第213話

「はじめにそらがあった……か。全然わからない」

じりじりと肌を焼く夏が終わるころ、私は頭を抱えていた。

少し前に神の落書きの翻訳が終わったのだが、一文目に出てきた「そら」というのがよくわからないのだ。

今は治癒院での休憩時間。

空を見上げながら、翻訳した内容を思い起こす。


「はじめにそらがあった」で始まるこの文章は、神話であり、魔法の解説書でもあった。

全く読んだことのなく、一番わからなかったのは最初の部分。

簡単にまとめるなら内容はこうだ。

「はじめにそらがあった。

そらが火、水、風、地を作り、大地を豊かにした。

人々の前に姿を現す神は火、水、風、地の神で、そらを見たことのある者はいない。

火、水、風、地の四神によると、そらは一であり、全てである……」

この最初の部分でつまずいた。

まず、そらが何かがわからない。

この私の頭上に広がる青い空の事を指しているのだろうか。

それに、一であり、全てというのもよくわからない。

そもそもそらは……そらという神がいるということでいいのだろうか。

読んでも疑問が膨らむばかり。

けれど神の落書きには、火神、水神といった言葉はあったものの空神という言葉はなかったし、空が神なら五神と書かれていいはずなのに、どこにもその記述はない。あるのは四神だけだ。

私とユリウスさんの第五の属性があるという仮説は間違っていたのだろうか。


納得したこともあった。

ナオが以前、我が家で飼っている黒猫のネロを見て、黒猫様と敬っていた。

それで興味を惹かれてシャンギーラの神話を読めば、四神が可愛がるペットとして黒猫が描かれていたのだが、この神の落書きではその私がつまずいている「そら」のこの世に現れる仮の姿が黒猫だった。

シャンギーラの神話と照らし合わせてみるとなんとなくわかる。

そらは四神にとって生みの親のような存在だ。

だからこそ、そのそらの仮の姿である黒猫を大事にするのだ。

まぁ、ここが分かったところで、第五の属性のヒントになんてならないのだけど。


「はぁ。一であり、全てってどいういことだろう」

真っ青な空を見上げながらつぶやく。

「おや、外国のお嬢さんがくうを知っているなんて」

振り返ると、いつもこの治癒院に治療に来ているお爺さんがいた。

くう?」

「そうさ。今ではシャンギーラの人も知らん人ばかりだろうがな、昔の人は全てのものがくうじゃと考えとったんだ」

それからお爺さんからくうの話を聞くのだが、これがまた難しい。

くうは何か物ではない。そらのように実体がないけれど、確かにある物だとお爺さんはいう。

で、そのつかみどころのないそらって何かと考えれば、空気がある場所であり、太陽が出ている昼間は青く、太陽が沈みかける夕暮れには赤く、沈んだ後真っ暗になる物がそらだ。

雪や雨が降ってくる場所がそらとも言える。

何が言いたいかというと、そらを考える時は何か(太陽だとか雪や雨やなんだかんだ)とのつながりがあってはじめてそらだと言えるのだということ。

「わかったかな?」

お爺さんがほほ笑む。

「えっと……そらについてはわかったような……気がします」

くうっていうのは、そういうことよ。そらだけじゃない。お嬢さんもお嬢さんという物体はあるんだけど、突き詰めて考えればお嬢さんっていうのは、お嬢さんのお父さんとお母さんの子供だとか、儂と違って目が紫色だとか、どこどこの国の人だとか、赤い鞄を持っているとか。何か人やモノや概念とのつながりがあってはじめてお嬢さんと言える」

繋がり……。

確かにこの世の全てのものが無くなったら、私は一体何だと聞かれても、説明できないかもしれない。

「それに今のお嬢さんがいるのは、遠路はるばるシャンギーラまで来たからだし、隣の友達と会ったからでもある。もしもシャンギーラに来ていなかったらくうについて考えるお嬢さんはおらんかったし、隣の友達と出会わなければもっと違う性格じゃったかもしれんぞ。周りの人やモノだけじゃない、過去の経験も繋がりじゃ」

ネイトを見ながら、お爺さんが話す。

「お嬢さんやそらだけじゃない。すべてのものは繋がっとるんじゃ。つながりの中の一つ。つながりがなければ全てのものは無いのと同じ。だからくうとは、全じゃ」

おじいさんの話は、なんだかとても難しいが全てがつながりの中にあるというのは、なんとなくわかった気がした。


なるほど。古代語のシエロそらと訳したからわからなかったのだ。

頭上にある青い空の事だと思っていたからわからなかったが、くうならなんとなく意味もわかる。

くうは全。

つまり火、水、風、地とは違う第五の属性などではなく、火も水も風も地も全部ひっくるめた全てだ。

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