第239話
「テルミス様、何に焦っているんです?」
そう聞くのは、この春から賢者付きの護衛になったネイトだ。
今日はネイトが朝方から護衛している日なので、耳のいい彼は私が夜明けから起きて何かしているのを知っている。
まぁ、それがなくともネイトは鋭いから感づかれたと思うけれど。
「焦ってなんかない……」
尻すぼみになってしまうのは、自分でも自分の気持ちがよくわからないから。
1年の間に結界の使い手を育成できないかもしれないと焦っているのか、それとも自分の存在意義がわからないからか、相変わらずみんなに助けてもらってばかりで役に立てていないふがいなさなのか。
「言いたくないなら何に焦っているのか聞きませんが、覚えていてくださいね。私が言ったこと。テルミス様は、楽しそうに本を読んでいるだけでいいんです。それだけで十分役に立っています」
ネイトはいつもこう。私と出会って、走り回る以外の楽しさを知ったと、私が本の内容を楽しそうに話すのを聞けば、興味が出ると、新しいことを知りたくなるとそう言ってくれる。
役立たずで無能なライブラリアンの頃も、竜からみんなを守る賢者の今も変わらずありのままの私でいいと言ってくれる。それがすごく有難い。
「ありがとう。でも、もう少しやってみるわ。上手くできてはいないけれど、みんなに守られてばっかりじゃなくて、私も守りたいって決めたの」
「そう言うなら仕方ないですけど、何かあったら私たちに頼ってくださいよ」
「ふふふ。そうする」
そう言って私たちは拳と拳を合わせた。
慌ただしい午前が終わり、いつも通りユリシーズ殿下と昼食をとる。
「今日から本当に大丈夫か? 嫌だったら立ち会わなくていいんだぞ」
ユリシーズ殿下が何を心配しているかというと今日の授業だ。
魔法陣の授業を受けているのは、宮廷治癒師のショーン様以外は魔法師団と研究所の人々だ。
ショーン様は聖魔法使いだから四属性のバランスも良く、センスもいいし、その他の人たちだって国のトップクラスの魔法使いたちばかりだ。
そんな魔法のエキスパートたちなので、魔力感知、魔力コントロールはもちろん、シンプルな魔法陣であればもう使いこなせるようになっていた。
次の段階は付与魔法だ。
だが、その前に宮殿での仕事に新たに採用された人がたくさんいるので、まだ仕事を受け持っていない新規採用者に受講生たちが先生となって魔法陣を教えようということになったのだ。
私とユリシーズ殿下が皇帝陛下に約束したのは結界の使い手を増やすこと。
将来的には国中に結界の使い手がいるように魔法陣を広めていかなければならない。
今回新規採用者に魔法陣を教えるのはその一環でもある。
「大丈夫です。万が一何かされたとしても、私には護衛がいることですし」
ユリシーズ殿下が心配しているのは、新規採用者が私の事をよく知る人物たちだからだ。
季節は春。そう、最近卒業したナリス学園の学生たちだ。
騎士として、侍女として、文官として。
採用された部署はまちまちだが、ナリス学園の卒業生ばかり。私もあんなことがなければ今年卒業だった。つまり、同級生に賢者として会わなければならない。
私の学生生活を知るユリシーズ殿下は、それで一応気にかけてくれている。
残念ながらナオは卒業後もトルトゥリーナの責任者として働いているから今日の授業にはいない。デニスさんも実家の商会に就職したと聞いたし、ジェイムス様の初恋の人はアビー様だったらしく、ジェイムス様はアビー様を追いかけてアビー様の家の領地で騎士になったらしい。そこで、騎士として活躍して結婚を認めてもらうのだそうだ。
そっか。ジェイムス様は自分の道を決めたんだな。
ジェイムス様の初恋の人、アビー様はCクラスだった時に一緒に後方部隊をした仲間だ。Cクラスの中では関わりのあった方だけどちっとも知らなかった。
それにしても……ジェイムス様もアグネスも結婚か。
ナリス学園は、年齢不問だ。何歳からでも入試さえ合格できれば通うことができる。
それでも、多くの人が12歳から通うのは、学生の間に将来の伴侶探し、もしくは伴侶との交流をするからだ。その為、ほとんどの人が卒業と同時に結婚する。
だからジェイムス様とアグネスが結婚しているのも普通のはずなのだが、みんなが急に大人になってしまったようで少し寂しい気もする。
私もいつか誰かと結婚するんだろうか。全然想像できないな。
心配していた授業は、何事もなかった。
一応講師は受講生たちなので私は立ち会っていただけなのだが、傍から見てもみんなすごい真剣に授業を聞いてくれていた。
私に敵意ある視線を向けるわけでもなく、媚びへつらう様に話しかけるわけでもなかった。
かつての同級生たちは、ただただ真剣に授業を受けてくれた。
夜。いつものように湯あみや夕食を終え、いつものように教会日誌を読もうとライブラリアンで本を出した。
コンコンとノックの音が鳴る。
夜に誰だろう? と思っていると、やってきたのはアグネスだった。
「アグネス? どうしたの?」
「一緒に飲みませんか。レスリーが眠れない時はこれだっていうものですから」
視線を下げると、カートにカップ二つにミルクピッチャーが載っている。
アグネスは最近私が眠れていないことを心配してきてくれたようだ。
部屋に招き入れ、一緒にソファーに座る。
アグネスが手渡してくれたのは、温かいはちみつ入りのミルクだった。
「美味しい」
「レスリーが子供のころお母様によく作ってもらったそうです。私もレスリーに作ってもらったのですが、とてもほっとしませんか」
そういうアグネスの顔がすごく柔らかい。
あぁ。よかった。アグネス仕方なく結婚したんじゃなかったんだ。
「アグネス、結婚して幸せ?」
「えぇ、最初はテルミス様について行きたいばかりだったんです。けれど、レスリーが形だけの結婚ならお断りだって言うんで」
少し赤くなりながらアグネスが話す。
あぁ、本当に良かった。アグネスもレスリー様のこと好きなんだ。
幸せそうなアグネスを見て、好きってどういう気持ちだろうなと思った。
はちみつミルクを飲んだら、今度はベッドに寝かせられる。
「テルミス様、今ここには私とテルミス様しかいません。誰も見ていません。だから、寝る前位賢者様をやめましょう? そんなに背負わなくっていいんです。テルミス様が元気でないと授業は続けられません。テルミス様が元気でないと何も始まらないんです。だから……テルミス様の健康と幸せを一番に考えましょう」
アグネスの言う通りだ。私が倒れたら結界を教えられる人がいなくなってしまう。
それはきっと一番避けなければならないことだ。
それからアグネスはベッドに横たわる私の横で、持参してきてくれた子供用の本を読んでくれた。
シャンギーラへ向かう旅は暗い町ばかりだった。それでも竜被害があった村で私が本を読んだ時、確かに楽しいと思ったのだそうだ。
その夜私は、アグネスの声を聞きながらいつの間にか眠りに落ち、懐かしくて優しい夢を見た。
「お嬢様の幸せも探しましょう。お嬢様が幸せになって初めて、お嬢様は本当の意味で周りの人に手を差し伸べられるのですから」
ドレイトの私の部屋でメリンダが私の手を握ってそう言っていた。
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