僕は通話を切る。……ああ、困惑した様子だったな。最初は向こうのペースだったけれど、最後にはこちらのペースに出来て、良かった。

 それから授業の間まで、再び彼女から通話の申請が来ることはなかった。やはり、過保護な親の子供とか、普通じゃないって思われたんだろうな。まあいい。彼女の態度は、とても気に障る。だから、これで良かったんじゃないか。

 ……そう思う、が、モヤモヤするものが……胸に、残っていた。


 五十分間の授業が終わり、僕は開いていたウィンドウを閉じる。そうしてログアウトしようとしたところで……チャットに、通知が一つついていることに気が付いた。

 が、しかし、その時にはもうログアウトボタンを押してしまっていて。もう目の前はいつもの自分の部屋だった。

「考新、お帰りなさい」

「……ただいま」

 そして当たり前のようにいる母さんだ。それにうんざりしつつも、それを顔に出さないように努めながら答えた。

 おやつを用意してるから、お腹が減ったらリビングにおいで。という言葉に頷くと、母さんは満足したように部屋を去って行く。……毎回思うけど、授業が終わる時間に僕の顔を覗き込んでいるの、やめてほしい。

 僕は椅子に腰かけ、バングルの画面を叩く。さっき来ていたチャットを確認するためだ。……そして差出人を見て、思わずうわ、と声を出してしまった。

 九重紗々楽。さっきの会話で関わるのは最後だと思っていたのに。

 メッセージは『ねぇ』だけで、会話をする気があるのかこいつ、なんて思う。しかし既読スルーをするのも癪で、何、とだけ返した。するとすぐにメッセージが返って来る。さては張っていたか。

『授業中、ずっと考えてたんだけど』

『外出られないの辛くない?』

 授業中ずっと考えて、出てきた言葉がそれかよ。そう思いつつ、僕は言葉を返した。

『だったら何』

 はい、辛いです。と返すのは嫌で、否定も肯定もしない言い方にした。……さて、何て返って来るか。

『じゃあ、』

『一緒に家出しよ』

「……は?」

 目の前に書いてある言葉を理解するのに、数秒の時間を要してしまった。

 一緒に、家出。確かにそこには、そう書いてある。

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