第255話

最後のページをめくり、本を閉じる。

テルミスに選んでもらった本を読んでいたら、いつの間にか朝になっていたらしい。

読み終わった本を書棚に戻す。

ここにある本は今までテルミスが読んでいた本だ。

今俺たちはモノジアにあった塔の中で暮らしている。

隠されるように建てられていた塔の中には、テルミスが今まで読んできたたくさんの魔法陣の本がおさめられていた。

部屋の明かりや、空調も全て魔法陣で起動する。

ここを建てた人にとって魔法陣は、廃れた時代遅れのものではなかったのだろう。

魔法陣に手をかざし部屋の明かりを消して、テルミスの部屋へ向かった。


邪竜を浄化してもう1か月が経っていた。

あの時の事を考えれば、今も心がつぶれそうになる。

竜の傍に倒れていたテルミスは呼び掛けても答えず、ゆすっても反応がなかった。

急いでヴィダをかけた。

怪我はなかったので効果はなかった。

テルミスの上体を抱きかかえ、魔力回復に効くポーションを飲ませてみた。

意識のないテルミスは飲み込んではくれなかった。

もしかしたらいつものように、数日経ったら目を覚ますかもしれないとも思った。

けれど、いつもと違う冷えきった体、生気のない顔にこのまま目を覚まさないのではないかという恐怖の方が大きかった。

どうしたらいい、どうしたらいい……と悩んで、焦って、自分の魔力をぶつけた。

魔力がないなら俺の魔力を渡せばいいと思ったのだ。

本当にそれが効果のある方法かは知らなかった。

それでもそれしか思いつかなかった。

だが、俺の魔力はやはり俺のもので、テルミスの魔力の器の中に留まってはくれなかった。

魔力をぶつけたことが刺激になったのだろうか。

テルミスが、ピクリと動いた。

「テルミス? お願いだ。ポーションを飲んでくれ」

ポーションをテルミスの口元にやる。

こくり。

さっきは飲み込めずに口から流れたポーションを少しだけだが飲み込んでくれた。

消えかかっていたテルミスの魔力も少しだけ増えた。

良かったと安堵したのも、一瞬の事だった。

テルミスの魔力の器はひび割れていて、そこからせっかく増えた魔力が外へ流れ出た。

どうすればいい?

