第五章 母なる力

第194話

 カラカラカラと車輪の回る音がする。

 何の音だろうとゆっくり目を開けた。

「よかった、お嬢様……」

 声の方を向くと、アグネスが涙ぐんでいた。

 どうやら今私は荷馬車に乗っているらしい。

 寝起きでぼんやりしながら、今はどういう状況かと考えを巡らせて思い出した。

 海街を助けたくて、魔力を極限まで使ったことを。

 そっか。また心配かけちゃったんだ。

 もう大丈夫と言おうとしたら、アグネスが先に口を開いた。

 大変だったのだと、死んだのかと思ったと、アグネスも気が動転しているのか途切れ途切れ、思いつくままに言葉を投げてくる。

「ごめんね」

 そう言った時、入り口付近に積んである木箱の隙間からバタバタと慌ててネイトが入ってきた。

 ネイトは護衛として荷馬車の入り口に待機していたようだ。「少しの間なら私に任せて」とアグネスがネイトの代わりに出ていく。

 それに頷いたネイトがすたすたと私の横まで来た。

 そして、そのまま膝をつき、私の両肩を掴む。

 私の顔を覗き込んでいるネイトの顔は、まるで「本当に大丈夫か」と確認しているようだった。

「あぁ……よかった」

 大丈夫だとわかったのかネイトはそう言って、私の横にへたりと座り込む。

 あぁ、またやっちゃった。

 ネイトはあの日守れなかったことがトラウマになっているのに……。

 さっき掴まれたネイトの手は震えていた。

「ネイト。ごめんね」

 ややあって、ネイトが絞り出すように口を開く。

「魔力切れだけはやめてくださいって言ったではありませんか。本当に、お願いします……。お嬢様自身も大切にしてくださいよ」

「うん。ごめん」

 どれだけの間私は眠っていたのだろうか。そう思って問えば、もう五日になるという。

 帝都全域に結界を張っただけあって、最長記録だった。

 そりゃ、心配するか。

 私が意識を失った後、帝都の民衆から私は「賢者様ありがとう」と声を掛けられていたそうだ。

 ネイトは苦虫を嚙み潰したようにそう報告する。

 その後やってきた帝都騎士団の中にいたアルフレッド様が民衆の中心に私を抱えたネイトがいることに気づき、その場から逃がしてくれたのだという。

 ネイトはそのまま私を抱えて走り、時に屋根の上、塀の上を走り、なんとか誰にもわからぬよう家に戻った。

 その後、目の覚まさない私と高まりつつある帝都の賢者様への興味を鑑みて、専属たちと話し合っているところに、アルフレッド様やユリウスさんが駆けつけ、満場一致でひとまず帝都を出て様子を見ようということになったのだ。

「それで、今はどこに向かっているの?」

「とりあえず帝都から離れています。次の町で一度ルカと会うことになっています。ルカから帝都の様子を聞き、今後の方針を決めようと」

 ネイトは話し終えるとまた入口へと戻っていった。

 ネイトが戻って、少ししてアグネスが戻ってきた。いつの間にか手には木製のカップとお皿を持っている。

「お嬢様、お腹は空かれませんか? 良かったら食べてください」

 そう言って、手渡された木製のコップの中から湯気が出ている。

 一口口に含んで驚いた。なんとナランハ湯だった。お皿には瑠璃のさえずりで売っているパイが載せてある。

「サリーに聞いたんです。お嬢様が昔旅していた時に飲んでいたものだと。少しは気が休まるといいのですが」

 温かくて甘いナランハ湯が体に染み渡る。

 ん? こんな荷馬車の上でどうやってお湯を沸かしたのだろう?

「アグネス、これどうやって作ったの? あなた火魔法じゃなかったわよね」

 アグネスは待っていましたとばかりに、ニヤリと笑い、一つのバスケットを持ってきた。

 じゃじゃーんと脳内で効果音が鳴るほど、どや顔で開けたバスケットの中にユリウスさんの魔導ポットと魔導水筒が入っていた。

 これは、「魔力を通せば水が出てくるんです!」「こっちは湯を沸かせられるんですよ」とすごいでしょーと言っているかの如く、嬉々として説明してくれるアグネス。

 おそらく、これほど楽しそうに話すのは帝都から逃れている今の状況を和ませるためでもあるのだろう。

 その心遣いがとても嬉しい。

 だけど、私のために気を使っているアグネスにはとても言えない。

 アグネス、それ知っているの。私も改良手伝ったから!

 まぁ……言わなくてもいいか。アグネスは気に入ってくれて、私は本当にアグネスの気づかいで気が休まったのだから。

「ふふふ」

 私が笑うと、アグネスも笑う。

 一人では嫌だと駄々をこねて、この後一緒にアグネスと荷馬車の上でナランハ湯を飲んでお茶会をした。

 やっぱり、どんな理由で旅に出ようとも笑いあえる友人がいれば、旅はこんなにも楽しい。

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