第237話

ユリシーズ殿下に今日翻訳した古代語について報告しながら、昼食をとる。これももう毎日のことだ。お互い忙しく食事の時間だけしか会うことができない。

ユリシーズ殿下は何か不便はないかとよく聞いてくれるが、皆よくしてくれるので不便なことなどない。

あとは私が頑張るだけだ。


昼食後は部屋に戻り、古代語の一覧表を作る。

授業に来てくれる人たちは、仕事をしながら通ってくれている。だから、座学や暗記物は、授業外でも隙間時間に勉強できるようになればという思いからだ。

なんだかんだあったが、最近はショーン様も来てくれている。

だがどうしても急患で授業を抜けることもある。

だから自分で勉強できるようなもの……つまり、私しか見られないこの本をみんなに見せられればと思ったのだ。

この本を読むことができれば、自分でも学習ができるから。

印刷のないこの世界では、1文字1文字手書きだ。生徒は21人。

みんなの分を写し終わるだろうか……。とりあえず今日の分だけでも写し終わりたい。

1枚目が終わり、2枚目に差し掛かった時声をかけてきたのは、後ろに控えていたアグネスだった。

「これを写せばよろしいのですか? 写すだけなら、私にもできますから私に任せて休憩なさってください」

「あ、ありがとう」

アグネスは休憩してくれと言ったけれど、もう時間がない。アグネスが淹れてくれた紅茶を飲み、すぐに続きを書き写し始める。

ライブラリアンから『古代語』を写していく私と私が写した紙を量産していくアグネス。

カリカリカリカリ。

私とアグネスが書き写す音だけが部屋に響く。

ちらりとアグネスの様子を見る。

アグネスはレスリー様と結婚した。

それでアグネス・カーターになっているのだが、未だに私はその結婚の理由を聞けずにいる。

「幸せ?」と聞いたところで、「幸せ」と帰ってくるだろうし、「私のために?」と聞くのも自意識過剰なような気がするし、もしそうだとしてもアグネスはそうだとは言わないだろう。

平民は侍女になれない。それゆえの結婚だったとしたら、私は喜んだらいいのだろうか、謝ったらいいのだろうか。どうするべきなのか、わからない。

だから、聞けない。

アグネスは、レスリー様は優しい弟のようなものだと言っていたから、悪い相手ではないのだろうし、貴族は政略結婚が普通だからもし本当に私を追いかけるために結婚したのだとしても元貴族のアグネスには普通の感覚なのかもしれない。

でも結婚は一生の事だから……私のことで後悔しないでほしいなと思う。

そう思ってしまうのは、ドレイトにいる私の家族がみんな仲が良かったからかもしれない。

「テルミス様? どうかしました?」

「う、ううん! なんでもない! 手伝ってくれてありがとう。助かるわ」

ちらっと横目で見たつもりだったけれど、どうやら見つめ過ぎていたみたいだ。アグネスに問いかけられて、何でもないと慌てて胸の前で手を振る。

有難いことに、アグネスはそれ以上追求せず、古代語の書き写しに戻った。

私も急いで古代語の本の続きを書き写す。

3枚、4枚と書き写すが、残りはまだまだある。はぁ疲れた。

どうしてみんなは私の本が読めないのだろう。みんなも読めたら楽なのに。

いや違うか。私が、変なんだ。どうして私は読めるんだろう。

ライブラリアンのカイル王子がスキル鑑定具を作った。

賢者は竜を追い払った。

今、スキル鑑定具のせいで私しか魔法陣を知る者がいなくなり、竜も出現した。

私は何のためにここにいるのだろうか。何か私がいる意味があるんだろうか。

カリカリと続きを書き写しながら、そんなことばかり考えていた。


あっという間に授業の時間になる。

アグネスが頑張って書き写してくれたおかげで、今日の分は全員分の資料を配布することができた。これで、暗記すべきことは各自で勉強し、授業の時間は実際に魔法を発動させる訓練に充てることができる。

「ふふふっ」

突然笑い出した私を、受講生たちは不思議そうに見つめ、一番後ろで待機しているアグネスもどうしたのだろうというように首をかしげる。

いけない。気を引き締めなきゃ。

笑ってしまったのは、思い出したからだ。

私がナリス学園に入学して、初めて受けた社会学の授業でオルトヴェイン先生は言っていた。

「何が起こったかなんて、自分で調べたらわかることなんて教えるだけ無駄だろ?」と。

あの時は、この先生厳しいと冷や汗をかいたものだけど、今私も自分で覚えられることは自分で勉強しろとあの時のオルトヴェイン先生と同じようなことを言っている。

それが懐かしくて、少し面白かった。

なんだかんだ一番授業を受けているのはオルトヴェイン先生の社会学だ。

無意識にオルトヴェイン先生の授業をお手本にしていたのかもしれない。


授業が終わるともう日暮れ。

部屋でゆっくり夕食を食べ、湯あみをしたらもう夜だ。

あとは寝るだけなのだが、頭の中はまだ考えるべきことがいっぱいでしばらく眠れそうにない。

瘴気感知器は、明日材料のクアルソを発注して、残り僅かな古代語の解読も急ごう。

やるべきことを脳内で一つ一つリストアップしていく。

あぁ、あと今朝読んだ壁の塀にあった日記も裏付けを探してみよう。

歴史書にはトリム王国の事はあまり詳しく載っていない。

英雄王エイバン時代が最も勢力が大きかった時代であり、この大陸のほとんどがトリム王国の支配下であったこと。

エイバン王以降は衰退し、いくつもの国に分裂していったということくらいだ。

でも今の私は知っている。

もっと古い歴史は、トリムの歴史は教会日誌にあるということを。

どうせ眠れないのだ。眠くなるまで久しぶりに教会日誌を読もうと思う。

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