また俺は悩んで、焦って、とっさに思い浮かんだのは騎士団で習った応急処置だった。

怪我をしたら、水をかけ、薬を塗り、魔力で蓋をする。

先の二つの工程は飛ばして、テルミスの魔力の器に自分の魔力をまとわせる。

少しでも隙間があればそこから魔力が流れ出てしまう。

結局テルミスの魔力の器を俺の魔力でびっちりと包んだ。

もう一口ポーションを飲ませる。

頼む。上手くいってくれともう白くはないテルミスの魔力の器を見て祈った。

こくりとテルミスの喉を通り、また少しだけ魔力が増える。

今度は魔力が流れ出なかった。

もう一口、もう一口とポーションを飲ませていく。

しばらくしてテルミスが目を開けた。

俺を見てふふふと笑うテルミスを見て、思わず涙が流れた。

一緒に来たはずのネロはいつの間にかいなくなっていた。


テルミスの部屋をノックする。

返事がないので、扉を開けると中はもぬけの殻だった。

ベッド横に置いてある文箱の隣には手紙が開かれている。

差出人はイヴだ。

「島が見えたわ。もうすぐよ」

そこにはそれだけが書かれていた。

となると行先は想像がつく。

隠し扉から外へ出る。

この塔を作った主は、どれだけこの塔を、いやこの塔にある本を隠したかったのだろう。

この塔は丘の上に建っている。

丘から下を見下ろすと、ゆっくり、ゆっくりとテルミスが歩いているのが見えた。

行き先は、やっぱり石碑だ。

丘を駆け下り、テルミスを追う。

あっという間にテルミスに追いついた。

「石碑のとこに行くんだろう? 声かけてくれたらよかったのに」

勝手にいなくなったことに、少し不満を漏らした。

「ふふふ。声、かけたんですよ。でもあまりに熱中しているみたいだったから」

テルミスは笑いながら答えた。

どうやら本に熱中するあまり、気が付かなかったようだ。

二人で、ウィスパにおはようと挨拶をして石碑に向かう。

「あの石碑、壊すつもりか?」

「うん。新しい国にはいらないと思って」

石碑の前まで来た。

石碑にはこう書いてある。


『モノジア 知の集う場所

最高神〈空〉より知識を与えられたライブラリアンよ。

ここにいるということは、きっと君も私と同じライブラリアンだろう。

本は先人たちから積み上げ、磨き上げてきた知識の、技術の結晶だ。

知識は力だ。

この力で君が世界を変えてくれ』


「まだテルミスは魔法を使わない方がいい。俺が壊すよ」

「ううん。これは私が壊したいの」

テルミスがまっすぐ俺を見つめる。

これは、諦めてくれそうにない。

「俺が補助しよう。危ないと思ったら無理やり止めるぞ」

テルミスが石碑に地魔法をかける。

俺はテルミスの背に手を当て、魔力を送り続けることでテルミスの魔力の器が壊れぬよう支えることしかできない。

古い石碑の上部がサラサラと砂になって消えていく。

「ライブラリアンはただ本が読めるだけ。私しか知らない知識なら、みんなに教えればいい。世界を変えるのはきっと……私じゃないわ」

そう言って、テルミスは石碑の最初の三行を消した。

無茶をする。

ふらりとよろけるテルミスを支える。

「テルミス、みんなが来る前に補強しておこう。もうしばらくは魔法禁止だぞ」

テルミスを台座に座らせ、テルミスへ手を向ける。

あれから1か月経っても、まだテルミスの魔力の器はひび割れたままだ。

俺の魔力がテルミスの魔力を包むことで、どうにか最低限の魔力を保っている。

だから今のように魔法を使えば、ひびが広がってしまうのだ。

一度テルミスを包んでいた魔力を解除し、ひびの状態を見る。

よかった。それほど大きく開いていない。

「まったく、無茶をする」

再び俺の魔力で魔力の器を二重、三重に包んで補強していく。

「テルミスは新しい国で何したい?」

賢者は死んだ。邪竜と共に。

ここにいるのは、新しい国モノジアの守護竜ウィスパと賢者でも何でもないただのテルミスだけだ。

やっと、テルミスは自由に生きられる。

賢者として民の暮らしを背負うことなく、教会に狙われていると怯えることなく、スキル狩りから逃げることなく、自由に。

「ふふふ。まだ秘密です」

秘密ということは、やりたいことはあるのか。

いたずらっ子のように笑って答えるテルミスは本当に楽しそうだ。

「今日のアルフレッド様を見ていたら、より強くそう思うようになりました」

今日の俺?

寝不足の頭はあまり働いていないのか、まったく想像がつかない。

「ねぇアルフレッド様、ウィスパに乗ってみんなを迎えに行きましょうか。ふふふ」

良い事を思いついたとばかりに目をキラキラさせながら話すテルミス。

あぁ、まったく。

こっちはこれだけ肝を冷やしたっていうのに、つい1か月前に死にかけたっていうのに、この子は本当に楽しそうだ。

ウィスパの方に歩いていくテルミスの背中を見て思う。

まったく敵わないよなぁ。

体は小さい、力もない。運動神経だってない。

気にしないふりをしていても、悪意に強いわけではない。ちゃんと傷ついている。

テルミスは、弱い。弱いはずなのに、なんでか必ず一歩踏み出すんだ。

すごい才能があるわけでもない。ただいつも一生懸命だ。

俺の後ろに隠れておけといったい何度思っただろう。

でも、黙って守らせてはくれない。

弱くて脆くて、それでもいつだって前を向いて自分で歩き出すテルミス。

目が離せないんだよ。ずっと。

「ほら、行きましょう!」

先を歩くテルミスが振り返って、弾む声で俺を呼ぶ。

「今行く」

俺も一歩、前へ踏み出した。



「ユリシーズ様、あの聞きたかったんですが……なぜ鷹なのですか」

「空を飛んでいても不思議ではないものと考えて、鳥だと思った。鷹はクラティエ帝国のシンボルだからな、手元にあった。それだけだ」

ネイトとクラティエ帝国第二皇子ユリシーズ改め、ユリシーズ・モノジアが空を飛ぶ鷹を眺めながら話をしている。

彼らは今船の上。

船は紐をつけた鷹が飛んでいく方向にまっすぐ進む。

「紅茶を入れました。良かったらどうぞ」

アグネスがナランハ紅茶を配っている。

「久しぶりだわ~。これ飲むと旅しているって感じがするのよね~」

「懐かしいですね。あの時はテルーちゃんがナリス語ずっと勉強していて、みんなで教えましたね」

バイロンとイヴリンは昔話に花を咲かせている。

「それより、バイロンさんまで来て大丈夫なの? テルミス商会の帝都支部長なんでしょー?」

「もう軌道に乗っていますから、別の者に任せましたよ。サリーやルカ、ベティも来ていますし、こっちでまた商会立ち上げた方が絶対に面白いです。新国家モノジア。国の誕生に立ち会う商会ですよ。街づくりにも一枚、二枚噛めるかもしれないじゃないですか」

キラキラした目で語るバイロンとは対照的に船の後方には船酔いでダウンしているベティがいた。

「だから言っただろ。専属っていうのは体力が必要なんだ」

ルカが水を手渡しながら言う。

「いや体力……必要かな? それより専属は向上心よ! もっと新しいもの作りたいっていうね!」

サリーは背をさすりながら熱弁する。

「はい。頑張ります。もう、一人置いて行かれたくないですから」

水を飲みながら、決意を新たにしているベティ。

そんな一行を乗せて船は進む。南へ、南へ。

雲の切れ目からきらりと光ったものが出てきた。

鷹を見上げていたネイトが叫ぶ。

「見ろ! 竜だ!」

全員が船の前方に集まって、空を見上げる。

「みんなー! 久しぶりー!」

元気な声が空から降ってきた。

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