第211話【閑話】アグネス視点

あれからお嬢様は、毎日一心不乱にあの洞窟の文字の解読に勤しんでいる。

「お嬢様。ご飯の時間です」

「ん」

返事をしているようだけど、お嬢様の意識はまだあの文字に行ったままだ。

タイミングを見計らって、お嬢様の目を覆う。

「お嬢様、ご飯の時間ですよ」

「ありがとう、アグネス。今行くわ」

集中しているお嬢様の視界から、無理やり文字を隠すことで、お嬢様はこちらに意識を向けてくれる。

この技術は、今やシャンギーラにいる全専属が身に着けているものだ。

それほどお嬢様は、あの洞窟の文章を集中して読んでいる。

確かにお嬢様はよく本を読んでいる。

時折、集中しすぎて周囲の声など聞こえていないような時だってあった。

けれど、シャンギーラについてからのお嬢様の集中度合いは今までの比ではない。

あの洞窟にはシャンギーラの文字で古代語が紡がれていた。

だからまずはシャンギーラの文字を古代語に置き換え、そこから古代語を訳す作業になる。

大変なのは、わかる。

けれど……お嬢様がこれだけ集中していらっしゃるのは、多分それだけではない。

きっとそこに書かれている何かが、お嬢様の琴線に引っかかったのだろうと私たち専属は思っている。

翻訳作業をしていない時も、お嬢様は時折考え込んでいる。

その様子がなんだか心配で、誰も聞けないだけだ。


私、サリー、ルカで大通りへ買い物に行った帰り道。

「なんだか、やけに皆浮ついていませんか?」とサリーがきょろきょろと辺りを見回しながら、尋ねた。

確かに、昼間からお酒を飲んで歩いている人がいるし、皆どことなく声も大きく、うきうきした感じがする。

贔屓にしている団子屋にも長蛇の列ができていた。

お嬢様に、団子を買って帰ろうと思ったのに……。

と思ったところでようやく思い出した。

「花見だわ……」

「ん? 花見?」

首をかしげるサリーとルカに団子屋のお姉さんに聞いた花見について共有していく。

「前日から場所取りだと?」

ルカの顔が若干ひきつる。

二人を連れて人気だという団子屋の裏へ行くと、まだ花は五分咲きだというのに多くの人が、花の下で宴会を開いていた。

お酒や料理、団子をもって、飲んで、歌って、騒いでいる。

元貴族の私からしたら、少々品がないと思ってしまうけれど……。

「花見をしましょう。お嬢様を少しでも外に出さなくては」

ポロリと本音がこぼれると、サリーもルカも大賛成のようだった。


お嬢様の姉だというイヴリンさんも誘い、サリーは宿の調理場を借りて大量の料理作り、お嬢様は飲めないけれどお酒も用意して、ルカには場所を取りに行ってもらった。

翌朝、いつも通り宿の机で神様の落書きと向き合っているお嬢様を外へ連れ出す。

「ま、まぶしい」

「お嬢様、最近籠りっきりでしたから。たまには外に出ないと体に悪いですよ」

「そうね。ちょっとのびのびしすぎたわ」

苦笑するお嬢様を見て、イヴリンさんが言う。

「テルーはずっと忙しかったからねぇ」

家を追い出されて、お嬢様に仕えるようになってからしか私はお嬢様のことは知らない。

けれど、お嬢様は学園に通い、宿題に加えて自身の勉強もし、商会の仕事もしていた。

もしかしたら……賢者に祭り上げられるかもしれないという理不尽な理由で出てきた旅だけれど、こうでもしないとお嬢様は自由な時間がなかったのかもしれないと思い至る。

それならやはり、今日はうんと楽しんでほしい。

団子屋が見えてくると、団子屋の2階からルカが手を振っていた。

「おーい」

どうやら団子屋のお姉さんに建国祭の時に売った串餅をいくらか作ることで、この場所を借りたらしい。

いつもとは違う期間限定の味に団子屋はいつも以上に列が長く延びていた。

皆で団子屋の屋上に上がる。

「わぁ!」

お嬢様がいの一番に歓声を上げる。

「綺麗ですね」と自然と私の口からも言葉が漏れる。

団子屋の裏手は河原だ。そこにずらりと桜が並び、名所になっている。

私たちは一段高いところからその全景を見ることができた。

「お嬢様! お花見限定弁当ですよ!」

桜に見とれていた私とお嬢様の後ろでは、てきぱきとサリーが弁当を広げる。

「うわぁ! 美味しそう!」

再びお嬢様の目が光る。

それからは、もう桜の下にいる人たちと変わらない。

お嬢様とネイト以外はお酒を飲み、よく食べ、歌ったり、踊ったりして。

お嬢様もこの時ばかりは、神の落書きの事を忘れているようだった。

宴会は昼から夕方まで続いた。

夕暮れ時、温かな風が吹く。

帝都を出発したときは、まだ寒い冬だったなと思いだす。

それと同時に思い出すのは、旅の道中に寄ったどこか暗い町々だ。

あの町にも、この暖かい風は吹いているだろうか。

吹いているといいな……心の底からそう思った。

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