第254話【閑話】守りたいもの

その頃、アルフレッドは宮殿にいた。

先ほどまで目の前にあった結界の魔導具はなく、先ほどまで背中に感じていた手のぬくもりもない。

そして何が起こったのか瞬時に理解した。

「くそっ。飛ばされた!」

周りを見回し宮殿だとわかると、第二皇子ユリシーズのもとへ急いだ。

具体的な案があるわけではなかった。

けれど、一刻も早く助けに行かないという思いがアルフレッドを急がせた。

そして同時に一人ではどうにもならないとも感じていた。

「アルフレッド!? 一人か?」と驚くユリシーズに現状を話し、「今すぐ行かねば」とアルフレッドは力説した。

だが問題は、助けに行かねばならないモノジアの場所がわからないことだった。

賢者テルミスが解読した古代語の文字はカラヴィン山脈の奥地にある遺跡で見つかったもの。

どんなに飛ばしても、それこそ馬に身体強化をかけたとしても、そこまで行くには数日はかかるだろう。

だが、先ほどまで結界を維持していたアルフレッドには分かる。

1日でも無理だ。間に合わないと。


もうできることはないのか? 神に祈るしかないのか? くそったれ! と思ったところで馬鹿げた案を思いついた。

アルフレッド自身も馬鹿げていると思った。

普段の彼なら、考慮すらしないだろう。

けれど、アルフレッドはそれでもやってみたかった。

馬鹿みたいだと笑われても良かった。

少しでも可能性があるものは試してみたかった。

何とかあがきたかった。

もう無理だと諦めたくなかった。

思いついたと同時に、アルフレッドがくるりと背を向け足早に部屋を出る。

アルフレッドのただならぬ表情を見て、「おい! どこへ行くつもりだ」とユリシーズも後を追った。

辿り着いた先は賢者テルミスの部屋だった。

ノックもなく扉を開く。

中では、侍女がネロを取り押さえるのに四苦八苦していた。

アルフレッドたちが入ってきたのに驚いた侍女の手からネロがぴょんと飛び降りる。

暴れていただろうに、ネロは不思議なことにアルフレッドの前で止まった。

「なぁ、ネロは空の神なんだろ」

突然そう言ったアルフレッドを、侍女は怪訝な顔で見た。

「にゃー」と返事をしたかのように鳴くネロ。

「俺をテルミスの所まで飛ばしてくれ」

「にゃー」

タイミングよく返事をするネロを前に、侍女もだんだん普通の猫ではないのか? という気持ちになってくる。

賢者テルミスからシャンギーラ神話を聞いていたユリシーズは心の底では、そんな馬鹿なと思いつつも、その馬鹿なことを信じたい思いが大きくなっていた。

「一人で行ってどうする。騎士たちも連れて行ってくれ」

そう言うユリシーズにネロは返事をしない。

「アルフレッドだけなのか?」

「にゃー」

ユリシーズやユリシーズの後ろについてきていた護衛のジュードも、侍女もだんだん訳が分からなくなってきていた。

「なら、少し待て! 手ぶらで行くんじゃない。ポーション、薬、食料を集めるんだ。あと私の魔導具も。それで位置がわかるはずだ」

ユリシーズが声をあげる。

誰も馬鹿にはしなかった。その場にいた者たちが散り散りになり、急いで準備をする。

そして時間内に集められただけの物資を持ってアルフレッドとネロは光に包まれた。

「本当に……神様だった」

部屋に残された侍女が呆然とつぶやいた。


モノジアへ戻ったアルフレッドが見たのは、真っ白の竜だった。

先ほどまで見ていたような禍々しさはなく、暴れてもいない。

ただ静かにたたずみ、涙を流していた。

テルミスはその竜の近くに倒れていた。

竜の流した涙がテルミスにかかっている。

濡れた肌は夜の風にふかれて冷たくなっていた。

「テルミス!」

近くに竜がいることも忘れて駆け寄った。

大きな声を出して呼び掛けた。

けれど、少女は返事を返してはくれなかった。

「駄目だ、駄目だ。一人で行くな」

恐る恐る魔力感知をしてみる。

いつもきらりと輝いていた白い光は、今や小さな蝋燭の炎よりも小さく、今にも消えそうになっていた。


クラティエ帝国の皇帝は、竜が来たその翌日声明を出した。

賢者が命と引き換えに邪竜を滅してくれたのだと。

だがその発表に帝都の民はよかった、助かったともろ手を挙げて喜ぶことはできなかった。

帝都の民は見ている。

武道会で結界を張る少女の姿を。

強いのなら、守ってほしいとそう思っていた。

賢者なのだから、竜も追い返せるはずだと思っていた。

前回追い返したように、賢者は竜よりも強いのだと思っていた。

けれど、死ぬとなったら話は違う。

子供のいる親たちは、もしも自分の子供が賢者だったらと想像して身震いした。

子供がいない若者も、自分より幼い命が散ったと知って手放しでは喜べなかった。

瘴気が増えると魔物が出現すると、瘴気は人の憎しみ、苦しみから出てくると賢者は言っていなかったか。

なぜ自分は、ちょっとしたことで相手を怒鳴ってしまったのだろう。

なぜ困っている人に、パンの一つでも分けてあげられなかったのだろうか。

竜を出さぬ方法は知っていたのに、何もしなかった。

大人たちは、理解した。

関係ないと何もしなかった自分たちの行動こそが、少女を追い込んでいたと。

その夜、賢者を悼む人たちが一人、また一人と南へ向かう。

竜と賢者が消えた場所を、いくつもの灯りが取り囲んだ。

誰かが言った。

「この世界を守ろう。今度は俺たちの手で。賢者様が守ってくれたこの暮らしを守るんだ」



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