第196話
部屋に沈黙が落ちる。
「なんでお嬢様が……」
アグネスがぽつり不平を漏らす。
なんだか重苦しい空気をどうにかしたくて、口を開いた。
「アグネス、大丈夫。私、逃げるの初めてじゃないの。クラティエ帝国に来たのもスキル狩りから逃げるためだったんだから。大丈夫。慣れっこよ! それにね、逃げるんじゃなくて、旅だと思えば結構楽しいんだから。心配しないで。私がいなくてもあの家に住んでもらって構わないしね」
アグネスの眉に力が入る。
そのまま黙ってしまったアグネスにどう声をかけようかとおろおろしていたら、この中では最年長のルカが口を開く。
「お嬢様、それはだめですよ」
「え?」
ルカの言葉の意味が分からない。ダメって……何が?
何がダメなのか全くわからない私の肩をガシッとアグネスが掴む。
「わたし、私は……お嬢様の専属です。それなのに、どうしてっ!」
アグネスの言葉が詰まる。
私の肩を掴んでうつむいてしまったアグネスの表情は見えない。
そして、ネイトもルカも誰も止めようとしない。
少しの間沈黙が下りる。
これはもしかして、アグネスは……一緒に行ってくれようとしているのだろうか。
アグネスががばりと顔をあげ、キッと睨む。
「今の私は平民で、学もお金も身分もなくて、お嬢様から頂いてばかりだけど。足手まといなのかもしれないけれど……私がまだお嬢様の専属なら私も行く。お嬢様が私を要らないというならここに置いていって」
「要らないだなんて、そんなつもりじゃ……」
ルカがアグネスを私から剥がして私の前に来る。
「お嬢様は、何でも自分のせいだと、何でも他に迷惑が掛からないようにと考えすぎです。俺らはお嬢様の専属で、それを嬉しく思っています。今はいませんがサリーも来ます。お嬢様が嫌でなければ、みんなでしましょう。旅を。きっと楽しい旅になります」
心が跳ねた。
みんなで……旅?
「でも……お、お店はどうするの」
「木型はすべて作り終わりましたし、弟子たちだけで大丈夫です。瑠璃のさえずりだってサリーがいなくても、バージルさんとバイロンさんがいる」
「旅と言っても……危ないのよ」
「ネイトもいますし、俺だって冒険者の端くれです。それに、帝都全域に結界を張れるお嬢様だっている。帝都で暮らすより安全ですよ」
でも、だってと一緒に来られない理由をあげるけれど、即座にルカが否定する。
「お嬢様は、私たちと一緒は嫌ですか」
アグネスが言う。
そんなわけない。みんなが一緒だと嬉しい。
じゃあなんで私はこんなに面倒くさいことを言っているんだろうか。
どうしても私のせいでと思ってしまうからだろうか。
でもそれではみんなに失礼なのかもしれない。
「ううん。嫌なんかじゃない。みんな、付いてきてくれる?」
それからは、ルカを交えて作戦会議だ。
旅の目的地は、シャンギーラになった。
ユリウスさんやアルフレッド様がそこなら追手が追い付かないだろうと言っていたというのもあるが、単純に行きたかった。シャンギーラに。
「俺は一度戻ります。一応、バイロンさんやユリウスさん、アルフレッド様との伝言係で今回来たので、行き先だけ告げて、今度はサリー連れて追いかけます。お嬢様たちは先に出発していてください」
その言葉を聞いて、はたと思い至る。
「先にって……。どうやって合流するつもり?」
「あぁ、鷹があるので大丈夫です」
ルカが部屋の隅に置いてある鷹を見やって言う。
そうだった。あの鷹なんだったの?
窓をコツコツ叩いていた時は驚いて本物の鷹が来たかと思ったが、冷静になってみるとよくできたぬいぐるみだった。
ルカによると、あれはユリウスさんの作った魔導具なのだそうだ。
ネイトの腕につけている腕輪に向かって飛ぶように作られてあるらしい。
あ、あの魔法陣か。
それは夏の帰省から帰ってきたときにユリウスさんが熱心に研究していた魔法陣だ。
浮遊紙から着想を得て、行き先指定ができるようにできないかと試行錯誤していた。
あの時参考になるかと描いた
あれから私は第五の属性についてばかり考えていて、ユリウスさんが研究していた魔法陣を完成させたかどうか知らなかったけれど、完成していたんだ。一人で。
ユリウスさんはまだ魔法陣を学び始めたばかりだというのに、すごいなぁ。
「シャンギーラについたら、この鷹を飛ばしてみます。鷹を追えばお嬢様たちと合流できますから」
なるほど。
だけど……この鷹、目立たない?
それにルカが帰ってしまえば、帝都チームとはもう連絡がとれなくなる。
うーん。どうしよう。
うん。旅の準備をしなければ!
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